第2話:ひとりきりの食卓と夜
両親が離婚した後、私は八歳で山の木造の家に一人残された。
家の柱には幼い頃の背比べの傷が残っていた。誰も見てくれないその傷を、私は指でなぞることしかできなかった。
誰も私を気にかけてくれなかった。
近所の人たちも、誰も私の家に寄り付かなかった。時折、玄関先に小さな野菜やおにぎりが置かれていることがあったが、それはあくまで“ついで”でしかなかった。
何日も髪を洗わなくてもよかった。
お風呂も自分で薪を焚いて沸かす。面倒なときは洗面器で済ませた。髪がゴワゴワして、手櫛さえ通らなくなっても、誰も注意しなかった。
泥の中で転げ回ることもできた。
泥だらけのまま駆け込んだ時、膝についた泥が乾いてパリパリと突っ張る感触が残った。川の水で泥を洗い流すと、つめたさがじわっと足にしみた。制服が汚れても、洗うのも干すのも自分だった。
高い木に登って野生の柿を採ることもできた。
木の上から町を見下ろし、どこまでも自由な気持ちになった。手を伸ばせば、ほんのり渋い柿が取れた。
小川の一番深くて危険な場所まで泳いでいけた。
友達は「危ないから絶対ダメ!」と母親に言われている場所だった。けれど、私には止める人がいなかった。
友達たちはとても羨ましがった。「親が自分を気にしなければいいのに。」
「泥だらけで帰ったら、うちの母ちゃんにめちゃくちゃ怒られるよ。」
「うちは川で泳ぐのも禁止されてるし。」
…
夕暮れ時、炊事の煙が立ち上る。
冬の夕方、町の家々から薪やガスの煙が空に昇る。その煙が茜色の空にゆらめき、どこからともなく味噌汁や焼き魚の匂いが鼻をくすぐる。空はオレンジから紫に染まり、田舎の静かな夕方が町を包み込んでいた。
町中に声が響く:
「直樹、どこ行ったの?」
「陽斗、ご飯だぞ、早く戻れ!」
「彩香、ご飯できたよ!」
…
みんな家に帰らなきゃいけない。
あの時間帯だけは、町全体がやさしくて温かいものに包まれているようだった。
私は首をかしげて、佐藤おばさんがほうきを持って陽斗を追いかけ回すのを羨ましそうに見ていた。
「新しいズボンに大きな穴開けて、私を怒らせたいのか!」
彼は泣きながら逃げていったが、私を睨みつけて言った。「笑ってないで、手伝えよ。」
私は石を蹴りながら、丘の上の家に帰った。
石ころを一つ、また一つと蹴り、靴の裏に泥がこびりついたまま、静かな坂道をのぼった。誰も待っていない玄関に帰るその一瞬が、いちばん寂しかった。
火を起こしてご飯を炊く。
新聞紙で火をつけて、薪をくべる。薪を割る音が静かな家に響いた。竈(かまど)の火がぱちぱちと跳ね、湯気が天井にすっと消えていった。火の匂いが家の中に広がった。
薪を入れすぎて火が強すぎた。
またご飯を焦がしてしまった。
慌てて燃えている薪をかき出す。
灰まみれの手で、竹箒で火の粉を外に出す。その動作が大人びて見えたかもしれないけれど、私はただ必死だった。
熱い炭が足の甲に落ちて、思わず叫んだ。「お母さん…」
涙声で叫んだその声は、まるで誰かに助けを求めているみたいだった。私は思わず手をぎゅっと握りしめ、唇を噛みしめた。
私の痛みの叫びは、うねる山風に飲み込まれた。
外からは、風に揺れる竹林のざわめきが答えるだけだった。
ただ静寂だけが残る。
ああ…
忘れていた。
もう私のそばに母はいないのだ。
布団の中で、無意識に「お母さん」と呟いてしまう自分を、どこかで叱っていた。あの日から、私はずっと一人だ。
本当は、もし母がいても、
「こんなこともできないなんて、役立たず」と叱られるだけだろう。
そう思いながらも、やっぱり母にいてほしかった。苦しいときに手を握ってほしかった。私は布団の中で手をぎゅっと握り、涙をこらえた。
足の甲に大きな水ぶくれができた。
私は歯を食いしばり、針で皮を刺し、膿を絞り出し、かさぶたを剥がし、灰を傷口に振りかけた。
消毒薬も絆創膏もないから、昔祖母がやっていた方法を思い出して真似てみた。痛みが全身を駆け抜けた。
汗がたくさん出た。
かなり痛かった。
でも、父が酒に酔って、竹の棒で腰を突いた時よりは軽かった。
そう思うと、涙が引っ込んだ。私は、自分に言い聞かせるように、ひとりごとをつぶやいた。
ご飯はやっぱり焦げていた。
茶碗蒸しは醤油を入れすぎて、穴だらけで黒くて酸っぱかった。
あれこれしているうちに、お腹が空きすぎていた。
火傷のこともかまわず、大きな口でかき込んだ。
舌が熱くて痺れた。
それでも、空腹には勝てなかった。湯気の立つご飯が、唯一の慰めだった。
一杯食べ終わると、すぐに二杯目をよそいに台所へ行った。
ご飯はぎゅっと詰まって、まるでレンガのようだった。
米粒がかたくて、歯で噛み砕く音が小さく響いた。噛みしめるたびに、ご飯の香ばしい匂いだけが部屋に残った。部屋に残る炊きたての香りが、むしろ孤独を際立たせた。
戻ってみると、茶碗蒸しは全然減っていなかった。
はあ…
また忘れていた。
もう、食べる量を制限する人はいない。
「食いしん坊」と叱る人もいない。
ご飯をよそっただけで、全部の料理をひっくり返す人もいない。
私は…
ゆっくり食べていいのだ。
箸をおいて、少し空を見上げた。自分のペースで生きていくのは、思ったよりも寂しいものだった。
その夜、私は玄関に座って茶碗を手にした。
冷たい石段に腰掛け、山の夜風に吹かれながら、ご飯と茶碗蒸しを一口ずつ噛みしめた。どこか遠くで、フクロウの声が聞こえた。
焦げて苦くて酸っぱい夕食を、一口ずつ食べ終えた。
お腹は明らかにいっぱいなのに、
それでもとても空腹だった。
心の奥底に、何かがぽっかりと空いている気がした。夕暮れの山道が、心の中にも広がっていく。
幼い頃は分からなかった。もっと食べれば空腹が満たされると思っていた。
でも実は、その時私を空腹にさせていたのは、胃ではなく、心だった。
心がすっかり冷えきってしまって、何を食べても埋められない——それを、いつしか知るようになった。
どの子どもの心も、たくさんの愛情で満たされる必要がある。
誰かの手で撫でられること、優しい声で名前を呼ばれること。そんな小さな幸せを、心は求めていた。
誰も私を愛してくれなかった。
そのことを、夜の山が教えてくれた。
だから、幼い私は、飢えた野良猫のように、決して満たされることのない心を持っていた。
一人暮らしはとても不便だった。
それでも、私は毎日を生きていた。