第1話:紅葉洞窟の悲劇
裕福な家の御曹司、藤堂涼真は、今日も限界ギリギリの深海に挑もうとしていた。
その育ちの良さは、普段の所作や言葉遣いにも自然とにじみ出ている。しかし、彼の誰よりも自分の限界に挑む激しさは、家柄に似合わぬほどだった。まるで自分の存在意義を証明するかのように、涼真は新たな危険や記録へと身を投じていく。
世界記録を狙い、一人で六十メートルの深い洞窟に潜った彼は、ついに身動きが取れなくなってしまった。
その日、彼が選んだのは、ベテランダイバーですら躊躇する難所。現場にはパトカーのサイレンが遠くで鳴り響き、コンビニのおにぎりを片手に立ち尽くす親族や、缶コーヒーの空き缶が無造作に並ぶ岸辺に、警察や消防、そして藤堂家の家族が祈るような面持ちで見守っていた。
私はダイバーとして、彼を救うためにほぼ丸一日を費やした。
眠気と疲労に意識が霞みそうになる中、洞窟の地形や潮の流れを何度も頭の中で反芻しながら、水中ライトの微かな光を頼りに彼の元へ向かった。器材を確認するたび、潮の香りが鼻をつき、足元には濡れた砂利がじっとりと貼り付いていた。
だがその後、彼はメディアと結託し、私が水中で彼を殺そうとしたと告発した。
あの日の苦労と緊張が、一瞬で冷たい裏切りに変わる。記者たちが自宅や職場に押し寄せ、無遠慮な質問が浴びせられた。
彼を気絶させたのは最終手段だったが、私の評判は地に落ち、長年準備してきたダイビング大会も中止となった。
大会は私の人生そのものだった。それを奪われた喪失感と悔しさは、言葉にならない。知人や後輩たちも距離を置き始め、SNSのフォロワーも急速に減っていった。
さらに、プロのダイビングライセンスも剥奪された。
都内の協会本部で、委員会の前に頭を下げて説明したが、誰も耳を傾けてはくれなかった。場の空気は重く、全員が最初から私を悪者だと決めつけているようだった。
一年後、同じ御曹司がまた無謀な挑戦をし、再び洞窟で動けなくなった。
彼の自暴自棄とも言える行動に、周囲も呆れ顔で成り行きを見守る。藤堂家は再び慌ただしく動き、警察もメディアも集まる。
そして、そのエリアで彼を救出できるのは私しかいなかった。
私の名を呼ぶ声は、今度は完全にすがるようなものへと変わっていた。
ウォームアップを終えたばかりの時、緊急の電話が鳴った。
スポーツバッグを片付けようとしていた私の手が止まる。甲高い着信音が、胸騒ぎを呼び起こした。
「タケル先輩、ニュース見ました?あの藤堂家の坊ちゃん、またやらかしたみたいですよ。洞窟で行方不明だって——生きてるか死んでるか分からないらしいっす」
後輩の森下が、やや興奮混じりの声でまくしたててくる。心配と野次馬根性が入り混じった響きだった。
もちろん、私はすでに知っていた。
こうしたトラブルは業界仲間や救助隊のグループLINEですぐ回ってくる。スマホの画面にはすでに複数の通知が並んでいた。
ダイビングのルールでは、必ず二人一組の「バディ・システム」を守るのが日本の常識。単独潜水は“家出”並みに無謀とされ、事故が起きれば現場の判断が厳しく問われる。
だが藤堂涼真は、ネットでの注目を狙い忠告を無視して単独で潜った。
SNSで自撮りを繰り返し、派手な演出を好む彼の投稿は賛否両論だったが、フォロワーの多さからスポンサーもついていた。
しかも、彼が選んだのは紅葉洞窟——私以外に成功した者はいない場所だ。
“魔の洞窟”と呼ばれる紅葉洞窟は、ごつごつとした岩が複雑に絡み合い、全長七キロ、最深部は八十二メートルにも及ぶ。奥に行くほど進むのが難しくなる。
洞窟の壁には苔が薄く生え、光も届かない。静寂の中、時折自分の心臓の音が遠く響く。迷えば命の保証はない。
私でさえ十二年の経験を持ちながら、命を落としかけた場所だ。ましてや経験一年の涼真には到底無理だ。
水中の流れや温度、岩の隙間の狭さまで体で覚えている私ですら、パニック寸前に追い込まれた。彼が無事でいられるはずがないと、胸の奥で確信していた。
彼のライブ配信をネット中が見守っていた。だが五時間前、機材を落とし洞窟の曲がり角で身動きが取れなくなった。
ライブ配信は途中で途切れ、「助けて」という小さな声だけが記録に残る。ネットには心配と炎上を期待するコメントが溢れた。
藤堂家が雇ったダイバーも救助に向かったが、全員途中で引き返してきた。彼らの技術ではたどり着けなかったのだ。
救助隊は肩を落として戻り、悔しさや恐怖、責任の不安が表情に滲んでいた。
呼びかけにも反応がない。
ダイバーたちが水面に顔を出し、「反応ありませんでした」と淡々と報告する。岸辺には親族が集まり、母親は涙ぐみながら手を合わせて祈っていた。
息子を救いたい一心で、藤堂氏は私の元を訪れ、救出の報酬として分厚い封筒——五千万円を差し出した。
震える手で「どうか、どうか息子を助けてください」と深々と頭を下げる姿は、かつての威厳とはまるで別人だった。
私は冷静に尋ねた。「もし亡くなっていたり、帰還途中で事故があった場合、私が責任を負うことになりますか?」
過去の経験から、救助中の予期せぬ事故のリスクが頭をよぎる。法的リスクや世間体を考えれば慎重にならざるを得なかった。
最後の配信映像から、彼が最も危険なポイントに閉じ込められていると判明した——一人しか通れない狭い場所だ。
そのルートは、私ですら装備を岩にぶつけてしまったほど難所。命を繋ぐ保証はなかった。
誰もが沈黙し、岸辺には張り詰めた緊張感が満ちていた。パトカーのサイレン、波の音、そしてコンビニ袋のカサカサした音だけが耳に残った。
藤堂氏は長い沈黙の後、ため息をつき「とにかくやってみてくれ」と呟いた。
私は一礼し、「やれるだけのことはやる」と心の中で誓った。藤堂氏の目は祈るような色をしていた。
すぐにチームメイトと装備を整えた。
器材を一つ一つ確認しながら、大友尚人と小声で打ち合わせをする。酸素ボンベ、ヘッドライト、予備バッテリー、ロープ、救助用ナイフ——点検する手が、普段より慎重になる。
潮の香りが鼻を刺し、濡れた砂利が足元にまとわりついた。夕方には水中の視界が悪化し、救出はさらに困難となった。
日が沈みかけ、紅葉洞窟の入口は青紫色の影に包まれる。湿った空気が肌にまとわりつき、緊張感がピークに達した。
藤堂涼真の酸素ボンベは、夜までもたない。
酸素の残量と帰還ルートを計算し、何度も頭の中でシミュレーションした。時間との戦いだ。
記憶を頼りに、複雑なルートを避けて進んだ。
水中の闇の中、微かな岩の感触と自分の呼吸音だけが頼りだった。私は何度も深呼吸し、冷静さを保とうとした。
二時間以上かけ、ようやく彼の元にたどり着く。
ライトが彼の顔を照らすと、絶望と安堵が交錯した表情が焼き付いた。
今度こそ、全てが終わる——はずだった。