第3話:密室の目覚めと再会
再び目を開けると、そこは真っ暗な密室だった。
畳の上に敷かれた薄い布団、壁には時代を感じさせる墨絵が掛けてある。障子の隙間から漏れる淡い光が、ほのかに部屋を照らし、空気は湿っぽく、古びた木造の家屋特有の匂いが鼻をついた。布団の感触や畳の冷たさが、現実味を強く感じさせた。
目の前には半分だけ残った濃い緑色の薬湯が置かれ、その湯気がたちのぼり、苦みと草の香りが入り混じる。幼い頃、祖母が風邪を引いた時によく煎じてくれた漢方薬の匂いが、鼻の奥を刺激する。
口の中に残る酸っぱく苦い味からして、もう半分はすでに胃に収まっているようだ。
喉の奥に、胃から上がってきたような苦味が広がる。舌先でその名残を舐めると、どうにも不快だった。
私は素早く気を巡らせ、体内の毒を排出した。呼吸を整え、腹の底に力を込める。前世で磨き上げた気功の技術は、未熟な肉体でもかすかに使えた。
この薬――見覚えがありすぎる。
前世で道場に入ったばかりの頃、才能を妬んだ者たちがよく食事にこの毒を混ぜていた。
食卓に並ぶ味噌汁や漬物の中に、違和感を覚えたことは幾度もあった。その度に自分を守る術を覚えていったものだ。
幸い私は用心深く、修行も早かったので、油断したことはなかった。
この毒は肉体を害するのではなく、魂を直接蝕む。普通の人間に使えば、死因が自然死に見えるだけだ。まるで現代の医学でも解明できないような、恐ろしい呪術だった。
私はこの見知らぬ肉体を一瞥し、机上の毒薬を見て全てを理解した。
肉体は細身で手も荒れていない、明らかに武芸と無縁の生活を送っていた男だ。
この体の前の持ち主は、ただの普通の男で、ここで毒殺されたのだ。
私の魂がたまたまその隙に転生したというわけだ。
だが、なぜ修行者がわざわざ凡人に復讐する必要があるのか?
一体誰が彼の命を狙ったのか?
密室の薄暗い天井を見上げ、喉の奥で唸るように問いかけた。
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考え込んでいると、二人の気配が密室に近づいてくるのを感じた。
障子越しに、紙がわずかに揺れる音と、草履が畳を擦る感触がかすかに伝わってくる。修行者の耳は、こういう些細な物音も聞き逃さない。
修行者の五感は常人をはるかに凌ぐ――二人の会話も簡単に聞き取れた。
壁一枚隔てていても、声の震えや足取りの速さまで、手に取るように分かった。
やってきたのは男女一組だった。
「先生、本当に……本当に尚人は……」
女の言葉はすすり泣きに変わった。なぜか、その声に聞き覚えがある。
遠い記憶の底から湧き上がる懐かしさに、胸がざわついた。
「天女様から授かった霊薬すら効果がなかった。もはやこの世に彼を救える者はいない。」
「でも……天女様はどんな罪人でも見捨てないと……」
「天女様は確かに慈悲深い。しかし、お前の夫・尚人は邪念を抱き、信仰心が足りなかった。だから――」
男がそう言いながら密室の扉を開け、呆然と立ち尽くした。
扉の向こうから差し込む光が男の顔を浮かび上がらせた。その表情には驚愕と恐怖が入り混じっていた。
「尚人、お前……まだ生きているのか?」
私は歯に挟まった毒のカスを見せつけるようにニヤリと笑った。
「尚人! よかった、生きてる、本当に生きてる!」
突然、女が駆け寄り、私の腕に飛び込んで泣き崩れた。
肩が震え、涙が畳にぽつぽつと落ちる。その温もりが、心の奥の氷を溶かしていくようだった。柔らかな髪が頬に触れ、胸の奥が熱くなる。しがみつく力に、本気の安心と喜びが込められているのが伝わってきた。
心が大きく揺れた。
目の前の女性は、前世の姉弟子と瓜二つだった。
当時、私たちの道場には二人の天才がいた――私と姉弟子だ。春先の道場は梅の香りが漂い、姉弟子は「焦るな、焦るな、剣の道は一歩ずつだよ」と、よく私の肩を叩いて微笑んだ。
「一山に二虎は棲まず」と言うが、姉弟子は私をライバル視したことは一度もなかった。
むしろ、私が入門してからというもの、修行の心得を惜しみなく分け与えてくれた。
誰かが私を害そうとすれば、必ず身を挺して守ってくれた。
私の修行が姉弟子を超えても、心から祝福してくれた。
後に私たちは道場代表として武道大会に出場したが、敵対流派が共謀して私たちを罠に嵌めた。
私は傲慢さゆえにその罠に飛び込んでしまった。
その決定的瞬間、姉弟子が私を突き飛ばし、自ら雷撃を受けて命を落とした。
その日以来、私は他の女性と関わることなく、修行一筋となった。
やがて九州第一の剣士となり、剣数振りで仇敵の流派を滅ぼしたが、姉弟子だけは二度と戻らなかった。
あの時、道場の床に残った血痕を見つめながら、何度も後悔の涙を流したものだ。
なのに今、彼女が私の腕に飛び込んできた。
「美咲……また会えたんだな……」思わずその名を呼んでしまった。
驚いたことに、彼女の名も前世の姉弟子と同じだった。
「大丈夫よ、尚人。これからは毎日一緒にいられるから。」
涙で濡れた彼女の顔を見て、胸の奥から温かいものがこみ上げてきた。
そして、揺るぎない決意が芽生えた。
前回は救えなかった。
今度こそ、何があっても彼女を守り抜く。
姉弟子の魂が、美咲という形で戻ってきてくれたのかもしれない——そんな錯覚さえ覚えた。
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