第3話:崩れた信頼と最後の決意
機密、機密。
その単語が、やけに白々しく聞こえた。まるで、古株社員の不満を封じるための呪文みたいだ。
それは、古株社員にこの理不尽な現状を気づかせないための方便じゃないの?
机の上に両手をそっと置いて、でも爪が食い込むほど握りしめてしまう。
私は怒りを抑えきれず、さらに食い下がった。「私は創業時から会社にいて、何年も努力してきました。でも結局、新卒の新人より給料が低いんですか。」
声が震えた。でも、もう隠せなかった。
「年功や役職の話を抜きにしても、成果やアウトプットは私の方がずっと上ですよね?」
自信があった。ここだけは絶対に譲れなかった。
先月だって、私は5本のバズ動画の台本を書いた。
自宅に持ち帰り、深夜までPC画面と向き合った。納期ギリギリまで粘った分、再生数も記録的だった。
佐伯美咲は何も成果を出していない。
提出された原稿は添削だらけで、動画化も見送られた。みんな知っている事実なのに。
一体何をもって、彼女の方が高給なんですか?
声に出せば出すほど、自分の中の怒りが整理されていく。けれど、社長の顔はますます曇るだけだった。
社長の口調が少し和らいだ。「中村さんがこれまで会社のために頑張ってくれたのはよく分かってる。でも会社にも事情がある。今は人件費が高騰してて、佐伯さんみたいな一流大卒を採るにはそのくらい出さないといけない。中村さんは古株なんだから、会社のことは一番分かってるだろう?」
社長の言葉は、遠まわしな“納得しろ”に聞こえた。だが、その言い方が逆に胸に突き刺さる。
全然分かりません。
私は無意識に、社長の机上に並んだ高級ボールペンに目をやった。こんなもの、私の月給では一生買えない。
人件費が上がったなら、なぜ古株の給料も上げないんですか?
心の中で叫ぶ。だが、口には出せない。「出過ぎた杭は打たれる」と、昔から言うから。
私はその価値もないんですか?
喉の奥が熱くなり、目の奥がじんわり痛む。涙がこみ上げそうになるのを、必死で抑える。
「でも、どう考えても納得できません。」
声がかすれていた。
「納得できないことなんてない。会社は発展のために新しい血が必要だし、それが市場の現実だ。桜陽だけじゃない、どこの会社も同じだよ。」
まるでテレビのニュースを読んでいるみたいな口調だった。社長の目は私を見ていない。
私ははっきり言った。「社長、昇給をお願いします。」
もう後には引けない。小さな声だったが、全身が震えていた。
いや、昇給どころじゃない。新人より高くしてほしい。
本当は、こう言いたかった。
だが社長は一瞬もためらわなかった。「よく考えなさい。会社は毎年君に昇給してきただろう?人間、欲張りすぎてはいけないよ。」
机越しの視線が冷たい。まるで「身の程を知れ」と言わんばかり。
確かに昇給はあった——毎年5,000円だけど。
「年に一度の昇給」と言われて、内心では「これだけ?」と何度も思った。でも、顔には出せなかった。
6年昇給しても、新人に追い抜かれる。古株社員なんて犬以下だ。
「犬以下」と自分で言いながら、情けなくなった。
思い出す。年初、社長は「今年は経営が厳しいから、中村さん以外は昇給なし」と言っていた。
「だから感謝しなさい」と微笑まれた。私は真に受けて、心のどこかで「自分だけ特別」と思っていた。
私はそれを信じて、むしろ感謝すらしていた。
「中村さんがいなければ、この会社は回らない」とまで言われたのに。
でも、その裏で新卒に高給を出していたなんて……
信じていた分、裏切られた思いが強かった。悔しさよりも、深い無力感。
傷ついたし、侮辱された気分だった。
この一言では言い表せない、胸の痛み。
私は深呼吸した。「それなら、私はもうここで働けません。」
静かに、でもはっきり言った。
8万円で新人を指導し、彼女は18万円もらうなんて、心臓が持たない。
「身体がもたない」と言いかけて、飲み込んだ。もう、何も言いたくなかった。
社長は明らかに不機嫌そうだった。「今のは聞かなかったことにする。戻りなさい。落ち着いてよく考えてほしい。お金のことしか考えない人間は、どこに行っても大成しないぞ。」
突き放すような口調。言葉の端々に、もう私への期待などないのだと感じた。
この瞬間、もう後戻りはできないのだと悟った。
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