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裏切りの花札婚 / 第1話:花札卓の罠
裏切りの花札婚

裏切りの花札婚

著者: 阿部 美琴


第1話:花札卓の罠

披露宴も半ばを過ぎた頃、尚人は頬を赤らめ、親戚の大きな手で肩を掴まれながら、ふらつく足取りで畳の上を歩いていった。親戚たちに引きずられるようにして、花札遊びの和室へと消えていく尚人の後ろ姿が、なんとも滑稽で愛おしくもあった。

畳の上からは遠く親戚たちの笑い声が響き、障子の隙間からしんしんと冷気が流れ込む。季節は初冬。足元の畳はひんやりと冷たく、尚人の控えめな笑顔も、親戚たちの勢いには抗えず、しぶしぶと和室に連れて行かれる様子が妙に可笑しい。披露宴の高揚感と、田舎特有の親戚づきあいが入り混じり、独特な空気が漂っていた。

それから二時間も経たないうちに、三番目の叔母・美佐子がやってきて「おめぇの旦那、けっこう負けてるぞ」と囁いた。美佐子叔母さんは色あせた割烹着の袖をまくり、髪をゆるく結い上げている。信州弁で「しっかりしなきゃダメじゃん」といたずらっぽく笑い、私の肩をポンと叩いてくる。その表情には、どこか愉快そうな、そして井戸端会議のネタがまた一つ増えたという楽しさがにじんでいた。

今日は私たちの結婚式、しかも長野の実家でのこと——花札で一体どれだけ負けるというの?長野の山あいの町、狭いコミュニティの中で賭け事がどれほど大ごとになるか、私はよく知っている。しかも自分たちの晴れ舞台で、夫が大負け?胸の奥がざわざわと波立つ。

気になって和室の花札部屋を覗きに行くと、尚人は座卓にぐったりと腰掛けて、泣き笑いのような妙な表情をしていた。薄暗い和室、昔ながらのちゃぶ台の上に花札が無造作に散らばり、尚人の顔は紅潮し、目元は泣き笑い。畳の香りに混じるタバコの煙と、酒の気配が部屋中に充満していた。

テーブルの上には、いつもの百円玉や千円札ではなく、見たことのない赤いチップがずらりと並んでいる。厚紙を赤い折り紙で丁寧に包んだ、町内会の手作り感あふれるチップだ。指でつまむと少し柔らかく、ざらりとした手触りがリアルに伝わる。

そこには「一万」と白地に赤で手書きされていた。田舎の素朴な遊びとは思えない、どこか異様な迫力。親戚たちの無邪気な笑みが、逆に不安を煽る。

胸がギュッと痛んだ。小さい頃、お年玉を賭けて負けた日の悔しさが蘇る。でも、今は大人だと自分に言い聞かせた。この辺りの平均月給は二十万円にも満たない。町にはちゃんとしたスーパーすらないのに、一回一万で賭けるなんてありえない——そう自分に強く言い聞かせた。

尚人の周りには興奮した野次馬たちが二重三重に取り囲み、肩越しに覗き込んでいる。町内会の世話役や近所のおじさんたちも混ざり、静かな田舎の夜が一気に熱気に包まれていた。尚人は顔を真っ赤にして、タバコの煙にまみれながら、両目をテーブルに釘付けにしていた。

遊んでいたのは「こいこい」。子どもの頃、祖父と遊んだ懐かしい記憶が蘇る。地域によって微妙にルールが違うが、今日の空気は明らかに異質だった。

向かいには叔父・達也、両脇には美佐子叔母、従兄弟の健人、大叔父、そして隣家の息子・大輔がいた。親戚たちは畳に正座し、札を静かに見つめている。時折、ため息や苦笑いが漏れる。

さらにその外側には野次馬が二重の輪を作り、子どもたちや近所の奥さんたちがひそひそと噂話をしていた。熱気とタバコの香り、時おりカチャッとチップの音が混じる。

私は笑顔を作り、やわらかな口調で声をかけた。「尚人、お義母さんとお義父さんが呼んでるわ。また後で遊べばいいから。」尚人は放心気味の顔で、やっとこちらに気づいた様子だった。

尚人は目を細めて私を見て、首を横に振った。「まだ負けた分を取り返したいんだ」と掠れた声で言う。普段は穏やかな夫が、こんなにも必死な顔を見せるのは珍しかった。

「何を取り返すの?親戚に少し負けるくらい縁起がいいのよ。いくら負けたって、私が払うから。」私は努めて明るく言い、尚人の肩に手を置いた。新しい家族として彼を守る責任感が胸に広がる。親戚たちの目もこちらに集まり、一瞬場の空気が和らいだ。

尚人は唇を歪め、返事もせず、逆に叔父に「早く配って」と叫んだ。普段は控えめな彼が、こんなに感情的になるのは初めてかもしれない。親戚たちも一瞬驚いた表情を見せた。

「叔父さん、彼はいくら負けたの?」私は尋ねた。しかし誰も札の動きから目を離さず、返事はない。親戚たちの間に、暗黙の了解が漂っていた。

叔父も唇を歪め、答えずに札を切り続ける。カサリと札を切る音だけが響き、視線は一度も私と合わなかった。その背中には、昔からの頑固さと意地の強さがにじんでいた。

私はイライラして尚人の肩を叩き「帰るわよ」と命じた。つい声が大きくなり、親戚たちの間にピリッとした緊張感が走る。

だが尚人は「取り返したい」と繰り返すばかり。目は虚ろで、酒と勝負の熱気に理性を失っているのが分かった。

私は襟首を掴んで引き上げようとしたが、親戚たちが慌てて間に入った。田舎の親戚は、こういう時一斉に動くから厄介だ。

「滅多に帰ってこないんだから、もう少し遊ばせてやれよ。勝っても負けてもただの紙切れだ。そんなにきつく当たるなよ。」叔父の言葉には、どこか懐かしい昔気質の優しさがあったが、今は素直に受け止められなかった。

確かに私は気が強く、よほどのことがなければ誰にも譲らない。でも、尚人だけは別だった。彼は私にとって、もう自分の一部のような存在だった。彼と出会ってから、誰にも譲れなかったプライドも少しやわらいだ。けれど今は逆に、その気持ちが私を追い詰めていた。

その隙をついて、尚人はまた花札卓に這い戻った。酔っ払い特有のふらふらした動きで、卓の前に戻ると妙に真剣な顔つきに戻る。親戚たちの間にも微妙な笑い声が広がった。

「叔父さん、私たち今日は披露宴で帰ってきただけ。家にはまだやることが山ほどあるし、次に来た時に好きなだけ遊べばいいでしょ?」ともう一度説得した。言葉の端々に、普段より強い調子が出る。

三番目の叔母・美佐子は札を広げてため息をついた。「もういいじゃないの、家族なんだから。無理に引っ張ることないわよ。」美佐子叔母さんは、信州訛りで優しく語りかけ、花札の札をトントンと整える。

従兄弟の健人も「精算しよう。俺は9枚」と照れくさそうに札を数えた。子どもの頃の思い出が一瞬よぎる。

「私は11枚」と叔父は誇らしげに手元の札を見せる。

「私は6枚だけ」と三番目の叔母が肩をすくめて笑う。

「俺は7枚」大輔が少し照れた顔で札を揃えた。

「俺は5枚」大叔父は小さな声で札の枚数を告げ、手元でそっと指を折る。

叔父が数えて「全部で38枚だな。ありがとな、義理の甥」と言った。皆が静かにうなずき合い、札の山を見つめている。

私はスマホを取り出し、PayPayアプリを開いて言った。「彼は酔ってるから私が払うわ。38枚でいくら?」昭和世代の大叔父が「おお、スマホで払うのか?」と目を丸くした。親戚たちの間にざわめきが広がる。

「38万」部屋にいた誰もが息を呑んだ。

聞き間違いかと思い、「いくら?」と小さく問い直す。花札の札が一斉に止まる。

「38万」再び繰り返され、部屋の空気がさらに凍りつく。

「一枚一万?」まるで冗談のような数字。それでも誰も笑わない。

「そうだよ、見てみなよ。ちゃんと書いてあるだろ、一枚一万って。」叔父が自信満々にチップを指差す。

私はスマホを置き、怒りを抑えながら「みんな、本当にこんな高額で遊んでるの?」と低く問いかけた。誰もが一瞬視線を逸らす。

叔父は無邪気な顔で「尚人くんがもっと盛り上げたいって言い出したんだ。一枚一万でやろうって。」と説明する。

私は尚人の顔を睨みつけ、歯を食いしばって「38万も負けたって分かってるの?」と詰め寄った。膝を立てて身を乗り出し、尚人の顔をじっと見つめる。周囲がざわめく中、私の声だけが響いた。

尚人は照れたように笑い、私を抱きしめて酒臭い息を吹きかけてきた。「君に……おにぎりなんか食べさせたくない……ただカッコつけたかったんだ」私は思わず顔を背け、尚人の腕をそっとほどいた。情けなさと愛しさがないまぜになり、涙がにじみそうになった。

尚人は自分で言っていた。人生で一番嫌いなのはギャンブルだと。結婚前、夜の公園で「ギャンブルだけは絶対にしない」と誓った。今、その約束が嘘のように思える。

目の前でチップに涎を垂らし、目をとろんとさせているこの豚を、目玉をえぐり出したいくらいだった。怒りと呆れが混ざり合い、拳を握りしめる。

「叔父さん、叔母さん、あなたたちは年長者でしょう。彼は婿なんだから、いじめないでくださいよ」強い声で訴える。親戚たちの視線が集まる。

三番目の叔母はすぐにムッとして私を脇に引き寄せた。「そんな言い方しないでよ。そんなこと言われたら、これから花札遊びなんてできないじゃない」信州訛りが強くなる。

彼女は小声で「私が止めなかったら、一枚十万でやるところだったのよ。感謝してほしいくらいだわ」と耳打ちする。

「38万なんて多すぎる。犯罪だよ。そんな高額で遊ぶなんて無理だよ」と皆に訴え、「結婚祝いのお礼として、一人一万円ずつ送金するのはどう?」と現実的な提案をする。親戚たちの間に沈黙が落ちる。

古い掛け時計の音だけが、コツコツと響く。田舎の夜は、こうして妙な間ができるものだ。遠くでカエルの鳴き声が響き、外はすっかり夜の帳が下りていた。

一人一万円なら合計五万円。この町では普通の家族が二、三ヶ月暮らせる額だ。田舎暮らしの現実を思い出す。

しかし叔父たちは私をじっと見つめるだけで、同意も拒否もしない。目には迷いと計算がにじんでいた。

しばらくして、背後から年配の声がした。「賭けたら払う。勝負がついたら後戻りはできない。もし反故にしたら、必ず報いがあるぞ」低く重い声。場の空気が一気に引き締まる。

振り返ると、それは二番目の叔母のご主人——この花札部屋の持ち主だった。町内会や祭りのまとめ役として知られるその存在感は圧倒的で、誰も逆らえない雰囲気があった。

「二番目の叔母のご主人、38万なんて警察にバレたら全部潰されるんじゃない?」と低く問う。

「脅かすなよ。潰されたら死ぬのを待つだけさ。でも俺の場所では、ルールは破らせない」淡々としながらも、静かな怒りが宿る。

普段はあんなに優しい人だったのに。さっきまで酒を酌み交わし、祝福してくれた人が、今は38万のルールを語っている。

周囲を見渡すと、どの顔も妙な表情を浮かべていた。薄暗い部屋の光が親戚たちの顔に反射し、誰もがそれぞれの計算をしているのが分かった。

その時、私はすべてを悟った。一瞬で、すべてが芝居だったのだと気づいた。まるで古い落語の一幕のような、見え透いた茶番。

「わざとだったのね」唇が自然に動き、怒りと哀しみが入り混じる。親戚の間で、こうして婿や嫁が試されるのは、昔からの習慣なのかもしれない。

叔父はにやりと笑い、私の肩を叩いた。「勝ち負けはつきものさ。最初に勝って後で負けるか、最初に負けて後で勝つか——全部遊びだよ。そんなに怖い顔するな」大きな手が肩を叩く。場を和ませようとするが、もうその手は温かく感じなかった。

「じゃあ、今日38万払わなかったら、私たちを帰さないつもり?」冗談半分、本気半分の声色で問い詰める。

「まさか。帰りたいなら止められないさ。息子の借金は父親が払うこともあるし、君の両親が払ってもいい」叔父の言葉には、どこか冷たい現実味があった。

もし両親に38万払える余裕があれば、こんな田舎で農家の結婚式なんてしていない。心の中で苦笑い。家族がどれほど切り詰めて暮らしているか、親戚たちも知っているはずだった。

彼らは私たちを狙って、尚人にわざと大金を負けさせた。もし払わなければ、一生そのことをネタにされる。田舎の噂話の怖さを知っている。こうして一度ネタにされたら、次の世代にまで語り継がれるのだ。

三番目の叔母が不機嫌そうに言った。「披露宴の時、あんたの両親が旦那さんの家から388万円の持参金をもらったって言ってたじゃない。払えないはずがないでしょ。お金持ちぶって、貧乏人のふりしないでよ」他の親戚たちもうなずく。

あの持参金は嘘だ。尚人と二人で必死に貯めたお金だ。尚人は孤児で祖父に育てられた。持参金を388万円にしたのは、私が彼と結婚して世間に噂されないようにするためだった。

私は家族に何度も言った。持参金は必ず全額持ち帰って、将来の子どもの教育資金にすると。両親の前でも頭を下げて頼み込んだ。父にも外でその話をしないよう頼んでいたが、酔った勢いで自慢してしまったのだろう。

そして今、尚人が負けたのはちょうど38万。持参金とほぼ同額で、8万円だけ残してくれるとは、なんて親切なんだろう。思わず皮肉な笑みがこぼれる。

「ご両親が来たわよ」と三番目の叔母が襖を指差す。襖の向こうに気配が広がる。

両親が弟を連れて入ってきた。尚人が座卓に突っ伏しているのを見ても、父は明るく「まだ遊んでるのか?この町は娯楽が少ないから、もう少し遊んでいけばいい」と声をかけた。母も弟も緊張した面持ちで部屋を見回す。

私は鼻で笑って「遊ぶって何?婿が38万負けたの。叔父さんと三番目の叔母が払えって言ってる」と言った。言葉に棘が混じる。

「何?」父の声が一段と低くなり、顔がみるみる強張る。

「38万よ!」母が思わず声を上げ、弟もぎょっとした表情を浮かべる。畳の上に緊張が走る。

「38万?誰が?」父は親戚たちを見渡す。部屋の空気がさらに重たくなる。

「あなたの婿が、正気を失って38万も負けたのよ」母の声が震えている。

父は「本当か?」と尋ね、親戚たちも一瞬沈黙した。

叔父が「兄さん、花札の上じゃ親子も関係ない。義理の甥が本当に38万負けたんだ。大勢が見てた」と淡々と告げる。

母は叫び声を上げて倒れかけたが、普段は気丈な母が膝から崩れ落ちそうになり、弟が慌てて抱き留めた。畳の上に母の涙が一粒落ちた。

「38万って、四階建ての家が建つ額よ!どうすればいいの?」母の叫びは本音そのものだった。

母は泣き崩れ、弟は慰め、私の方を見て困ったような顔をした。弟の目にも涙が滲んでいた。

騒ぎを聞きつけて、町中の人が集まってきた。家の外には、ご近所の人影がちらほら。田舎の情報伝達は恐ろしいほど早い。

叔父がまた言った。「38万は大金だけど、義理の甥が自分で同意したんだ。最初は勝ってたし、たまたま最後に負けただけ。花札なんてそんなもんさ——勝ったり負けたりする。もう少しやれば取り返せるかもよ」

他の親戚たちも「その通り」とうなずき始める。田舎の賭け事への寛容さと、裏に隠された厳しさが混ざり合う。

皆がうなずく。「その通り、その通り」賛同の声があちこちから上がる。

父が私に「お前は賭けたのか?」と鋭い目で問う。

私は首を振り、「私が来た時にはもうこうなってた」と小さく頭を下げる。

父は尚人の肩を叩いて「うちは面子を大事にする家だ。婿も家族だ、負けたなら仕方ない。いくらでも受け入れる」と言った。その言葉に家族としての覚悟が滲む。

私は呆然とした。叔父や三番目の叔母には強く出られる。でも父がこう言ったら、家として借金を認めたことになる。私が何を言っても無駄だ。心が一気に冷えた。

父は私を脇に引っ張り、真剣な顔で言った。「母さんと俺は町で恥をかいたことがない。婿に恥をかかせるわけにはいかない。家を売ってでも、貯金をはたいてでも、結婚祝いのお金をかき集めても足りなければ、母さんと二人で働きに出る。弟も節約する。でも、誰にも見下されたくない」その手は震えていた。

弟は母を支えながら「姉ちゃん、俺が稼ぐから。大丈夫だよ」と決意のこもった声を出した。

うちの家族は、何よりも面子を大切にする。長野の山あいで育った家族の誇り。どんなに貧しくても、世間体だけは守り抜く。それが我が家の掟だった。

尚人は目を覚まし、ふらふらと私のところに来て抱きつき「妻よ、俺が取り返す」と呟いた。その姿がいっそう腹立たしかった。

さっきまでの覚悟は一瞬で怒りに変わり、拳を握りしめて尚人を殴りそうになった。自分でも抑えきれない衝動に駆られ、胸の中で「ふざけるな」と叫びそうになる。

素直でおおらかで、人を疑わない——それが彼の好きなところだったが、同時に致命的な欠点でもあった。尚人の優しさが、今はただ無力にしか見えなかった。

叔父が言った。「兄さんがそう言うなら、家族同士だし、借用書を書いて今日は終わりにしよう」場が一気に現実に引き戻される。

三番目の叔母が鞄からノートとペンを取り出し、父はペンを握ると手が震えて、真っ直ぐな字すら書けなかった。畳の上にペン先がカタカタと当たる音だけが響く。

「待って」私は紙とペンを座卓に押し付けた。「叔父さん、さっきもう少しやれば取り返せるって言ったよね。勝負はまだ終わってないのに、なんで借用書を書くの?」

周囲が一瞬静まり返る。親戚たちの顔に、驚きと戸惑いが入り混じる。

皆が驚き、父も震える声で「お前、何をするつもりだ?」と聞いた。

「尚人は酔ってて、まともに見えてない。私が代わりにやる」静かに宣言する。家族の誰もが固唾を呑んで見守っている。

「お前、子どもの頃から花札なんて触ったことないだろ。どうやってやるんだ?」父の声にはまだ信じきれない不安が混じっていた。

私は笑った。「尚人だって花札なんて触ったことなかったでしょ?みんなが教えたんじゃない」親戚たちの間に小さな笑いが広がる。

「ダメよ」と三番目の叔母が止める。「もっと負けたらどうするの?」

「叔母さん、私が負けても払えないとでも?新築の家、まだ一度も住んでない——2600万円の価値がある。これで何回か勝負できるでしょ?」自嘲気味に笑いながらも、言葉の端々に覚悟がにじむ。

「本気なの?」叔母の声が震える。

「叔母さん、私が子どもの頃から見てきたでしょ?私が冗談言うと思う?」静かに言い切る。

母は正気に戻り、私を引っ張って止めようとした。弟も必死で止める。父は涙ながらに「賭け事は十中八九負ける。卓についたら人間じゃなくて鬼になるんだ」と言った。父の目から涙が一筋流れた。

その通りだ。長年、外で働いてきて、ギャンブルで人生を壊した人、家族を崩壊させた人を何人も見てきた。東京での生活、パート先で耳にした悲しい話の数々。ギャンブルの恐ろしさは身に沁みて知っていた。

まさか自分の身に、しかも実家で、親戚に、結婚式の日に、こんなことが起きるとは思わなかった。頭がぼんやりして、夢の中にいるような気がした。畳の目がやけに細かく、目に刺さるように見えた。

でも、私は引けなかった。家族を守るためなら、どんなことでもやる覚悟があった。後悔だけはしたくなかった。

この部屋を出たら、38万の借金が一生家族につきまとう。両親も弟も、新しい家庭までもが台無しになる。田舎の噂は、決して消えない。家の恥は子孫にまで伝わる。それだけは避けたかった。

尚人が酔いから覚めれば、私の親戚の本性を知り、私への見方も変わってしまう。夫婦の間に小さな亀裂が走るのが、目に見えるようだった。

せっかく手に入れた幸せを、こんなことで壊されたくなかった。幸せのかけらを、自分の手で守りたかった。それだけだった。

彼らが私を家族と思わないなら、私も彼らを人として扱う必要はない。腹の底から、静かな怒りが湧き上がる。田舎の掟に、今だけは逆らいたかった。

私は尚人を引きずり起こして弟に預け、自分が花札卓に座り、大声で宣言した。「さっき尚人と遊んだ人は誰も帰れません。もし帰ったら、借金は帳消し、もう一銭も払いません。勝負は負けた人が終わりと言った時に終わり。勝った人が途中で帰ったら、勝ち分は返してもらいます」

自分でも驚くほど、力強い声が部屋に響いた。親戚たちは顔を見合わせ、やがて誰もが納得するようにうなずいた。これがこの部屋の暗黙のルールだった。

これは花札部屋の暗黙のルール——誰も反論できなかった。畳の上に静寂が落ちる。襖の外からは、かすかに夜風の音が聞こえた。

「じゃあ……続けるのか?」叔父は三番目の叔母を見た。叔父の声は小さく震えていた。三番目の叔母の目が細くなり、口元に小さな微笑みが浮かぶ。

「本当に頑固ね」と三番目の叔母は席に着いた。叔母がそっと膝を正し、静かに座卓に向き直る。

「じゃあ俺もやる」と叔父が私の向かいに座った。場の空気が再び張り詰める。

「いいよ、どうせ時間はあるし」と従兄弟。大叔父も大輔も静かに席に戻る。皆が一斉に息を詰めて私を見ていた。

「叔父さん、何のゲーム?」静かな声で尋ねる。親戚たちの顔に一瞬、困惑が走る。

「三枚勝負。猪鹿蝶が一番、次が赤短、青短、タネ、タン、カス」ルールの確認。どこか儀式めいて、畳の上の緊張が一層増した。

「親は誰?」視線が卓上を行き交う。

「勝った人が親」静かな返答。親戚たちの間に暗黙の了解が漂う。

「じゃあ、私から」私は静かに札を手に取る。手のひらの中に、昔の感触がよみがえる。

私は札を手に取り、触ってみた。普通の花札で、少し擦り切れている——印も細工もない。札の角が少し丸くなり、使い込まれた歴史が指先に伝わる。親戚たちの目が一斉に札に注がれる。

それでも尚人は38万も負けた。この豚め、と心の中で罵った。気持ちを切り替える。今は勝つことだけを考えた。

私はわざと不器用にシャッフルし、皆に三枚ずつ配った。指先がわざと震えるふりをする。親戚たちの間に小さな笑いが生まれる。

叔父が「親はまず賭けなきゃ」と促す。田舎の遊びは、こうしてリズムよく進んでいく。

三番目の叔母が説明した。「つまり親が最初に賭けるのよ」説明の口調に、世話焼きな一面が出ていた。

「一万」私ははっきりと宣言し、チップを卓上に放る。親戚たちがざわつく。

私はチップを投げた。音が畳の上で乾いた音を立て、緊張感が一気に高まる。

二番目の叔母のご主人が襖に鍵をかけ、部屋の空気が一気に張り詰めた。カチリと音を立てて襖が閉まる。

手を擦る者、興奮を抑える者、一攫千金を夢見る者、ただ見ているだけの者——みんながこの一室に集まっていた。畳の上に大人も子どもも集まり、息を潜めて札の行方を見守る。人生の縮図のような一夜だった。

まさか自分の結婚式の日に、夫の借金を取り返すために花札卓に座ることになるとは思わなかった。この運命の皮肉さに、思わず苦笑が漏れる。けれど、もう引き返せなかった。

幸い、私が外で何をしていたか、誰も知らなかった。家族も親戚も、私の過去を知らない。外でどれほどの勝負を重ねてきたか、誰も気づいていない。

負けるわけにはいかない。家族の未来も、私自身の誇りも、全部この手にかかっている。

——私は、花札プレイヤーだった。

畳の上に静かに手を重ね、心の中でそっと呟く。今夜だけは、私が家族を守る鬼になる。

この章はここまで

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