第4話:1億円の朝と裏返る世界
高橋隼人は沈黙した。かすかに布と肌が擦れる音だけが聞こえる。
(緊張で、時間がゆっくり流れている気がした。観覧席の息遣いすら聞こえてきそうな静けさ。)
もうすぐ、絶対に毒舌で返してくるはず。
(私も、心の中で「早く」と呟いた。いつもみたいに、鋭い言葉で切り返してほしい。そうすれば、場も和むのに……)
だが、低く嘲るような笑い声のあと、あっさりと電話が切られた。無情な発信音がスタジオの喧騒にかき消される。
(え?切るの?そのまま無言で終わるなんて、想定外だ。スタジオの誰もが一瞬フリーズする。)
司会者は気まずそうに笑って場をつなごうとした。
「やっぱり高橋さん、本当に徹夜明けでお疲れのようですね。」
(MCの苦笑いが、妙にリアル。プロでも、こういうときはさすがに困るのだろう。)
コメント欄は再び大荒れ。
【コメント:ほらね?話す気もないんだよ、美月。空気読め。】【コメント:やっぱり相性いいわ。高橋さん本当に寝てる——2時間前は江里奈と一緒にベッドだったかも、泣泣泣。】【コメント:美月、消えて。あなたが第三者ってわかってたのに、庇ってあげたのに。裏切り者はいつか報いを受ける。】
(誹謗中傷のコメントが滝のように流れ、心がざらつく。芸能界の洗礼というやつか……)
泣きたくなった。普段なら高橋隼人の毒舌は自分でも頭痛くなるくらいなのに、肝心な時に限って頼りにならない。
(スマホをぎゅっと握る。いつもなら「もうやめてよ」と冗談で流せるのに、今日は全然うまくいかない。胸が締め付けられる。)
カメラはしつこく私のスマホを映し続けている。
(もうやめて……と心の中でつぶやく。どこまでも追い詰められている気がした。)
私は眉をひそめてLINE画面を閉じようとした、そのとき、画面上部に通知がポップアップした。
【あなたの三井住友カード(末尾8975)に、9月11日08:13、他行から1億円のリアルタイム送金がありました……】
(目を疑う。まさか、こんな展開になるとは……。控えめに震える指先でスマホを持ち直す。)
……
1億円?
(その桁の多さに、口がぽかんと開いた。スタジオ中がざわつく。さっきまでの緊張が一気にどよめきに変わった。)
高橋隼人、絶対寝ぼけてる。
(朝のぼんやりした頭で、間違えて押したのだろうか。それとも、わざと?そんなわけないよね……)
この金額、まるで三途の川の渡し賃みたいだ。昔話で聞いた、あの世に渡るための六文銭……。でも、これは桁が違いすぎる。
スタジオ中が騒然となった。みんなそのゼロの数に目を見張り、呆然としている。
(スタッフがあたふたと動き回る。誰かが「確認して!」と小声で叫ぶのが聞こえる。)
司会者が思わず口をついた。
「高橋さん、本当にこれ送金したんですか?」
(MCの声に、観覧席の人々が一斉にこちらを注目する。注目されるのがこれほど怖いとは思わなかった。)
「いやいや、たぶん番組のギャラじゃないの……」
(スタッフが慌ててフォローに入る。その場しのぎの言い訳が、逆に場を混乱させていく。)
「ギャラ」の「ギ」の字も言い終わらないうちに、高橋隼人からのメッセージがチャット画面に次々と表示され始めた。
【ちょっとしたお金はお前のもの。】
【本当に何も着てない。】
【勇気があるならビデオ通話に出てみろ。】
(携帯が震え、画面の明かりがスタジオの照明よりも眩しく感じる。まるでドラマのワンシーンみたいだ、と冷静に思う自分がいた。)
次の瞬間、スタジオ中にビデオ通話の着信音が響き渡った——
(観覧席もスタッフも一瞬息を呑む。誰もが、次の展開を固唾を呑んで見守っている。私はスマホを手に、人生で一番不思議な朝を迎えていた。次の瞬間、世界が裏返る音がした——)
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