第2話:剥がされた名札
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被害者には「佐藤恵美(さとう えみ)」という仮名が与えられた。
警察の広報担当が慎重に名付けた仮名だった。実名の特定を防ぐため、報道でも一切顔写真が使われなかった。校区の保護者会でも「恵美ちゃん」と呼ぶことさえ憚られ、誰もが彼女の存在を腫れ物のように扱った。
手術後、彼女は一年間寝たきりとなり、退院できたものの、これからの人生でおそらく尿バッグと共に生きていかなければならないだろう。
リハビリの途中、病院の廊下を父親が車椅子を押して歩く姿を何度か見かけた。白衣の看護師が静かに廊下を歩き、病室の窓からは重い曇り空が覗いていた。母親の姿は一度も見なかった。白い壁と消毒液の匂いの中、恵美はどこか遠くを見つめていたという。
一方、加害者たちは全員14歳未満で、刑事罰の対象外。ただ親による厳重注意を受けるだけだった。
児童相談所が介入し、家庭訪問も何度も行われたが、結局「指導と経過観察」となっただけだった。加害者たちの親は、町内の寄り合いにも顔を出さなくなった。
保護者たちは金銭的な補償を命じられ、和解が成立すると、皆慌ただしく町を去った。
町内会の掲示板からは、加害者家族の名前がいつの間にか剥がされていた。掲示板の古びた木枠には紙の破片がまだ貼り付いており、夜中に誰かがひっそりと剥がしていったのだろう。翌朝、近所の主婦が無言でその掲示板を見つめていた。空き家になった家の前には、しばらくして「入居者募集」の貼り紙が出された。
2家族は車で1時間ほどの県庁所在地・静岡市へ、残りの2家族は親の転勤先である他県や他都市へと引っ越した。
子ども会や少年野球チームの名簿も、静かに書き換えられていった。古い名札は、誰にも見られぬようそっと外された。
まるで、被害者以外は誰も本当に傷ついていないかのようだった。
どこかよそよそしい空気。事件は既に過去のこと、とでも言うかのように、町の時間だけが淡々と進んでいった。
だが、すぐにその報いがやってきた。
春を迎えても、町の空気は晴れなかった。神社の境内には春祭りののぼりがはためき、鳥居の下では老人たちが「誰かが祟られている」と小声でささやき合っていた。けれど、例年よりも人出は少なく、夜になると遠くで太鼓の音だけが虚しく響いていた。事件の余波が、町の日常に染み込んでいた。