第1話:桜の呪いと疑念のアラーム
春の朝、教室の窓の外にはまだ咲き始めたばかりの桜がちらほらと見える。朝の光は柔らかく、冷たい空気が制服の袖口から忍び込んできた。みんなが眠そうにノートを広げている中、教室はまだ静まり返っている。私はぼんやりと外を眺め、春独特のざわめきを感じていた。
チャイムが鳴った直後、私のカバンの奥から突然アラーム音が響き渡った。まるで不意打ちのようなその音に、教室中の視線が一斉に私に集まる。慌てて机の下でスマホを探し、必死に音を止めようとしたが、先生の鋭い声が飛んだ。「誰だ、今のは!」私は観念して手を挙げ、スマホを差し出した。先生は無言でそれを受け取ると、教壇の上に無造作に置いた。
机を挟んで隣に座る田村は、口元を歪めて小声で囁いた。「なーんだ、引っかかった?ドッキリ大成功~」悪戯が成功した満足げな笑みを浮かべている。私は胸の奥に不安が渦巻くのを感じながら、表情を曇らせて彼を睨みつけた。
喉が詰まるような焦燥感に突き動かされ、私は声を潜めて彼に囁いた。「君のお母さんが……交通事故に遭ったんだ。」胸が苦しくて、言葉がうまく出てこなかった。だけど、どうしても伝えなきゃと思った。声が震え、無意識に制服の袖を握りしめていた。
ほんの一瞬、現実感が遠のく。アラームを止めたその瞬間、画面には『お母さんが事故に遭った』という短いメッセージ。その下に未読の着信が5件も並んでいた。「お母さんが事故に遭ったから、すぐ帰ってきてほしい」と書かれたLINE。その送信主が田村の父親だと気づいたとき、心臓が激しく打ち始めた。
田村は私の切羽詰まった様子にも気づかず、大声で笑い飛ばした。「やり返しだな、うまいこと言うじゃん!」その声は教室の数人にまで届き、周囲の空気が一瞬凍りついた。
私は彼に縋るような目を向けた。爪が手のひらに食い込み、喉の奥から必死の叫びがこぼれそうになる。冗談じゃない、本当に危ないんだ——その思いだけで、頭の中が真っ白になった。
普段なら授業前に必ずマナーモードにして、通知も一切切っておくのに。今朝は寝坊したせいで、設定し損ねたままだったのか。だが、偶然にもアラームが鳴り、彼の父親から何度も着信が入っていた。「お母さんが事故に遭ったから、すぐに帰ってきてほしい」——その文字が何度も脳裏に焼き付いて離れない。自分の手が震えていることに、今さら気づいた。
まるで運命に見放されたようなタイミングだった。LINEを開いて必死に内容を読み取っていた私の手元から、突然先生が手を伸ばし、スマホをひったくっていった。その瞬間、全身から血の気が引くのを感じた。
私は泣き出しそうな声で田村に訴えた。「本当なんだ、君のお母さんが事故に遭った。今すぐ先生のところへ行って、スマホを返してもらうよ。」目の前で制服のボタンをきつく握りしめ、必死の思いで訴えていた。
田村は顔をしかめて冷ややかに言い返した。「事故に遭ったのはお前の母親だろ。俺のイタズラがひどすぎたならそう言えよ。でもエイプリルフールに親のことで冗談言うなよ。」その言葉の端々に、子どもっぽい自己防衛と、どこか動揺したような響きが混じっていた。
胸の内側で、何かがプツンと切れる音がした気がした。耐えていた涙が、こぼれそうになるのを必死でこらえる。息が詰まるほどの絶望感。
私の脳裏には、この教室の空気、その独特な“ルール”が蘇る。なぜ彼が信じないのか——理由は痛いほど分かっていた。
小学校高学年の頃から続く、妙な伝統。“スマホの呪い”——誰かが他人のスマホをいじったら、その人の母親が死ぬ。誰かが没収されるたびに「母ちゃん終わったな」と囁く。冗談半分でも、どこか本気で信じている禁忌だった。
休み時間のたびに誰かが「没収されたやつ、もう母ちゃん終わったな」と囁く。まるで本当の呪いか何かのように、教室中に静かに広まっていた。
田村は、私が「母親が事故に遭った」と言った瞬間、その暗黙のルールを思い出し、「お前が呪った」と決めつけているのだ。私はそれを痛いほど理解していた。
もはや言葉は届かない。私は心の中で、必死に「どうか、今だけは信じてくれ」と願いながら、証拠を見せる以外に道はないと自分に言い聞かせていた。
教室の外に出ようとしたその時、足音が廊下から近づき、先生が無表情で扉を開けて戻ってきた。その時、クラスの隅から「先生、スマホに厳しいからな……前も没収したスマホを机に叩きつけたって噂あったよな」と小声が聞こえた。妙な緊張が走る。
先生の手には、見慣れない金槌が握られていた。その異様な光景に、教室中がざわついた。先生は何の躊躇もなく、私のスマホを床に叩きつけた。
スマホが床に当たる鈍い衝撃音とともに、クラス全体のざわめきが一瞬で消えた。静寂の中、私の心臓の鼓動だけがやけに大きく響いていた。
先生は無言でしゃがみ込み、何度も何度も金槌を振り下ろす。その度に、スマホの画面は白く砕け、最後には粉々のガラス片となって床に散らばった。私は声も出せず、ただ呆然と見つめていた。
膝がガクガクと震え、口が乾いて声が出なかった。現実感が遠のき、教室のざわめきが遥か遠くに聞こえるようだった。
先生は壊れたスマホを軽く投げ捨て、冷徹な口調で言った。「またスマホか…何回注意したら分かるんだ?今は受験が大事な時期だぞ。次に持ち込んだら、全部叩き壊す。嫌なら親を呼んで弁償させろ。」教室にはピリッとした緊張が満ち、誰も息を呑んでいた。
私は涙声で叫んでしまった。「先生、どうして壊すんですか?彼のお母さんが交通事故に遭って、今病院で待ってるんです!」声が裏返り、教室の静けさを引き裂いた。
田村は顔を真っ赤にして、手近な教科書を私に投げつけた。「うちの母親を呪うな!」その叫び声に、クラスの数人がびくりと肩をすくめた。田村の目は涙で赤くなり、声も震えていた。教室の空気がピリピリと張り詰めていた。
先生は顔をしかめ、低い声で「どういうことだ?」と問いただした。教室の空気は張り詰めて、誰も身動き一つしなかった。廊下から体育の笛の音が遠く聞こえ、一瞬だけ外の世界を思い出す。
私は精一杯落ち着いて説明した。「さっき先生が私のスマホを没収した時、彼の父親からLINEで『お母さんが事故に遭った、どこの病院か確認してすぐ来てほしい』とメッセージが届いていたんです。」
先生は鼻で笑い、「そんな都合のいいことがあるか」と吐き捨てた。その冷たい視線が突き刺さるようだった。
先生は疑いの色を隠そうともせず、さらに問い詰めた。「ちょうどお前のスマホを没収した時に彼の母親が事故に遭うのか?それに、他人の家族に何かあったら、なぜお前に連絡が来るんだ?」
私はためらいながらも正直に打ち明けた。「みんな、授業中はスマホを持ち込むのを怖がってて……。私はこっそり持ってきて、1分50円で貸してました。親御さんたちも私の番号を保存してて、私のスマホにかければ自分の子どもに連絡できると知っていたんです。」教室の片隅から、驚きのため息が漏れた。
先生は「学校で商売してるのか?」と皮肉を込めて言った。口調は冷ややかだったが、どこか呆れているようにも聞こえた。
私は懇願するように言った。「今はそんなこと言ってる場合じゃないです。本当に彼のお母さんが事故に遭ったんです。」気づけば両手を合わせて、祈るように先生を見つめていた。
田村は立ち上がり、私の制服の襟を乱暴につかんだ。「事故に遭ったのはお前の母親だ!お前がうちの母親を呪った!」その目は涙で濡れていた。
私たちの間に先生が割って入り、無理やり引き離した。クラスの空気は張り詰めていた。窓の外でカラスが一声鳴き、再び教室の空気が重くなった。
先生は私に向き直り、短く「どうしたいんだ?」と尋ねた。
私は涙声をこらえながら懇願した。「今すぐスマホを返してください。校門の外にスマホショップがあるので、データを取り出してすぐ彼の父親に電話できます。」
先生は予想外の大声で笑い始め、手をパンパンと叩いた。その響きが、静まり返った教室にやけに乾いた音で広がった。
私は訳が分からず、先生の顔を見上げていた。何がそんなに可笑しいのか、理解できなかった。
胸の奥に怒りと疑問が渦巻く。クラスの何人かもざわめき始めていた。
先生は得意げに「みんな、彼の賢さに拍手しよう」と言った。その声には、皮肉と嘲笑がたっぷりと滲んでいた。
クラスメートたちは戸惑いながらも、とりあえず合わせて拍手した。手を叩く音が教室に響き、誰もが居心地悪そうな顔をしていた。
先生は私を見下ろし、「どうせスマホを返してもらって、画面だけ数千円で直してまた使うつもりなんだろう」と鼻で笑った。
その一言で、クラス全員が「そういうことか」と一斉に納得したようにざわめき始めた。驚きの声があちこちから上がる。
田村の目は、怒りと憎しみで赤く染まっていた。私はまるで犯罪者のような視線を一身に浴びていた。
先生は呆れたように、「自分の利益のためにクラスメートの母親を呪うなんて、お前ほど道徳心のない生徒は見たことがない」と吐き捨てた。その言葉がナイフのように胸に刺さった。
田村は先生に向かって「先生、あれAQUOSのスマホですよ。新品でも2万円くらいです。画面だけならネットで数千円で買えます」とぶっきらぼうに言った。
先生は深いため息をつき、「そんな小銭のために人の母親を呪うのか?お前にも母親がいるだろう」と言った。クラスの空気がますます重くなった。
周囲のクラスメートたちは、どこか遠い目で私を見ていた。気まずい同情と、わずかな恐れが入り混じった視線だった。
私はそれが「同情」だと、はっきり感じた。私を責めるでもなく、ただ哀れむような眼差し。
この学校独特の暗黙のルール。スマホに関わる冗談は、母親を呪うのと同じ——それがこの場にいる全員の共通認識だった。みんな、すでに私の母親は「終わった」と思っているのだ。
私がどれだけ必死に訴えても、誰一人として私の言葉を信じようとはしなかった。そのことが、何よりも心に重くのしかかった。
彼らは私の真意を疑い、ただ「スマホを直したいから」としか思っていない。そんな冷ややかな誤解が教室中に蔓延していた。
先生は冷たく言い放った。「後ろに立ってろ。来週は親を連れて来い。学校で商売してるくらい貧しいのか。少しでもお金を節約するためにクラスメートの母親を呪うなんて……」
心の奥がずっしりと重く沈んだ。やるせなさと悔しさで、胸が苦しかった。
私は本当に、ただ事実を伝えたかっただけなのに。どうしてここまで悪者にされなければならないのか、納得がいかなかった。
田村は顔を紅潮させ、「先生、彼を告発します!」と声を張り上げた。
先生は少し面倒くさそうに「何を?」と返した。
田村は続けて「彼の家、全然貧しくありません。学校で商売して貯めたお金で『モンスターストライク』やってるんです」と告げ口した。
先生は不思議そうに「『モンスターストライク』って何だ?」と尋ねた。
田村はすぐに「課金しないと遊べないゲームです」と説明した。教室の後ろの席から、小さな笑い声が漏れた。
私は肩を落とし、呆れてため息をついた。こんな状況でゲームの話まで持ち出されるとは。
先生は私を見下すような視線で睨み、「くだらん」と小さく呟いた。
先生は厳しい口調で続けた。「高校は人生で一番大事な時期だ。ここでの成績が将来を決める。なのにゲームなんてやるなんて、親御さんがかわいそうだとは思わないのか?」
私は心の中で「たまの息抜きくらい、どうしてダメなんだ」と呟き、ただ黙っていた。
私は机の端を見つめ、拳を握りしめた。息抜きにゲームをしただけで、どうしてここまで責められなければいけないのか。
涙がこぼれそうになりながら、田村に「もうやめてくれ。君のお母さんは今、最後に君に会いたがっているかもしれない。これ以上ごねてたら、もう会えなくなるぞ」と声を絞り出した。
先生は「黙れ!」と怒鳴ったが、田村はそれでも「うるさい!」とさらに大声で叫んだ。
田村は感情のコントロールを失い、私に飛びかかった。頬に拳が当たり、制服の胸元をつかまれ、顔に唾を吐きかけられる。「死ぬのはお前の母親だ!百回でも言ってやる、死ぬのはお前の母親だ!」その罵声が、何度も私の耳に突き刺さった。
私はとうとう我慢の限界を超え、力いっぱい彼の頬を平手で打った。教室中に、乾いた音が響いた。
田村は一瞬呆然とし、私は怒りに震えながら言った。「いい加減にしろ。君のお母さんは本当に危ないんだ。こんなことで冗談を言う人間がいるか?冗談は友達同士でするものだ。人のスマホでイタズラする奴を誰が友達だと思うんだ?」
私は必死に冷静を装い、感情を押し殺して言葉を選んだ。自分の正しさだけを信じていた。
しかし田村はさらに逆上し、再び私に殴りかかろうとした。
クラスの何人かが慌てて私たちの間に割って入り、「やめろ!」と叫んだ。後ろの席の女子が泣きそうな声で「先生、止めてください!」と訴えた。
しかし先生は私を一瞥し、「殴られて当然だ」と冷たく言い放った。
先生はそれだけ言うと、私たちを完全に無視し、教卓の方へ戻った。
先生は教卓の前で真顔に戻り、「みんな、若いから冗談が好きなのは分かる。特に男子はよく母親のことでふざける。でも覚えておけ、母親の冗談は絶対に無礼だ」と淡々と語った。
誰もが下を向き、沈黙のなかで先生の言葉を反芻しているようだった。
田村は私を押さえつけたまま、涙をポロポロと流し始めた。嗚咽が静かな教室に響いた。
私はその様子をじっと見つめ、驚きよりも、むしろ静かな諦めを感じていた。
この年頃の男子は、強がっていてもすぐに涙をこぼす。私は昔の自分を思い出していた。
田村は、先生に守られたことで、張り詰めていた気持ちが一気に緩んだのだろう。
先生は厳しい口調で続けた。「他の先生は止めるかもしれないが、私は止めない。母親を侮辱する奴は殴られて当然だ。よく覚えておけ。好きに遊んでも、親のことで冗談は言うな。みんな、復唱して。」
教室の隅々まで声が響き渡り、クラス全員が一斉に「好きに遊んでも、親のことで冗談は言うな」と唱和した。その様子は、まるで儀式のようだった。
私は目を閉じ、心の中で自問した。ここは本当に現実の世界なのか。
今この瞬間も、病院で一人の母親が命の危機に瀕しているかもしれないのに——私は、この世界の理不尽さにただ呆然とするしかなかった。
現実の歯車が軋む音が、頭の奥で響く。私は、自分の世界が崩れていくのを確かに感じていた。
先生は、冷たい目で私と田村を見つめ、「今すぐお互いに頭を下げて謝れ。大きな声で『ごめんなさい、悪かった』と言え」と命令した。
私は茫然自失のまま、先生をじっと見つめた。
心の中で何度も繰り返した。私は、何も悪いことなどしていない。
唇を噛み締めながら、「なぜ私が謝らなきゃいけないんだ」と自問した。
先生は私の反応を見て苛立ち、「今日はっきり言っておく。謝らなければもうここで勉強しなくていい。クラスメートを侮辱し、スマホで商売し、いつもゲームばかり。そんな人間性の悪い生徒は教えられない。このままなら学校もお前を置いておかない」と突き放した。
私は意を決して、静かに言い返した。「先生、いい加減にしてください。そんなことをしていたら、教育委員会が先生をクビにしますよ。」
先生の顔が見る間に真っ赤になり、勢いよくチョークを私に投げつけた。白い粉が制服に飛び散った。
私は深呼吸をし、心の奥底で腹を括っていた。何があっても、やり遂げると。
私は一気に前に出て、頭にチョークが当たっても気にせず、先生の机から壊れたスマホを掴み取り、そのまま教室を飛び出した。
胸の奥で「何があっても絶対にデータを取り出さなければ」と何度も唱えていた。
母親が病院で子どもを待っている。この一瞬の判断が、命を左右する。私は、傍観など絶対にできなかった。
どんなに誤解され、悪者にされても——私は自分の良心を信じる。
この時期、受験と進路のことで誰もがピリピリしている。親も子も、「今が一番大事な時期」と口癖のように繰り返す。
誰かの祖父母が亡くなっても、親は入試や受験が終わるまで、なかなか子どもには知らせない。それほどまでに、高校三年生の時期は特別なのだ。
何か重大なことがない限り、親は子どもに帰省させようとしない。それは、この国独特の「我慢」と「義務感」の表れでもある。
私は、LINEの文面と着信の回数から、明らかに緊急事態であることを確信していた。
もし私が今日、このまま彼らの言葉に流されて何もしなかったとしたら——。
私はきっと、一生、自分のことを許せなくなるだろう。
これだけは譲れない。私にとって、最低限の人間としての誇りだった。
どれだけ孤独になろうとも、他人の間違いで自分の魂を汚すことだけはしたくなかった。
私の突然の行動に、クラス全員が息を呑み、先生は「反抗的だ!」と怒鳴り声を上げた。
私は無視して教室のドアに向かったが、田村が立ちはだかり、私の行く手を阻んだ。
私は何も言う暇もなく、田村に思い切り腹を蹴られた。
いつもなら反射的に避けられるはずの攻撃だったが、あまりにも不意を突かれていた。
膝から崩れ落ち、手にしていたスマホも床に転がった。
田村は怒りに満ちた目で、「どこにも行かせない」と唸るように言った。
私は痛みに顔をしかめながら、田村を見上げて「お前、正気か?」と呟いた。
田村は「今日はエイプリルフールだ。ただのイタズラだったのに、先生にスマホを没収されてしまった。謝りたかったけど、お前がやりすぎだ」と怒鳴り声で訴えた。
私は思わず「何を言ってるんだ?」と尋ね返した。
田村は「スマホがなくなったなら弁償する。AQUOSなんて大した値段じゃない。でも母親を呪ったのは許せない。謝れ」と叫んだ。
先生が近づき、私の肩を乱暴に押さえつけて黒板の下に座らせた。背中に激しい痛みが走り、思わず呻き声が漏れた。
先生は険しい顔で「俺が生徒のスマホを壊すのが気に食わないから騒いでるんだろう。嫌なら親を呼べ」と吐き捨てた。
私は食い下がるように「信じられないなら、彼の家族に電話してみてください」と訴えた。
先生は不機嫌そうに「分かった。お前は自分の首を締めたいんだな。今日はっきりさせてやる」と言い、スマホを取り出して田村に「お父さんの番号は?」と尋ねた。
田村は困ったように「父親の番号は覚えてない。母親のしか分からない」と答えた。
先生は「じゃあお母さんにかける」と言い、そのまま母親の番号に電話をかけた。しかし、しばらくして「誰も出ないな」と眉をひそめた。
私はすかさず「それは当然です。お母さんは事故に遭って出られないんです」と訴えた。
田村は再び「事故に遭ったのはお前の母親だ!」と罵声を浴びせた。
先生の顔色が変わり、疑念の色が浮かんだ。田村の母親は、本当に電話に出ないのだ。
先生が「じゃあ職員室でお父さんの番号を調べる……」と言いかけた時、田村が「先生、彼はわざとです。前に親に連絡してくれたことがあるので、母親が夜勤明けで寝てるのを知ってるんです。母が寝てる時はスマホがマナーモードなんです」と叫んだ。
先生は「……」と言葉に詰まり、明らかに動揺していた。
先生は苦々しげに「本当に策士だな。その努力を勉強に向けたら成績がどれだけ上がるか」と皮肉を言った。
私はたまらず「先生、頭がおかしいんですか?」と声を震わせて言った。
先生は一瞬呆然とし、「今なんて言った?」と聞き返した。教室に静かな緊張が走った。
私は続けて訴えた。「考えてみてください。お母さんは仕事帰りに事故に遭い、病院に運ばれた。父親は息子の勉強に影響が出るのを恐れて連絡しなかったが、状況が悪化したのでどうしても呼ばざるを得なかった。それのどこが問題なんですか?」
先生は顔を真っ赤にし、侮辱された怒りを抑えて「クラス全員が証人だ。授業が終わったら職員室でお父さんの番号を調べる。もし嘘だったら、学校から追放してやる」と宣告した。
私は必死に「なぜ授業後なんですか?時間がありません。スマホを返してくれませんか?」と懇願した。
先生はぶっきらぼうに「職員室の鍵は教頭が持っていて、今日は会議でいない」と言った。
私は諦めのため息をついた。その時——。
教室の奥で、机を思い切り叩く音が鳴り響いた。
その主は、私の親友・大西だった。彼は普段おとなしいが、この時だけは目に力があった。
彼は息を荒げ、私のほうをじっと見つめながら、震える手でポケットからスマホを取り出した。
先生は「また何を騒いでいるんだ」と苛立たしげに言った。
大西は先生を無視し、私の目をまっすぐに見て「俺たち、兄弟だよな?」とゆっくり確かめるように言った。
私は胸の奥が熱くなるのを感じた。涙がこぼれそうになった。こんな状況でも、信じてくれる人がいる。救われた気持ちで、私は心の中で「兄弟は、心でつながってる」と呟いた。
私は大きくうなずき、「兄弟だ」とはっきり答えた。
大西は私の返事を聞いて、何かを決意したようにスマホをポケットから取り出した。
私は「世界中が敵でも、大西だけは絶対に味方だ」と強く信じていた。
「それが、兄弟ってもんだろ」と心の中で呟いた。
大西は持っていた金属定規で自分のスマホの画面を慎重にこじ開け、「同じ機種だから俺の画面を使え。もし嘘だったら、俺のスマホも没収していいし、俺も退学で構わない。俺はお前を信じる」と言った。その声には、震えながらも確かな覚悟が宿っていた。
先生は呆れたように「お前ら二人とも頭がおかしい」と吐き捨てた。
大西は画面を力任せに引き剥がし、私に渡した。私はその手をしっかりと握りしめた。
画面はまだケーブルで大西のスマホとつながっていた。私はそれを受け取り、大きく深呼吸した。
心の底から、「よかった」と思えた瞬間だった。
教室中が私を「おかしい」と思っている中で、たった一人でも一緒に狂ってくれる仲間がいる——それだけで救われた。
私は思い切って画面を自分のスマホに取り付けた。
その一瞬で、教室の空気が一変した。驚きと興奮のざわめきが広がる。
大西の行動に触発され、スマホに詳しい数人のクラスメートが次々に手を貸してくれた。データケーブルを取り出し、画面の接続を手伝ってくれた。理科室から工具を借りてきた生徒もいて、手が汗で滑るほどの緊張感が漂っていた。
先生は腕時計を睨み、「今の十分でクラス全員の十分が無駄になった」と皮肉っぽく言った。
私は慎重に電源ボタンを押した。画面はまだ完全には装着されていなかったが、配線だけでかろうじてつながっていた。
バラバラのスマホがついに起動し、AQUOSのロゴが薄く浮かび上がった。
私は胸いっぱいに息を吸い、「やった」と心の中でつぶやいた。
クラス全員が立ち上がり、私のスマホの周りに集まって画面に目を凝らした。
私は画面を操作し、LINEのアプリを開いた。
しかし、そこには何も表示されていなかった。メッセージは一通もなかった。
先生は勝ち誇ったように鼻で笑い、「どこにそのメッセージがあるんだ?みんなお前の道化に付き合っただけだな」と言った。
私は悔しさをこらえながら、「先生が壊した時にストレージが壊れて、いくつかのアプリが動かなくなってるんです」と必死に訴えた。
先生は怒りを爆発させ、「もういい加減にしろ。いつまでお前とスマホで遊ばなきゃいけないんだ?もうここで勉強する資格はない。校長に報告して退学させる」と怒鳴りつけた。
さらに、私を手伝ったクラスメートたちにも「全員罰を受けろ。お前もだ。さっき言ったな?一緒に退学だ」と突き放した。
大西は顔色を失いながらも、私に「大丈夫、信じてる。兄弟だからな」と小さく微笑んだ。
先生は鼻で笑いながら、「そうだ、信じ続けろ。二人とも荷物をまとめて出ていけ。親に退学通知を取りに来させろ」と言い放った。
大西は静かに席に戻り、無言で荷物をまとめ始めた。
私は机の下で拳を握りしめ、唇を噛み締めた。
私は「自分は何も悪くない」と何度も心の中で繰り返した。なのに、どうしてこんな仕打ちを受けなければいけないのか。
大西まで巻き込んでしまったことが、何よりも胸を締め付けた。
先生は無造作に私の机の上の本を全てバッグに詰め、それを私に投げつけて「出ていけ。お前はここで勉強する資格がない」と怒鳴った。
私は静かにバッグを拾い、深く息を吐いた。自分の呼吸だけがやけに大きく感じられた。
ついに、クラスのあちこちから小さな声で先生に意見を述べる生徒が現れ始めた。
「先生、本気かもしれませんよ」と、誰かがぽつりと呟いた。
「そうですよ、謝罪だけでいいじゃないですか、退学はやりすぎです」と、他の生徒も声を上げた。
「退学は重すぎます。チャンスをあげてください」と、誰かが勇気を出して言った。
田村は涙声で「彼は俺の母親を呪ったんだぞ。みんな俺の気持ちを考えてくれたか?」と叫んだ。
教室のあちこちで、生徒たちは田村に対して呆れたような表情を浮かべていた。
私は心の中で「やっぱり、こうなるんだ」と呟いた。
田村は、あの時私のスマホでイタズラした時点で、もう友達を失っていた。
冗談は友達同士でしか成立しない。今、田村は友達の輪から外れてしまった。
生徒たちがさらに発言しようとしたその時、先生は「静かに。次に口を開いたら後ろに立たせる」と冷たく言い放った。
生徒たちは言いかけて口をつぐみ、私は「大丈夫、どうせ戻ってくるから」と手を軽く振って見せた。
先生は皮肉っぽく「お前が戻ってきたら、俺は逆立ちで授業して足で方程式を書く」と言った。
私は反論する気も起きず、大西の方を見て、二人で小さく微笑み合った。言葉にできない連帯感がそこにあった。
私は今でも、自分が間違っていないと信じていた。
大西も、間違っていない人間を信じたと確信しているのだろう。
大西は私の肩に手をかけ、「行こう」と柔らかく微笑んだ。
私はバッグを肩にかけ、二人で教室を出ようとした。その瞬間——。
窓から差し込む朝日が、教室の空気を少しだけ明るくした。
静まり返った教室に、壊れたはずのスマホから、突然着信音が鳴り響いた。
その音は、まるで何かを告げるように教室中に響き渡った。
誰も息を呑み、動けなかった。運命が、今ここで変わる気がした。