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夫の隣は私じゃなかった / 第2話:嫉妬と誇りの宣戦布告
夫の隣は私じゃなかった

夫の隣は私じゃなかった

著者: 原 悠真


第2話:嫉妬と誇りの宣戦布告

2

私は怒りを飲み込むタイプではない。

私の母も、祖母も、誰かに不満があれば、はっきりと言葉にしてきた。私もその血を受け継いでいる。

私は春日夏晴(かすが なつはる)。不機嫌な時は隠すつもりもない。

「降りて。」

一瞬だけ言葉が喉に引っかかったが、私は迷わず吐き出した。背筋がすっと伸び、拳をぎゅっと握りしめる。

彼女は驚き、初対面で恥をかかされるとは思っていなかったようだ。

一瞬、目が泳いだ。

「す、すみません、西園寺夫人……」

白石瑠々は声を震わせ、しょんぼりと後部座席に移動した。

制服のスカートの裾を気にしながら、静かに体を縮めていた。

車内のエアコンの風が、湿った髪を冷やす。助手席の足元には、コンビニの袋がひっそりと置かれていた。

西園寺知景はLINE通話を終え、私たちの様子に気づき、私が怒っていることを理解した。

そのときだけ、彼のまつげがふわりと揺れ、少しだけ困ったような顔をした。

彼の顔には、困ったような優しさが浮かんだ。

彼は身を乗り出して、私のシートベルトを締めてくれた。

その手つきはいつもと変わらないのに、私の心はどこか遠く、微妙な隙間風が吹いていた。

助手席の位置が変わっているのに気づき、私はイライラしながら自分で元に戻した。

指先にわずかな力が入り、私の爪がレザーシートに触れた。

その一連のやりとりで、私はますます腹が立った。

「本当にムカつく。誰の許可で私の助手席をいじるの?」

車内の空気は一気に冷え込んだ。後部座席の少女は怯えて一言も発せず、じっとしていた。

静寂のなか、車のエンジン音だけが小さく響いていた。

西園寺知景は少し眉をひそめ、冷静な口調で「気分が悪いなら、今日は家に帰ろう」と提案した。

その声は相変わらず落ち着いていたが、どこか私との間に一線を引いているようにも思えた。

ルームミラー越しに、白石瑠々が静かに涙を拭っているのが見えた。

私はさらにイライラした。

「白石さん、だったわね?もう気分が悪いから、タクシーで帰りなさい。西園寺社長と私は家に戻るわ。」

私の声は、氷のように冷たかった。

彼女の顔は真っ青になり、西園寺知景に助けを求めるような目を向けたが、彼にその気はなかった。

彼女は絶望的な面持ちで車を降りた。

ドアが静かに閉まる音だけが、車内に余韻を残した。車外では、雨上がりのアスファルトからほのかに熱気とコンクリの匂いが立ち上り、タクシーのテールランプが遠ざかっていくのが見えた。

3

西園寺知景は決して人前で私に恥をかかせない。彼は常に感情のコントロールができる人で、問題があれば二人きりで解決する——それが長年の暗黙のルールだった。

私たちの家庭では、夫婦喧嘩も声を荒げず、感情のぶつけ合いもない。表に出すのは、いつも完璧な仮面だけ。

「彼女はまだ大学を出たばかりで、社会に出たばかりだ。そこまで怒らなくてもいいだろう?」

西園寺知景は私を腕の中に引き寄せた。

彼のスーツ越しに、わずかな体温が伝わる。柚子の香りの香水と、シャボンの柔軟剤がふわりと混ざり合う。

「初めてのことだ。」

「何が?」と彼は困ったように尋ねる。

私の視線は、車のフロントガラスの先、薄い夕暮れの空に向いていた。

「何年も一緒にいるのに、あなたが他の女性を助手席に座らせたのは初めてよ。」

彼は、私がそこを気にしているとは思いもしなかったようだ。

言われて初めて、自分の行動がどれほど特別な意味を持つかを悟ったようだった。

私たちの周囲は皆、西園寺知景がどれほど優秀か知っている。彼を好む女性は数え切れないほどいるが、彼は常に自分を律し、誘惑に流されることはなかった。どんな花も彼に触れることはなかった。

その姿勢が、私の誇りでもあった。

西園寺知景は薄く微笑み、私の髪を優しく撫でた。

「やきもちを焼くこともあるんだな。」

その言葉に、私は少し顔を背けた。

彼は身を寄せて私にキスし、鼻先が私の頬に触れた。

「彼女はただの部下だ。それだけだ。これからも、それ以外のことは絶対にない。」

彼は私の顔を両手で包み、まっすぐ私の目を見て、低く穏やかな声で約束してくれた。

その目には、いつも通り一点の曇りもなかった。

4

女の勘は滅多に外れない。

祖母がよく言っていた。「女の心配は、たいてい当たるものだよ」と。台所で味噌汁をかき混ぜながら、母も「疑うくらいなら先に釘を刺しておきなさい」と私に言った。浴衣姿の祖母が、ふと真顔になるときの眼差しを思い出す。

白石瑠々と会ったのは一度きりだったが、彼女が西園寺知景に好意を持っていることはすぐに分かった。

私は警告すれば十分だと思っていた。だが翌日、オークションで私のために落札されたはずのネックレスが、彼女の首にかかっていた。

銀座の照明の下で、その三日月型のダイヤが一層鮮やかに光っていたことを想像して、息が詰まった。

西園寺知景の主席アシスタント・小野(おの)が、写真とInstagramの投稿のスクリーンショットを送ってきた。

小野は同期で、かつて私と一緒に女子会に参加したこともある、情報通な女性だ。

写真には、三日月型のダイヤモンドネックレスが白石瑠々の白い首にかかり、彼女を一層可愛く見せていた。

目は腫れて赤かったが、唇には笑みが浮かんでいる。昨夜、泣き腫らした後、誰かからプレゼントをもらったのだろう。

画面越しでも、その感情が伝わってくるようだった。

スクリーンショットには白石瑠々の投稿があった:

「社長が言いました、女の子は傷ついても強くいなきゃって。」

「涙を拭いて。はい、社長!」

可愛いガッツポーズの絵文字と、箱に入ったネックレスの写真も添えられていた。

その瞬間、私の血は凍りついた。

認めたくはないが、私はひどく挑発され、取り乱しそうになった。まるで真っ白なハンカチに赤いインクが一滴落ちたような、耐えがたい感覚だった。

心臓がばくばくと音を立てているのを、胸に手を当てて確かめてしまった。

こんな気持ちは初めてだった。事実を無視してでも、真っ赤なレクサスを180キロで飛ばしてあの女をぶん殴りに行きたい衝動に駆られた。

だが、自分の手を見つめて、そんな小賢しい女のレベルに落ちるのは私の品位に合わないと思い直した。

母の教えが、頭の中で静かに響いた。「女は負ける時も美しくあれ。」

代わりに、銀座のエルメス担当・文乃(あやの)に電話した。

文乃は嬉しそうに、興奮を隠しきれない様子だった。

「西園寺夫人、ご安心ください。店の在庫を全部かき集めてでも、全てのネックレスを用意してお届けします!」

文乃の声に、私は思わず笑みをこぼした。戦い方は人それぞれだ。

その日、仕事が終わる前に、西園寺グループ本社の社長室の女性役員・アシスタント全員——白石瑠々を除く合計46人——に、社長夫人から豪華なプレゼントが届いた。

一つ120万円のエルメスのネックレス。

金額はオークションの2000万円のネックレスには及ばないが、数で十分カバーできる。全員に平等だ。

その包装には西陣織のリボンが結ばれ、指先でなめらかな手触りを感じながらスタッフが小声で「ありがとうございます」と礼を言う。日本的な贈答文化の細やかさを込めた。

小野は完璧に段取りを組み、全員にInstagram投稿を義務付けた。

「社長夫人曰く、すべての女の子はもっと良いものを手にする価値がある。」

「ガッツポーズ!はい、西園寺夫人!」

受け取った人々はもちろん喜んで投稿した。アシスタントや社長室スタッフは会社中の噂の中心だ。社長夫人から贈り物をもらったなら、誰だって自慢したくなる。

エルメスの紙袋が社内に並ぶ様子は、さながら春の祭りのようだった。

気の利いた人は「西園寺夫人、やり方が上手すぎる」と一言添えた。

アシスタントたちの影響力は大きくないが、社内の情報拡散力は抜群だ。30分も経たずに、社長夫人がエルメスのネックレスを配ったという話が社内全体に広まった。理由は、各部署の噂グループで大騒ぎになった。

昼休みのカフェスペースでは、その話題で持ちきりだったらしい。

白石瑠々の顔は真っ青になり、屈辱に耐えきれず、目を赤くしてトイレでダイヤのネックレスを外した。鏡に映る自分の目が、泣き腫れて真っ赤だった。化粧ポーチの中身をぼんやりと眺め、孤独感と屈辱に胸を締めつけられる。

そこへメイク直しに入ってきた同僚二人が、彼女を見て意味深な笑いを交わした。

その小さな笑い声が、個室の鏡越しに何度も反響した。

白石瑠々はうつむいて急いでトイレを出たが、背後の嘲笑はますます大きくなった。

頬を真っ赤にしながら、ネックレスを箱に戻し、そのまま西園寺知景に返した。

箱の蓋を閉じる手が、かすかに震えていた。

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