第2話:赤いベールの下の真実
祖父は数秒間呆然とし、それから言った。「真っ昼間に死体の花嫁なんているわけないだろう。それにここにいるのはみんな町内の者だ。顔も全部知ってる。知らない人なんていないさ。」
祖父の顔には、年輪を重ねた田舎の男の余裕と、どこか警戒の色が浮かんでいた。声は穏やかでも、目だけがじっと男を見ていた。祝い事の日には不吉な言葉を嫌うものだ。
祖父が言い終えると、男はじっと花嫁を見つめた。
静寂のなか、男の視線が一点に刺さる。場の空気がほんの少し張りつめる。祝い膳の皿から湯気が立ち、焼き魚の香りが男の浴衣に絡みつく。
花嫁は隅の席に座り、真っ赤な和装の打掛とベールで顔を覆っていた。
艶やかな朱色の打掛には梅と鶴の刺繍が入り、白木の椅子に静かに腰掛けていた。ベールの奥からは何も見えず、ただ静かに手を膝に重ねている。
祖父は声をひそめて言った。「若いの、今日はこの家にとって大事な日だ。騒ぎを起こすなよ。この町は田舎で、みんな何らかの縁でつながっている。早く立ち去ったほうがいい。」
目配せと小さなため息。田舎の集落では、波風を立てることがどれほど恐れられているか、祖父の語気に滲んでいた。
男はさらに焦った様子で言った。「おじさん、俺は騒ぎを起こしに来たんじゃない。本当に死体の花嫁がいるんだ。死人は日光を恐れる。まだ明るいうちなら俺が何とかできる。でも夜になったら、町の皆が危ない。」
真剣な声に一瞬、遠くでセミが鳴く音さえ止んだ気がした。どこか切羽詰まった響きに、祖父も周囲の客も無意識に身を固くする。
その声はあまりにも真剣で、嘘には聞こえなかった。
祝宴のざわめきの奥で、誰かが手酌で酒を注ぐ音がやけに大きく響く。祖父は小さく唇を噛んだ。
祖父は迷ったが、「分かった、若いの。店の中を見ていいよ。ただし、客の邪魔はするな。今日は誰かの結婚式なんだ。」と言った。
その言葉に小さな安堵のため息が客席から漏れる。田舎の宴の暗黙の掟を、祖父はぎりぎりの線で守ろうとしていた。
男はうなずいて、店の中を二周した。
木の床をきしませながら、男はゆっくりと歩いた。祝い膳の料理の香りや、焼き魚の煙が静かに男の服にまとわりつく。酒瓶のラベルは地元の「白鶴」、畳の目の感触と障子越しの夕暮れも、どこか不穏に感じられた。
祖父は小声で「どうだい、死体の花嫁は見つかったか?」と聞いた。
そっと畳に膝をつき、囁くような声。祖父はやはり内心気にしている。
男は首を振った。「いませんでした。」
その一言に、客席の空気がほっと和らぐ。厨房の奥からも、包丁の音がリズミカルに戻る。
祖父は安堵のため息をつき、笑った。「ほらな、言った通りだ。真っ昼間に死体の花嫁なんているはずがない。」
祖父は湯呑を手にとり、ちょっと首をすくめてみせた。祝いの席に戻ろうとする空気。
だが男はこう尋ねた。「おじさん、花嫁はどうやって店に入ったんですか?」
その問いに、店の片隅で誰かがすすり泣く声が微かに聞こえた。
祖父は眉をひそめた。「普通は新郎が花嫁を抱えて入るから、足は地面につかない。でもタクミは腰を痛めててな、若い男四人で担いで入ったんだ。」
祖父の口ぶりに、少しだけ恥ずかしそうな色が混じる。昔からの風習を守りきれなかった悔しさか。
男の顔色が暗くなった。「花嫁を四人がかりで担ぐなんて、ずいぶん重いんですね。」
「そうかもな」と誰かが小声で呟いた。場の空気がまた重たく沈む。
男は花嫁をじっと見つめた。
その視線の先に、誰もが目をそらしたくなるような寒気が走った。
祖父の声が鋭くなった。「何が言いたいんだ?」
緊張した声。祝いの場にはふさわしくない気配がにじむ。
男は目を細めてささやいた。「俺は……花嫁が死体の花嫁だと疑っています。」
冷ややかな空気が、囲炉裏の炭火さえ冷ましそうな気配を残す。
祖父は大声で笑った。「若いの、俺は子供の頃、本物の死体の花嫁をこの目で見たことがある。あいつらには理性がない。生きてる人を見ると血を吸いに襲いかかる。人の中に静かに座っていられるはずがないだろう?」
祖父の笑い声が不自然に高く、宴の空気に妙な余韻を残した。誰かが「やめなよ」と小さく囁く。
男は花嫁から目を離さずに言った。「もし、額にお札が貼ってあったら?」
その瞬間、場の空気が一変した。祖父の手が震えるのがわかった。
その言葉に祖父の目が大きく見開き、顔に動揺が走った。声が震える。「まさか……そんなことないだろう?ここにいるのはみんな町内の者だ。本当に死体の花嫁がいたら、俺たち全員助からないぞ。」
誰かがごくりと唾を飲む音が聞こえた。私は心臓がバクバクと高鳴り、手が汗ばんでいた。
男は何も言わず、花嫁を睨みながら歩み寄った。
足音が畳に吸い込まれる。誰もが息を詰めている。
あと1メートルというところで、タクミが立ちふさがった。
タクミの着物の帯が少し緩み、顔は赤らんでいた。酒の匂いが強く漂う。
タクミは酒に酔ってふらつきながら男を指さした。「おい、なんだてめぇ!さっきからうちの嫁ジロジロ見てんじゃねぇぞ!まさか嫁を盗む気か?」
呂律が少し回らず、言葉の端々に苛立ちが滲む。祝い膳の皿がガタリと音を立てた。
その言葉に、テーブルの皆が立ち上がり、今にも男に襲いかかりそうな勢いだった。
宴のざわめきが一気に張り詰める。田舎の団結力は、時に嵐のように強い。
男は一歩も引かずに言った。「嫁を盗るつもりなんかない。この店には死体の花嫁がいる。俺はそれが花嫁だと疑っている。」
店内の空気がひりつき、誰かが「そんな馬鹿な……」と小声で呟いた。
タクミは男の顔に指を突きつけて罵った。「この野郎!お前の嫁こそ死体だ!騒ぎを起こすな。ぶっ飛ばすぞ!」
タクミの声に唾が飛び、店内のざわめきがひときわ大きくなる。
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