第2話:苦役所の影と、新たな決意
戦争が終わると、慣例では軍営の遊女たちは「苦役所」へ売られることになっていた。
かつての都の華やぎとは無縁の、薄暗い建物。その扉の向こうには、貧しさと恥辱しかない。皆、そこだけは避けたいと切に願っていた。女たちの間には「苦役所送り」の言葉がささやかれ、恐怖に震える夜が続いた。
そこは老いも若きも、変態も堕落した者もひしめく、人間の住む場所ではない。
「鬼の巣」と陰で呼ばれ、戻ってきた者はいないと言われている。みんな、最後の希望を手繰るような目で、毎日を過ごしていた。
だから三日前から、若い娘たちはあらゆる手段を使って自衛隊員に取り入ろうとし始めた。
夜な夜な女たちは鏡の前で唇を紅く染め、着物の襟元を直し、わざとらしい笑みを浮かべて男たちに近づいた。時折、ため息混じりの励まし合いが聞こえ、互いに競い合いながらも、誰一人本音を明かさなかった。
この男たちは戦争を生き抜き、勝利とともに帰郷し、褒美を受ける。すでに妻がいても、妾を持つのは私たちにとって悪くない結末だった。
「妾にでもなれりゃ、地獄よりはマシだよ」と、誰かがぽつりと呟く。誰もが少しでも良い縁を掴もうと、運命を賭けていた。
西園遥が現れたのは、ある男が私を妾にしようとし、私が断ったために逆上してテントの畳に投げ飛ばされたときだった。
私は反射的に両腕で顔を庇い、畳に押し倒される。男の荒い息と、獣のような嗅覚が辺りに満ちていた。外では鈴虫の鳴く声が、妙に遠く感じられた。
「この女め。罪人の娘のくせに、軍営の遊女のくせに、まだお嬢様気取りか? 普段は若将校がいるから手も出せなかったが、やっと俺の番だ……」
彼の唇からは酒と煙草の匂いが混じった息が漏れ、私は息を止めた。
彼が言い終える前に、誰かがその襟首をつかみ、地面に叩きつけた。
乾いた音が響き、男の叫びが夜に消えた。私は恐怖と安堵の狭間で、瞬きもできなかった。
私は慌てて身を起こすと、西園遥が立っていた。
彼はまっすぐ私を見下ろし、その眼差しには怒りと憐れみがないまぜになっていた。私の胸元が乱れているのに気づき、そっと視線を逸らした。
彼はまるで雛鳥でもつかむように、その男を引きずり出した。
太い腕で男を軽々と持ち上げ、外に連れ出す。その背中には、冷たい決意がにじんでいた。
最初は外で怒号が聞こえたが、すぐに静かになった。
外の喧騒がぴたりと止み、風の音だけが残った。私は膝を抱えたまま、次に何が起こるのかをじっと待った。
男を片付けた後、西園遥は戻ってきて、山のように入り口を塞いだ。
汗に濡れた髪が額に張り付き、泥と血の匂いがほのかに漂う。彼の大きな影が灯りに揺れた。
小麦色の肌は鍛え抜かれ、首筋から鎖骨にかけて汗が流れていた。荒い息をつきながら、何も言わずに私を見つめていた。
静寂の中で、彼の息遣いだけが聞こえた。私は唇を噛み、視線をそらすしかなかった。
どれほど時間が経っただろうか。
沈黙が重なり、時間の感覚が薄れていく。外では風鈴の音が涼やかに鳴っていた。
やっと、彼は口を開いた。
「……俺でいい。」
彼の声は低く、かすれていた。その言葉には、決して軽くない覚悟が込められているように感じられた。
唐突な言葉だったが、私には意味がわかった。
その言葉の裏にある不器用な優しさを、私はすぐに理解した。
この数日、あの男だけでなく、五、六人の男たちが私を家に連れて帰ると言いに来ていた。中には正妻にするとまで約束する者もいた。
私はかつて官僚の寵愛を受けた娘で、琴や書道に秀で、その美貌は都でも名高かったのだ。
誰もが一度はその名を口にした。桜の季節、紅子の琴を聴きに都の名士が集まったのを思い出す。
だが、私はすべて断ってきた。
胸の奥で「違う」と叫ぶ声があったからだ。私はいつも何かを待っていた。
しかし今回は、西園遥の目を見つめると、彼は不器用に目をそらした。
顔は強張り、まるで借金を取り立てられているようだった。
だけど、その耳が真っ赤に染まっていた。
私は思わず苦笑いを浮かべ、胸の奥の緊張がほんの少しだけ和らいだ。
「考えさせて。」
私はそう答えた。その一言の中に、自分でも気づかないほど多くの感情が込められていた。
西園遥が去った後、隅からかすかな声がした。
「……あいつが最後かもしれないよ。」
それは唯一残った年老いた遊女だった。彼女はもう長くはなかった。
彼女の声は弱々しく、しかしどこか諦観に満ちていた。私の背中をそっと押すような優しさがあった。
彼女は笑った。
「紅子、あの人が連れて行ってくれるなら、行きな。誰を待ってる? あの立派な若将校の伊達様? もうすぐお姫様と結婚するってのに?」
彼女の口調には、かつて恋に敗れた女の哀しみが滲んでいた。私は黙ったまま、膝の上に手を重ねた。
彼女は私が伊達蒼真と何か関係があることを知っていた。
そうでなければ、軍営の遊女である私が他の男たちの相手を免れるはずがなかった。
夜ごと、伊達蒼真の側近が私の部屋の前に控えていたことを、女たちは皆知っていた。
二日に一度、私は夜に琴を持って出かけていた。
その音色が軍営に流れるとき、誰もが静かに耳を傾けていた。私の心も、その時だけは安らぎを得ていた。
そんな特権を与えられるのは、伊達蒼真ほどの権力者だけだ。
彼女は、伊達蒼真が私をただの遊び相手としか見ていない、身の程をわきまえろと言いたかったのだろう。
私の胸には、彼女の言葉が鈍い痛みとなって残った。だが、それが現実なのだ。
でも、彼女は知らなかった。執着していたのは、私ではなかったことを。
夜明け前、紅子はまだ眠れずにいた――自分がこの選択で本当にいいのか、自問自答しながらも、わずかな希望を胸に抱いて。