第3話:崩壊する未来と現実
ふたりはすでに後部座席に横たわり、私がトランクに隠れていることなど全く気付いていなかった。
車内の薄暗い明かりの中で、ふたりの影が重なり合っていた。自分が透明人間になったような孤独を、初めて味わった。
私は気まずくなってスマホを開いた。画面には、ふたりが情熱的に絡み合う姿が映し出され、LINEライブ配信が流れていた。
手元のスマホが小刻みに震えていた。通知音が次々に鳴り、コメント欄には何も書かれていなかったが、視聴者数だけが増えていく。
配信にはパスワードをかけていたが、その時点で視聴者は100人を超えていた。
「え?100人も…?」と画面を二度見する。親戚や友人だけでは到底届かない人数だ。
そんなに友達はいない。明らかに誰か親戚か友人が他の人を招待したのだろう。
親族同士でグループLINEを作るのが当たり前な時代。誰かが「見て見て」と拡散したのだろう。背筋に冷たいものが走った。
100人以上もいるのに、コメントは一つもなかった。
日本人特有の沈黙の圧力が、画面越しにも伝わってくる。みんなが言葉を失っているのだと、すぐに察した。
みんなが家でケーキやクラッカーを手に、気まずそうにスマホを見つめている光景が目に浮かんだ。
親戚のリビングで、クラッカーを持ったまま固まる叔父、ケーキに手を伸ばしかけて止まる従妹。その情景が鮮やかに浮かぶ。
さらに最悪だったのは、アカウントから必死にギフトが送られているのが見えたことだ。
ギフト通知が次々と画面に表示され、花火やハートの特効が画面を覆っていく。誰が送っているのか、通知名がはっきりと表示された。
それは彼女の母親、つまり私の未来の義母だった。
「◯◯ママからギフトが届きました」と画面に表示されるたびに、胃が締め付けられる。彼女の母が、まさかこんな惨状の配信にギフトを送り続けているとは。
彼女はギフトを送るたびに、画面に特殊効果が表示され、恥ずかしいシーンを隠してくれていた。お義母さんは、きっと「早くプロポーズして」と願いながら、画面を必死にタップしてるんだろう。その姿を想像すると、切なさで胸が潰れそうだった。
花火や桜吹雪のアニメーションが、ふたりの姿を一瞬隠してはまた消えていく。私は、義母の善意が逆に胸を締めつけることを知った。
未来の義母は機械に疎く、ライブ配信中に画面をタップすれば特殊効果が消せることを知らなかった。そのため、ギフトを送り続けて年金を無駄にしていた。
「お義母さん、そんなに課金しなくていいのに…」と心の中で呟く。彼女の優しさと無知が、今はただ痛ましかった。
私はライブ配信を止めることができなかった。ソフトは車のシステム上で動いていて、車の操作パネルからでないと停止できない。
ダッシュボードまで這っていくこともできない。トランクの奥で、私は無力さに身を任せるしかなかった。
焦ってスマホの画面を連打するが、システム連携のため配信停止ボタンは押せない。指が汗で滑り、スマホの振動だけが手に残る。何度もボタンをタップしても、画面は無情に切り替わらなかった。
その時、男がようやく違和感に気付いた。「あれ?なんで車が動いてるんや?」と関西弁が混じったイントネーションで車内に響いた。少し酔ったような調子だった。
彼女は微笑み、「私の彼氏の車はスマホでエアコンを遠隔操作できるの。あなたが暑がると思って、降りる前にエンジンをかけておいたの」と答えた。
さらっとした口調で、ウソを織り交ぜるあたり、彼女らしい。現代的な機能を使いこなす都会の女性の余裕があった。
男は驚いた。「ほんまに国産SUVでそんな機能あるん?」と首をかしげる。「俺のレクサスは1千万円以上するのに、そんなの付いてないぞ。」
「やっぱり高級車は違うなあ」と、どこかで見下されている気がした。男の声には、ちょっとした自慢と皮肉が混ざっていた。
彼女は彼の顔を両手で包み、情熱的にキスをして「だからあなたは彼の安い車で彼女と寝てるのね」と囁いた。
「安い車」と言い切る彼女の言葉に、心がズキリと痛んだ。私が何年もローンで支払ってきた愛車が、こんな風に馬鹿にされるとは。
その言葉に男はさらに興奮し、彼女の服を脱がせ、耳元で「お前、本当に大胆だな。彼氏は車まで貸してくれるのに、お前は毎日地下鉄通勤して、俺にはこんなこと言って……」と囁いた。
地下鉄のラッシュアワー、彼女とすれ違うこともあった。そんな日々が思い出される。男のささやきが、妙に現実味を帯びて胸に刺さった。
彼女は喘ぎながら「うん、私は悪い女よ。そう言われるとますます興奮する。彼は私の下僕だけど、私はあなたのもの」と応じた。
自分の存在が、彼女にとってどれほど軽いものだったのか。胸が締め付けられて、言葉が出なかった。
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