第5話:福岡の夜に溶けて
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帰り道、バス停に向かいながら僕の足は震えていた。
駅前のネオンがにじんで見え、夜風が頬に冷たかった。
田島さんも青ざめて、「ああ、死ぬかと思った。」
田島さんの額にも冷や汗が光っていた。
「今日はお疲れ様でした。今度ご馳走しますよ。」
僕は深く頭を下げて礼を言った。
「怖すぎて飯も喉を通らん…でも今日、あの言葉を本当に信じたよ。」
田島さんがポケットからタバコを出し、火をつける手も震えていた。
「何の言葉ですか?」
僕は改めて聞いた。
「知識は力なり、ってやつだ。」
田島さんの言葉が、妙に重く響いた。
その夜、街に灯りがともるころ、僕はエンターテインメントクラブに向かった。フロントの女の子がにこやかに声をかけてきた。「お客様、何名様ですか?」
クラブの入口には、ビロードのロープと、赤い提灯がぶら下がっていた。畳の上には靴が整然と並び、受付の女性は慣れた手つきで会員証を確認していた。客層も様々で、スーツ姿のサラリーマンや年配の紳士が談笑している。
「一人です。」
僕の声は少し上ずっていた。
「お風呂、マッサージ、カラオケ、どちらに?」
フロントの女性は、慣れた笑顔で案内してくれた。
「人に会いに来ました…」
少し声を潜めて言った。
「あ、そうなんですね。」受付嬢は微笑んだ。「女の子、ご指名ですか?」
「25です。」
その名前を口にするとき、少しだけ胸が高鳴った。
柔らかな照明の個室でしばらく待っていると、25がドアを開けて入ってきた。前と同じ、薄化粧で、特別美人ではないけど、どこか落ち着く。まるで日本酒のように、まろやかで余韻が残る感じだ。
部屋の空気がふわりと和らぐ。彼女の歩き方はゆっくりしていて、カラカラとしたヒールの音が畳に吸い込まれていく。
彼女は入ってきて何か言いかけたが、プロの笑顔が一瞬固まった。それからまた微笑んで、「なんだ、あなた?」
「僕だよ。ダメだった?この前、初回は無料って言ったよね?」と僕は笑って返した。
彼女の微笑みの奥に、どこか懐かしさと、ほんの少しの照れが混ざっているように感じた。もう、あの夜の自分とは少し違う気がした。僕はその時、25の隣に座った自分が、ようやく福岡の夜に溶け込めた気がした。