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裏切りの御曹司 / 第5話:再び、深海へ
裏切りの御曹司

裏切りの御曹司

著者: 森川 ことり


第5話:再び、深海へ

私の妥協は、逆に皆の疑念を深めた。

「やっぱり認めたんだ」「逃げたな」という声が、さらに大きくなった。

警察は証拠不十分で釈放してくれたが、

それでも周囲の目は冷たかった。家の前でマスコミが待ち受け、近所の人もひそひそと噂していた。

プロのダイビングライセンスは完全に剥奪された。

協会の理事会は短い通知だけを送り付けてきた。「あなたの行為は、ダイバーの名誉を著しく傷つけた」とだけ書かれていた。

釈放の日、藤堂氏と息子が記者を引き連れて私の前に現れた。

彼らの登場は、まるで勝者の凱旋のようだった。周囲の記者たちは、彼らの一挙一動を写真に収めていた。

藤堂涼真はすっかり回復し、私を見下すような目で言った。

「身の程知らずに逆らった罰さ。たかがダイバーのくせに、俺に手を出すとはな」

その口調は、かつて見せた弱さとは別人のようだった。

彼は得意げに私の肩を叩いた。

「もう二度と潜れないだろう。でも俺はお前の記録を破って、国のスターになる。これはお前が俺に償うべきことだ」

その傲慢な表情に、殴りたい衝動に駆られた。

拳を握りしめる手が汗ばみ、歯を食いしばった。だが、ここで何かすれば全てが水の泡になると自分に言い聞かせた。

半月前、水中で彼はパニックになり、私に助けを求めていたのに、今や私の人生を破壊した。

そのギャップに、怒りと虚しさが入り混じった。

だがメディアの前で、私は何も言えなかった。

記者たちはカメラを構え、私の一挙一動を待ち構えていた。言い返せば、さらに叩かれるだけだった。

藤堂氏は老獪な目で私を見つめ、まるで年長者のように言った。

「幸い息子は無事だったが、そうでなければお前は済まなかったぞ。人間は地道に生きるべきだ。一時の栄光など意味はない。足元を固めてこそ、遠くへ行ける」

その台詞はどこか説教じみていて、私の神経を逆撫でした。

私はさらに怒りがこみ上げた。

かつて涙ながらに私に息子の救出を頼み、『高瀬先生』と呼び、高額でコーチを依頼してきた。

私の実家にも贈答品を届けてくるほど低姿勢だったのに、今や一転して私を追放者扱いだ。

だが結局、真実には興味がなかったのだ。

「世間体と名誉。それだけが彼らにとって全てなのか」と、内心で唇を噛んだ。

記者たちが再び私を取り囲む。私は黙ってその場を押し切った。

「もういい」と小声で呟き、その場を離れた。

この腐った出来事はこれで終わりにしよう——そう思った。

だが藤堂涼真は、まだ私を許さなかった。

彼はネットで私の行為はプロ失格だと吹聴した。

「こんな奴が世界記録を出したなんて信じられない」

自撮り動画の中で、彼は何度も私の名前を出し、「ダイバーの恥だ」と断言した。コメント欄には「永久追放賛成」といった書き込みが並んだ。

すぐに、元生徒だという人物が現れ、私が間違った技術を教えたと言い出し、元チームメイトは私が手柄を横取りしたと非難した。さらに、私はいつも仲間を先に潜らせて安全を無視していたという証言も出た。

ネットの“祭り”は続き、私の過去までほじくり返された。あらぬ噂が一人歩きし、知人からも距離を置かれた。

皆が私の評判を奪おうと騒ぎ立て、私が名前を変えて再び害を及ぼすのではと恐れた。

私は大友尚人を訪ねた。彼は藤堂涼真の専属コーチになっていた。

「久しぶり」と声をかけると、彼は申し訳なさそうな顔で「タケル、悪いな…」と目をそらした。

彼は両手を広げて「仕方ないよ、家族のために金が必要だったんだ」と言った。

彼の苦しげな顔からは、彼なりの葛藤が伝わってきた。家庭の事情で背負うものが増え、彼も生きるために選んだのだろう。

だから彼は私の潔白を証明する手助けはしてくれなかった。

「世間の流れには逆らえない」と彼は小さく呟いた。

私の無実を知る身近な人ですら、どうすることもできなかった。

「誰も悪くないさ」と、自分に言い聞かせるしかなかった。

世論の前では、死んだふりをするしかなかった。

SNSのアカウントを削除し、家族とも連絡を絶った。夜の長い静けさが、やけに身にしみた。

私は貯金を持って小さな町に引っ越し、新しいアカウントで匿名でダイビング知識を発信し始めた。

海沿いの静かな町で、朝は漁師たちが網を干し、夕方には子どもたちが堤防で遊んでいる。私は小さなアパートで、一人パソコンに向かった。

徐々にフォロワーが増え、広告収入でなんとか暮らしていた。

「いつか本当の自分を知ってくれる人が現れるかもしれない」——そんな淡い期待だけが、私を支えていた。

一年後、また藤堂氏から電話がかかってきた——

藤堂涼真が、またあの洞窟で動けなくなったのだ。

部屋の静けさの中、スマホの画面に「藤堂」の文字が浮かび上がる。その瞬間、心臓が小さく跳ねた。

着信音がやけに響く。「またか」と呟きつつ、私は深くため息をついた。心の奥では、決断を迫られていた。

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