第5話:選択と逃避の果てに
その言葉で、私は本当の問題が自分に家庭があることだと気づいた。
彼女が理性的でいられる理由、それは自分の立場に他ならなかったのだ。
それから、離婚を考えるようになった。
夜中、寝返りを打つたびに、咲の寝息が耳に残る。その隣で、携帯の画面を何度も明滅させながら、答えのない問いを自問し続けた。
何度も夜、考えた。もし本当に離婚したら、彼女は理性を捨てて本気で自分を愛してくれるのだろうか?
畳に転がり、天井のシミを見つめながら、そんな幻想にすがりたくなった。
だが、その考えはいつも思うだけで終わった。
現実に戻ると、自分の臆病さだけが際立った。
私は咲と離婚する勇気がなかった。
枕元で眠る咲の姿を見るたび、後ろめたさに胸が苦しくなった。
それは、彼女の出産まであと三ヶ月だからではなく、離婚すれば自分のキャリアが終わるからだ。
日本の大手企業、縁故の強さ。今の立場がどれほど脆いものか、私はよく分かっていた。
分かってほしい。今の年収一千万円の仕事は、咲の叔父が用意してくれたものだ。
咲の実家に集まる正月のたび、肩身の狭さを感じる。自分はこの家に入れてもらった立場なのだ、と繰り返し自覚させられた。
美緒が聞いた噂の半分は本当だった。私は確かにグループ会長の親戚だ。
社内でささやかれる『裏ルート採用』という視線も、苦々しく受け止めていた。
だが、もう半分は違う。私は実の甥ではなく、会長の姪の夫なのだ。
親戚とはいえ、義理の関係。グループ内での立場は、思ったほど安泰ではない。