第2話:絶望と取引
花村家の九人の女たちは全員、天皇の裁きを待つために牢に入れられていた。
—薄暗い牢、鼻をつく湿った土と藁の匂い。壁には古びた墨の落書きがいくつも残っている。
だが、結末は決まっている。売られるか、吉原に送られるかだ。
—都の女たちの噂では、こういう場合、身分がどうであれ容赦はないという。もはや奇跡など残されていない。
「綾乃」と母が呼ぶ。「今、何時だい?」
—母の声はかすれている。涙で濡れた目で、じっとこちらを見つめてくる。
母は病気だった。三日前に投獄されて以来、ずっと体調を崩している。
—顔色は青白く、唇には血の気がない。私は着物の袖で額の汗をそっと拭った。
私は小さな明かり取り窓から空を見上げて、そっと答えた。「昼ごろです」
—細い木枠の向こう、曇った空に太陽の気配がぼんやりと滲んでいる。
「昼……」母は私の手を強く握りしめ、力なくその言葉を繰り返す。
—母の手の温もりを、必死に自分の指に刻みつけた。
昼は花村家が滅びた時刻だ。
—あの日の鐘の音、遠くで聞こえた町のざわめきがよみがえる。
父はもうすぐ斬首される。
—誰も声をあげない。重たい沈黙が女たちの間を満たしている。
花村家の男たちは北国へ流刑される。
—父や兄たちの顔が脳裏に浮かぶ。故郷の雪の匂い。あの厳しい北の地で、彼らは生き延びることができるのか。
母は泣き崩れ、叔母や従姉妹たちも一緒に涙を流した。
—時折、嗚咽が漏れる。藁を握る手が震えている。
叔母(母の妹)が私にすがりつき、「綾乃、村瀬様に頼んできて。あの人なら、せめてあなたたち姉妹だけは救えるはず……」と懇願した。
—叔母の声は切実だった。袖を握る手が汗ばんでいる。私の腕を強く引き寄せ、涙をこぼす。
村瀬直澄は私の許嫁だ。四年前、彼は新進気鋭の若手官僚で、父はその才を見込んで私を嫁がせた。
—縁談の話が持ち上がった時、父は「時流を読む目がある男だ」と誇らしげだった。
彼の出世は順調で、何度も昇進し、皇太子にも重用された。
—都の噂では、若くして異例の出世ぶりだったという。桜の咲く頃に開かれた宴で、彼の隣に座った日のことが鮮明に思い出される。
だが今や、彼は花村家を滅ぼした張本人でもある。
—皮肉な運命。出世の階段を駆け上がる彼が、私たちを奈落に突き落とした。
私は叔母の涙をそっと拭い、「彼は助けてくれません」と静かに答えた。
—それでも叔母の瞳は、かすかな希望を手放せずにいた。
叔母は私にしがみつき、泣きじゃくる。従姉妹たちも私の周りに集まり、「お姉さま」と泣きながら呼ぶ。
—細い手、幼い肩が私にしがみつく。すすり泣きが藁の上に伝わる。
私は明かり取り窓から差し込む光を見つめた。
—狭い隙間から差し込む光が、牢の埃を照らしている。
あまりにも高く、現実離れしていて、手が届かない。
—まるで、かつての自分たちの身分と同じだ。
重い足音が後ろから聞こえた。役人が勅命を伝えに来たのかと思ったが、意外にも村瀬直澄だった。
—革靴が石畳を叩く音。皆が息を呑み、背筋を伸ばす。
彼は深紅の官服に身を包み、烏帽子をかぶり、胸を張って私たちの前に現れた。木の格子越しに、私と目が合う。
—朱色の官服は、薄暗い牢でも鮮やかだった。彼の目には冷たい光が宿っていた。
その瞬間、私は村瀬と初めて会った日のことを思い出した。
—あのときは、まだあどけない笑みを浮かべていた。春の庭に差し込む光が、彼の肩に柔らかく降りていた。その時の笑顔は、今も鮮明に焼き付いている。今の彼はまるで別人だ。
今や彼は高官となり、私は彼の視線の下、囚人となった。
—時の流れの残酷さを、思い知らされる。
叔母は、私たち四姉妹だけでも助けてほしいと懇願した。自分たちはどうなってもいい、でも温室で育った姉妹たちが遊郭で生きていけるはずがない、と。
—叔母の言葉は涙に濡れている。その必死さに胸が締め付けられる。
村瀬は黙って聞き、ずっと私を見ていた。
—その目は、何かを待っているようだった。
そして突然、「どうして令嬢は頼まないのですか?」と尋ねた。
—静けさの中に、彼の声が鋭く響く。
牢内は静まり返った。叔母の期待に満ちた視線が私に注がれる。
—皆が息を呑み、私の返事を待っている。
私は叔母の意図も、村瀬の目的も理解していた。
—ここで私が膝をつけば、すべてが決まる。
私は村瀬の前に膝をついた。
指先が震え、心臓の音が耳を打つ。羞恥と緊張が全身を支配する中——
「村瀬様……お願いです。どうか、私たち姉妹をお助けください」私は落ち着いて額を畳に擦りつけた。「もし叶いましたら、綾乃はこの身を牛馬となってもご恩に報います」
—畳に額を擦りつける。埃の匂いと、静かな絶望。
三尺離れた木の格子越しに、村瀬は低く満足げに笑った。
—その笑いは、かつての優しさとは違う冷たさを帯びていた。
彼は半身をかがめてからかうように言った。「四姉妹全員、私の側室になるというのは、令嬢はどう思う?」
—その言葉に、叔母たちが息を呑む音が聞こえた。
私は少し間を置き、再び額を地につけた。
—私の鼓動が耳に響く。
「村瀬様は風雅で才あるお方。側室になれるのは姉妹にとっても幸せなことです」と答えた。
—感情を殺し、静かに答える。
彼はまた笑い、「令嬢がここまで柔軟だとは知らなかった」と言った。
—嗤うような声が、牢の中に反響した。
私は黙って頭を下げたまま。
—藁の上に手をつく自分の指が、白くなるほど力が入っている。
「だが、それは君たちの幸せだが、私にとっては不幸だ」村瀬は立ち上がり、袖を払って冷たい声を落とした。
—着物の裾が、わずかに音を立てた。
「令嬢、私は吉原に会いに行きますよ」
—まるで打ち捨てるような言い方だった。
そう言い残して、彼は高笑いしながら去っていった。
—足音が遠ざかると、牢内には沈黙だけが残った。
私は背筋を伸ばし、静かに彼の背中を見送った。
—侮蔑や恨みではなく、ただ静かな誇りを失いたくなかった。
「綾乃……」叔母は私を抱きしめて、「馬鹿なことをさせてしまった、ごめんなさい。あんな狼のような男に頼むべきじゃなかった」と謝った。
—叔母の肩が小さく震える。私は背を撫で、そっとため息をついた。
私は彼女を慰め、隣の牢に目をやった。そこには男が鎖骨で吊るされていた。
—暗がりの中で、彼の存在が際立って見えた。
乱れた髪が顔を覆い、隅で三日間じっと座っている。
—息も絶え絶えのようだが、不思議と生気を感じる。
死んだのかと思っていたが、さっき鎖の音がした。
—その一瞬の金属音だけが、彼が生きている証。
まだ生きているのだ。
—この牢獄にも、微かな希望が残っているのかもしれない。
その希望が、いつ裏切られるかも知らずに——。