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裏切りの体温 / 第1話:疑惑の朝、濡れた紫陽花の下で
裏切りの体温

裏切りの体温

著者: 阿部 美琴


第1話:疑惑の朝、濡れた紫陽花の下で

妻は今、体外受精(IVF)に挑戦している。

今日はいよいよ採卵の日だ。

朝から小雨が降り、どこか心細い気持ちで病院の受付を済ませた。院内には消毒液の匂いが漂い、受付横の雑誌ラックには週刊誌が山積みになっている。待合室のテレビからは朝の情報番組の音が流れ、窓の外にはしっとりと濡れたアジサイが静かに咲いていた。瑞希はいつもよりも少し緊張した表情だったが、私に向かって小さく微笑み、気丈に振る舞っていた。

手術が始まって間もなく、医師が手術室から慌てて飛び出してきて、私に詰め寄った。「今日手術って、ご存知でしたよね?……なのに、どうして昨夜、奥さまと……」

私は呆然とした。言葉が喉で絡まり、ただ医師の視線に圧倒されていた。

妻が体外受精をしているため、私たちはもう五ヶ月以上夫婦生活を持っていなかった。

【1】

まるで頭を殴られたような衝撃で、頭の中が真っ白になった。気がつけば、待合室の時計の針が静かに動く音、隣の席の雑誌をめくる音までやけに大きく聞こえていた。

医師は私を叱ったあと、手術室に戻ろうとした。

私は事情を説明したくて、慌てて声をかけた。「私は……」

医師は苛立った様子で、ため息をつきながら言い放った。「あなたが『していない』と言ったからって、それが事実になるわけじゃありませんよ?」

「一昨日も、患者さんが風邪を隠して手術を受けて、手術台で気管支痙攣と気道閉塞を起こして……いまだにICUにいます。だから、私たちは事実を重視します。嘘をつく患者さんやご家族を、私は何度も見てきました。」

手術室から出てきた医師は女性だった。きっと私のことも、自分のことしか考えない無責任な夫だと思ったのだろう。病院の廊下の蛍光灯が妙に眩しく、その鋭い視線に胸の奥がじくじくと痛み、無意識に指先が震えた。

うまく説明できず、私はせめて自分の立場だけでも伝えた。「私も医療関係者です。体外受精のための排卵誘発中は性交を避けるべきだということは知っています。」

「ですが、どうやって妻が昨夜性交したと判断されたのですか?」

女性医師は私を一瞥し、少しだけ声を和らげた。「本日の経膣超音波ガイド下採卵で、患者さんのすべての卵胞がすでに早期排卵しているのを確認しました。」

私は驚いた。「すべての卵胞が排卵済みなんですか?」

「はい、一つも採卵できませんでした。」

体外受精で子どもを望む夫婦にとっては、いくつもの難関を突破するようなもの——健康診断、排卵誘発、採卵、受精卵選別、移植、そして着床を待つ……

まさか採卵の段階で失敗するとは思いもしなかった。

生死を見てきた医師である私でも、本当に悔しかった。無力感が喉元までせり上がる。思わず拳を握りしめていた。

だが、女性の早期排卵にはさまざまな要因がある。運動や自転車、精神的ストレスなども引き金になる。必ずしも性交が原因とは限らない。

私はその疑問を口にした。

女性医師は同情するように私を見て言った。「それでは、はっきり申し上げます——

患者さんの膣壁と子宮頸部は著しく腫脹し、充血しており、点状の出血や上皮の剥離も見られます。

さらに、患者さんは規定通りに排卵誘発剤を接種していますので、早期排卵は防げるはずです。

これらを総合的に判断すると、患者さんが術前の指示に従わず、性交した可能性が高いと考えています。」

医師の口調はさらに柔らかくなった。「もちろん、あくまで私たちの推測です。詳しいことは奥さんご本人と話し合ってください。」

この章はここまで

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