第3話:告発の真実
私の記憶の中の川島は、とても責任感の強い人でした。理奈がスクールバスを利用し始めてから、彼が遅刻したことは一度もありません。そんな彼が生徒に手を出すなんて、どうしても信じられませんでした。
毎朝、バスの前で帽子を取り、子どもたちに「行ってらっしゃい」と声をかけていた川島さん。彼の真面目な姿勢を、私は何度も目にしてきました。
そこで、私は理奈に改めて問いただしました。
「川島さんに触られたとき、あなたは何番目だった?その前は誰?後ろは?」
私はできるだけ穏やかに、事実を確認しようと努めました。理奈が嘘をつく理由など、あるはずがないと思っていたのです。
簡単に答えられるはずの質問なのに、理奈は長い間黙り込んでしまい、結局答えられませんでした。私はさらに詰め寄りました。「正直に言いなさい。本当に川島さんに触られたの?」
理奈は唇を噛み、目を伏せていました。やがて、声を詰まらせて泣き出してしまいました。
美咲は私を責め、「子どもを信じないなんて、親失格よ。親は無条件で子どもの味方をするべきでしょ」と怒りました。
美咲は声を荒げ、私をにらみつけました。「理奈の味方をしてあげて」と強く訴えました。
「川島さんが無実かどうかは警察が決めること。私たちには関係ない。最悪、謝ればいいだけよ。」
その言葉に私は言葉を失いました。確かに、親ができることには限界があるのかもしれません。
私は何も言い返せませんでしたが、確かに警察は私たちよりもプロです。善良な人を誤って罪に問うことはないでしょう。
美咲はため息をつき、茶碗を片付けながら「警察に任せるしかないわね」とつぶやきました。
警察はスクールバスの車内カメラとGPSを調べ、その日川島が規則通り運転していたことを確認しました。もし運転中に痴漢行為をしていたとしたら、物理的に不可能なはずでした。
警察署で説明を受けながら、私はホッと胸を撫で下ろしたのを覚えています。しかし、事態はそう単純ではありませんでした。
それでも警察は五人の子どもに科学的な鑑定を行いました。川島の指紋は検出されませんでしたが、微量のDNAが検出され、密接な接触の可能性は否定できませんでした。
その説明は難解で、私も美咲も不安なまま家路につきました。理奈も沈んだ表情のままでした。
最終的に、警察は「痴漢行為の直接的な証拠は見つからなかった」とあいまいな結論を出しました。
曖昧な調書を何度も読み返し、「これでは何も決まらないじゃないか」と、胸の奥が重くなりました。
この結果が出ると、親たちは激怒し、警察の調査がいい加減だと非難し、各所に苦情を入れました。
グループLINEは怒りのスタンプで埋め尽くされ、夜遅くまで誰かが不満を訴えていました。
数時間後、警察は声明を変更し、「被疑者が犯行を行った可能性を排除できない」と発表しました。
掲示板やLINEグループでは、「警察がやっと本気になった」といった声が飛び交い、噂がさらに広がっていきました。
この二つの声明はほとんど同じ意味ですが、効果はまったく異なりました。なぜなら、検察が二つ目の声明を根拠に立件したからです。
まるで「お墨付き」を与えられたように、親たちの怒りもヒートアップしていきました。
被害者が多く、全員女児だったため、検察は最高刑である七年を求刑しました。
「子どもを守る社会でなければならない」という声が地域の回覧板にも書かれました。裁判所前にはワイドショーのカメラも並び始めていました。
裁判はすぐに開かれ、川島は二人の証人を呼びました。一人は元上官で、川島が自衛隊時代に規律正しく、東日本大震災の救援活動で模範となった人物だと証言しました。そんな人間がこのような罪を犯すはずがない、と。
その元上官はスーツ姿で背筋を伸ばし、誠実な口調で川島さんの人柄を語っていました。
もう一人は川島の母親で、法廷で泣きながら「私が病気でなければ、息子はとっくに結婚していたはずです。息子はとても孝行で善良な子です。そんな悪いことをするはずがありません……」と訴えました。
春子さんは和服姿で法廷に立ち、嗚咽しながら息子をかばいました。その涙に、傍聴席の一部からもすすり泣く声が漏れました。
しかし、これらの証言は事件そのものとは関係がなく、結局真実は天のみぞ知るという状況でした。
傍聴席にいた私は、やり場のないもどかしさを抱えたまま、天井の蛍光灯を見上げていました。
最終的に裁判所は川島に痴漢の罪を認め、第一審で懲役五年の判決を言い渡しました。
裁判長の厳粛な声が響き、法廷に重い沈黙が流れました。
川島は法廷で控訴し、不服を訴えました。親たちは刑が軽すぎると不満を漏らしていました。
帰り道、親たちの間では「これで終わりじゃない」と息巻く声が続いていました。
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