第3話:閉じ込められたカナ
家に戻ると——
妻は心配そうに私を見つめた。
居間のちゃぶ台を挟んで、妻の指が小さく震えていた。湯呑みに注いだお茶がほんのり湯気を立てているのに、手にしたまま飲もうともしなかった。
「どうすればいいの?二十年も経ってるし、カナはもうとっくに亡くなってる。どうやって家に連れて帰るの?」
妻の目は涙を浮かべていた。普段はしっかり者の彼女が、こんなに取り乱すのを私は初めて見た。
私も頭を抱えて悩んだ。
頭の中で堂々巡りの思考が続き、ため息ばかりが漏れた。畳の上に正座しながら、どうしたものかと天井を見上げた。
未来の義理の娘の家は裕福で地元でも有名な老舗旅館を経営しており、息子がそんな相手と結婚できるのは滅多にないことだった。
息子も最近は忙しそうで、結婚相手の家の風習やしきたりにも慣れようと努力していた。私たち親としても、何とかこの縁談を無事に進めたいと切実に思っていた。
義理の両親は縁起を気にしていて、何度も神主さんに良い日を選んでもらうよう求めてきた。
旅館の格式や、親戚筋の期待もあり、少しでも不吉なことが起きれば面目が立たないと、何度も繰り返し念を押された。
今は娘のことで全てが止まってしまっている。何とかしなければ。
娘の名前は青山加奈(あおやま かな)、愛称はカナ。
カナは、近所の子どもたちの間でも人気者だった。明るくて、いつも元気に庭を駆け回っていた。もし生きていれば、今年で二十八歳になるはずだった。
カナが八歳の時、妻の美智子(みちこ)と私は東京に仕事を探しに行くことを決めた。
当時の地方都市は不景気で、まともな仕事に就くのも難しかった。東京での暮らしは希望でもあり、不安でもあった。
地方の人間が東京で生きるのは簡単ではなく、子供二人を連れていくのはさらに負担が大きかった。
引っ越し前夜、美智子は突然「カナは連れて行かない。七歳の息子だけを連れていく」と言い出した。
私は耳を疑った。夜の台所で蛍光灯の明かりの下、妻の顔はいつになく強ばっていた。
私の両親はすでに他界していたので、子供たちに祖父母はいなかった。娘を東京に連れて行かなければ、誰も面倒を見てくれない。
「誰も面倒を見る必要なんてないわ。家に閉じ込めて、いなかったことにすればいいの。」
妻の言葉に私は衝撃を受けた。
思わず箸を落とし、畳の上で呆然とした。信じられない気持ちと、怒りとが入り混じった。
だが彼女は気にする様子もなかった。「何がおかしいの?昔は家の事情で、女の子が家に残されることもあったって聞いたわよ。カナは七歳まで育てたんだから、十分よ。」
彼女の語気はどこか突き放すようで、机の角を指でトントンと叩いていた。
「でも……」
声は小さく、消え入りそうだった。妻は私の目をまっすぐ見据えた。
「もういいから。私の言う通りにして。明日、やり方を教えるわ。」
美智子は息子を特にかわいがり、気が強い人だった。
息子に対しては常に優しく、彼の好きなものを何でも買い与えていた。カナにはどこか冷たく、二人の扱いの差は私にも感じ取れていた。
翌日——
私と妻はいつも通り荷造りをした。
ダンボール箱が積まれ、新聞紙で茶碗をくるみ、静かな朝だった。カナと弟は大はしゃぎで、おもちゃを大きな袋に詰めようとしていた。
「ほら、これも持っていこうよ!」と弟が無邪気に笑う姿が、今も目に焼き付いている。
時間が来た頃、美智子が私に合図を送った。
彼女はわずかにうなずき、視線で物置の方を示した。私はその意味を理解し、しばらく躊躇したが、娘の元へ歩み寄った。
「カナ、パパは荷造りで疲れたから、かくれんぼしようか。」
娘はかくれんぼが好きではなく、「やだ、荷物を詰めたい」とぶつぶつ言った。
カナは真面目な子で、最後まで自分で荷物をまとめたいと主張していた。
その時、息子が助け舟を出した。「僕、かくれんぼしたい。お姉ちゃん、一緒にやろうよ。」
私は子供たちと遊ぶことがほとんどなかったので、息子は本当に私と遊びたかったのだろう。
弟の頼みに、娘もようやく同意した。
カナは「しょうがないな」と小さくため息をつきながら、弟の手を取った。
私は二人としばらくかくれんぼをするふりをした。
家の中に隠れる場所は限られているので、どこに隠れてもすぐ見つかる。私はわざと遅れて「どこかなー」と大げさに言いながら探すふりをした。
美智子が再び目で合図を送った。荷造りが終わり、出発の準備ができたというサインだった。
私の背中には、重い覚悟がのしかかっていた。手に汗がにじみ、喉がカラカラに渇いていた。
「最後の一回だよ。今度はお姉ちゃんが隠れて、僕とパパが探すから。カナ、上手に隠れてね。」
妻も芝居を打った。「心配しないで、ママはとっておきの隠れ場所を知ってるの。誰にも見つからないわよ。カナ、こっちに来て。ママが連れて行ってあげる。」
美智子の声は、いつもより優しく響いた。カナは不安そうにママの顔を見上げたが、すぐに笑顔を作って「じゃあ、絶対に見つけてね」と言った。
妻は娘を小さな物置部屋へ連れて行った。
薄暗い廊下を抜け、物置部屋の古びた扉を開けた。畳にはほこりが積もり、使われなくなった家具が山積みになっていた。
物置の下には地下室があることを、美智子と私だけが知っていた。
その地下室は祖父が戦時中に作ったもので、生活が豊かになってからは使われなくなっていた。
中には大きな鉄のキャビネットが置かれていた。私が物心ついた時からそこにあった。
キャビネットは分厚く重い。三人か五人がかりで動かすほどで、扉は鉄の塊のようで、子供には絶対に開けられなかった。
金属の鈍い光沢が、懐中電灯の明かりにぼんやりと浮かび上がっていた。
美智子はカナを連れて地下へ降りていき、手には鍵を持っていた。
カナは「どこに隠れるの?」と期待に満ちた声で尋ねていた。妻の手は震えていたかもしれない。
しばらくして——
美智子だけが地下から上がってきた。
無言で私と目を合わせ、しばらく何も言わなかった。私はそのままカナの名を呼ぶこともできず、ただ唇を噛み締めていた。
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