第2話:秘密の取り引き
従兄は五百円玉を俺の手に押し込んできた。冷たい銀色の硬貨が、やけに重く感じられる。
「受け取れよ。ここ半年、俺が距離を取ってると思ってたろ?」従兄の表情は少し寂しそうで、俺は曖昧にうなずいた。
「いや、ただ色々学びたいだけだ」と俺。
「お前を信じてないわけじゃない。この仕事は一歩間違えれば死人が出る。お前に危険な目に遭わせたくない。それに、半径五十キロ以内のルートは全部自分で命懸けで調べたんだ。この稼ぎは命がけで手に入れたものだ」
従兄の瞳には、誇りと覚悟が静かに灯っていた。その言葉の重みを、改めて胸に刻む。
「分かってるよ。たとえ今後一緒にやらなくても、このエリアでガイドは絶対しない。従兄さんは俺の師匠だ。生涯敬うよ」と、三本指の誓いを立てた。
地元の不文律の誓いに、従兄も少し照れ笑いしながらうなずいた。
「お前は誠実で慎重だ。信頼してる。数年頑張って、家に大きな家を建てような。お前も将来、いい家族を持てよ」と肩を叩かれる。
従兄の肩越し、ウシボスが潜り込んだテントが一定のリズムで揺れていた。
夜の静寂の中、揺れるテントの影が月明かりでぼんやりと映る。
俺が首をかしげると、従兄は袋から別のものを取り出した。得意げなその手つきは、まるで手品師のようだった。
四角いプラスチックパッケージ。「JAPAN SAFETY」と夜露に光る文字。
一つ千円——コンドームだった。
普段はドラッグストアでしか見ないものが、山では高級品のように売られる。その滑稽さと現実味に、思わず小さく笑ってしまう。
「お前の推理力を試してやるよ」と従兄が意地悪く笑う。「あのテントの中、誰がいると思う?」
俺は焚き火の残り火を見つめながら、グループの顔ぶれを頭の中で並べた。
彼らは一流企業の社員で、男女ともに高級ブランドのギアや最新スマホを持っていた。普段なら絶対に出会えない、都会の香りが漂う人たち。
女性陣は個性的だった。真理子はジム経営者で金縁メガネが似合う小柄なリーダー。美咲は上場企業の幹部で、暗赤色のショートに左目下のほくろが印象的。エリは長い髪と抜群の笑顔でモデル兼ダンス講師、どこか浮世離れしている。沙織は物静かで芸術家肌、手作りの布小物を愛用し、読書家。
俺は推理を巡らせた。「沙織は絶対ない。学生で教養もあるし、ウシボスと寝るわけがない」
「確かに」と従兄がうなずく。
「エリも違う。モデルでクールだし、他に寄ってくる男がいるはず」
「お、鋭いな」
「となると真理子か美咲。でも美咲は出世欲が強いタイプ。ウシボスに近づいて何か狙ってるかも」
「なるほどな」
「じゃあ、確かめてみよう」と従兄。
俺たちはテントの隙間からそっと中を覗いた。数分後、揺れが止み、ウシボスが太い頭を出してきた。
息を潜め、心臓の鼓動がやけに大きく響く。
ウシボスがズボンを引き上げてテントから出てくると、草が小さく音を立てた。
その瞬間、俺は目を疑った。
中にいたのは、寝袋にくるまった沙織——俺が最初に除外したはずの女性だった。
沙織の頬はほんのり赤く、寝袋から覗く足に黒いストッキングが絡まっている。彼女は呼吸を整え、視線を揺らしながら、そっと唇を噛みしめていた。
肩を手で隠し、髪は乱れ、寝袋から伸びた足が月明かりに妖しく光る。
ウシボスは自分のテントに戻り、沙織は半身をテントから出して、もう一度ウシボスにキスをした。
一瞬、二人の間に誰にも見えない絆が流れた。
その顔は、昼間の冷静さとは違い、幸せと恥じらいに満ちていた。
沙織は手で頬を隠し、目を細めながらウシボスの背中を見送っていた。
俺は寝袋の中で固まってしまい、心臓の鼓動だけがやけに大きく響いていた。
恥ずかしさと驚きで、しばらく身動きが取れなかった。
「人は見かけによらないな」と従兄が静かに言う。その声は夜の空気に溶けていった。
「じゃあ、なんで沙織だと分かったんだ?」
「みんながどこで寝てるか見てただけだよ、お前バカだな」
従兄の笑い声が、夜の山に響いた。