第3話:絶望の深淵
退院前に、記者たちが押し寄せマイクを突きつけてきた。
「高瀬さん、藤堂家の主張に同意しますか?記録を守るために人命を危険に晒したのですか?」
フラッシュが何度も光り、周囲は人だかりで息苦しかった。廊下で足を止め、私は深く息を吐いた。
私は首を振り、真実を語った。
「他のダイバーが現場に行けば分かりますが、曲がり角の岩は手作業で削られています。それに藤堂さんは極めて協力的ではありませんでした。もし彼の言う通りにしていれば、確実に命を落としていたはずです。気絶させたのはやむを得ない措置で、そのことも藤堂氏に報告済みです」
記者たちは一瞬沈黙したが、すぐまた新たな質問を投げかけてきた。私の言葉は波紋一つ生まない小石のようだった。
話し終えるや否や、藤堂氏が激怒して飛び込んできた。
彼は私を指差し怒鳴る。
「お前、正気か?よくも私の息子に手を出したな!お前が潜る前に『事故があったら責任を取るのか』と聞いたのは、殺すつもりだったからか!」
彼の怒号がロビーに響き渡り、周囲は息を呑む。黒いスーツ姿のボディーガードたちが私を睨みつけた。
私は周囲を見渡し、チームメイトの大友尚人を見つけた。彼は気まずそうに私を見て、肩をすくめ視線を合わせなかった。
「タケル先輩、今回は藤堂さんが運が良かっただけだ。もし何かあれば取り返しがつかなかった。君はやりすぎたよ。俺が止めなければ、本当に彼を殺していたかもしれない」
その声には、どこか自分を守る言い訳が混じっていた。仲間でさえ、もはや私を庇う余裕はなかったのだろう。
その瞬間、私は悟った。
藤堂涼真は私を罠にはめ、周囲の人間まで巻き込んだのだ。
深いため息をつく。すべてが計算されていたのかもしれない。
私は彼を救ったのに、返ってきたのは濡れ衣だった。
自分の信じてきた努力や誠実さが、ここまで簡単に踏みにじられるとは思わなかった。
目の前のマイクやカメラが全て敵に思えた。言葉を尽くすほど泥沼にはまる気がした。
水中にいたのは私たち三人だけ、今や二人が私を責めている。
「証人がいない」とは、これほど無力なものなのかと痛感した。
藤堂家の圧倒的な力の前に、私には勝ち目はほとんどなかった。
その場の空気は凍りつき、私は目を伏せた。
私は苦笑し、無力感をにじませて言った。
「私はやましいことはしていません。どんな調査でも受けます」
声がわずかに震えていることに気づき、自分の弱さを噛み締めた。
藤堂氏は私を睨みつけた。
「それでやましくないと?あれだけ金を渡したのに、息子を殺そうとした。そんな奴がダイバーでいられるものか!お前のダイビングライセンスは永久に剥奪させてやる——二度と大会にも出られないし、潜ることもできない」
彼の言葉は、まるで裁判官の宣告のようだった。その場にいた全員が、一斉に私を見下ろした気がした。
その後すぐ、私は警察に連行され、調査を受けた。
留置所の薄暗い部屋で、何度も同じ質問を繰り返された。誰も私の言い分を真剣に聞こうとはしなかった。
インタビューはネットで大きな話題となり、SNSでは連日私の名前がトレンド入りした。どれも悪意に満ちたコメントばかりだった。
「表では立派なコーチぶって、裏では生徒を追い詰めるなんて最低」「やっぱり有名人は信用できない」——そんな言葉が画面いっぱいに流れた。
噂やデマは一気に広がり、私の身の回りにも影響が出始めていた。
だがその生徒もルールを破って一人で潜り、酸素ボンベに問題があった。私が発見しなければ命はなかっただろう。
世間の目は、都合よく真実を切り取るものだと痛感した。
今になって分かった——
世間があなたを英雄だと思えば英雄だが、手のひらを返せば雑草以下だ。
誰も本当のことなど気にしていなかった。
コーチ陣が面会に来てくれた。私は救いを求めるように詳細を説明した。
古参コーチの川嶋さんが「お前のことは信じたいが…」と目を伏せた。その沈黙がすべてを語っていた。
ヘッドコーチはただため息をつき、無力そうに言った。
「有名税ってやつだよ。今回の大会は国際的な強豪ばかり。君を潰せば勝率が上がる。それに正直言って、あの藤堂の坊ちゃんは有名な遊び人だ。前もプライベートレッスンでコーチを何人も追い出している。今回も自分を証明したかっただけだが、洞窟で動けなくなった恥を君にかぶせたいんだ」
「世の中なんてそんなもんだ」と、ヘッドコーチはぼそりと付け加えた。
警察の取り調べは一度終わったが、証拠不十分で判断がつかなかった。
私はほっとしつつも、心のどこかでまだ終わらないと感じていた。
コーチの言葉を聞いて、私は冷や汗をかいた。「味方が減るのは覚悟しておけよ」と肩を叩かれ、その重みが現実だった。
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