雪解けを待つふたり、帝都の灯が揺れる夜に / Chapter 8: 第8話:凍える指と熱い口づけ
雪解けを待つふたり、帝都の灯が揺れる夜に

雪解けを待つふたり、帝都の灯が揺れる夜に

著者: 岡本 圭


Chapter 8: 第8話:凍える指と熱い口づけ

その夜、食事の時、私は柊征二に次々と料理を取り分けた。湯気が立つ皿を、彼の前にそっと置いた。

彼は素直に私が取ったものを食べ、ほとんど口をきかなかった。沈黙は、悪いものばかりではない。

夜、彼はいつものように書斎で休もうとした。

私は布団を抱えて彼の元へ行った。戸口から覗く暖色の灯りが、小さな勇気になった。

彼は机で報告書を書いていて、私が入ってくると驚いた。筆の先が紙に点を残した。

私は布団をまとい、彼の隣に座った。「墨を摺ってあげるわ」

彼は筆を置き、「もう寝なさい。寒いから」と追い出そうとした。気遣いが、拒絶の形になった。

「嫌よ」私は頑なに彼のそばに寄り、布団を半分分けて彼の膝にかけた。

「こんなに寒いのに、火鉢もない書斎で、薄着で自分を大事にしなさすぎよ。年を取って足が痛くなっても知らないから。さあ、ちゃんと掛けて」言いながら、自分でも可笑しいほど世話焼きだった。

温かい布団をかけられ、彼は私を見て、やはり断れず、冷たい目も次第に和らいだ。目の色が、冬から春へとわずかに変わった。

「……ああ」彼は多くを語らず、筆を取ってまた書き始めた。

柊征二の字は本当に美しい。力強く、繊細で、まさに首席合格者そのものだ。行間に、彼の生真面目さが滲む。

だが、その手は凍傷でひび割れていて、痛々しかった。指の節々が赤く、皮膚がささくれていた。

私は目を赤くし、思わず尋ねた。「征二さん、手は痛くない?」

彼は少し止めて、「痛くない。北は厳寒で、凍傷はよくあることだ。これくらい、北で凍死した民に比べれば大したことじゃない。だが、今は賊もいなくなり、民の暮らしも戻った。もう誰も凍死しない」言葉は淡々としていたが、重みがあった。

私は胸が締め付けられた。彼の寒さは、誰かの温もりに変わっていたのだ。

柊征二が北方で民から慕われているという話も、今なら素直に信じられる。

私は机に伏せ、彼を見れば見るほど好きになった。好きになるのに、理由は要らなかった。

こんな人が一生くすぶったまま、志を果たせないまま終わるなんて惜しすぎる。

私は生まれ変わったからには、父母を救い、柊征二の断たれた出世の道も取り戻してあげたい。握った拳に、決意が宿った。

しばらくして、彼は私の視線に気づき、振り返って聞いた。「何を笑っている?」

私は目をぱちぱちさせた。「嬉しいの。こんな素敵な人が夫になってくれて、顔もよくて人柄も立派」照れ笑いが、自分でもくすぐったかった。

彼の耳は真っ赤になり、慌てて顔をそらした。「何を言ってる」声が少し上ずった。

数文字書いてから筆を置き、「もう遅い。早く寝なさい」と言った。

「嫌よ、待ってる」

私は彼の隣に寄り添い、彼の体が震えた。「私は……」言葉の先を探している。

「一緒に寝たいの。征二さん、寝室へ行こう?私たち、夫婦でしょう?」

彼が何か言う前に、私は彼の首に手を回し、唇にキスをした。鼓動が重なった瞬間、全ての説明がいらなくなった。

柊征二は体を震わせ、心臓が激しく跳ね、漆黒の瞳が私の唇に彷徨い、やがて私を腰ごと抱き寄せ、激しく口づけた。溶けるような熱が、冬の部屋に広がった。

私は全身が痺れ、彼に溶け込んでしまいそうだった。文官なのに、こんなに力が強いとは思わなかった。彼の腕には、北の風の強さが宿っていた。

理性が消えかけた時、彼はかすれた声で聞いた。「壬生小夜子、本当にいいのか?」

「うん」

「後悔するなよ」彼の声は低く、優しかった。

……

翌朝早く、柊征二は私を布団で包み、寝室へ運んだ。扉を開けると、ちょうど千代と平安が庭掃除に起きてきたところだった。

二人は固まったまま、やがて赤面して走り去った。冬の空気まで照れているみたいだった。

柊征二は私をそっと床に下ろし、微笑んだ。「もう少し寝てて。私は省庁へ行く」

私は素直に頷いた。「うん」

彼は額にキスをして出ていき、ふと振り返って聞いた。「何か欲しいものはある?」

「梨の羊羹が食べたい」子供みたいに言ってしまった。

「分かった」

彼は優しく微笑み、出かけていった。扉が閉まる音が、心地よく余韻を残した。

この章はVIP限定です。メンバーシップを有効化して続きを読む。

あなたへのおすすめ

凌雲橋のほとり、消えぬ魂と約束の夜
凌雲橋のほとり、消えぬ魂と約束の夜
4.9
霞が関地下の異能者行政「高天原」で働く神代 蓮は、三年前の祝賀会でかつての仲間四人と再会した。西域遠征を経て戻った彼らは、かつての面影を失い、それぞれが異なる痛みと秘密を抱えていた。葛城の精神の謎、猿渡の失われた感情、猪熊の静かな死、沙川の慟哭——すべては霊山会と特務機関、そして見えざる上層部の策謀に絡め取られてゆく。心の奥に残る疑念と嫉妬、別れと再会の記憶。組織と己の間で揺れる蓮は、仲間とともに運命に抗い、最後にはそれぞれの選択を静かに受け止めていく。月明かりの下、すべてが終わったはずの夜に、再び小さな灯りが揺れる——それは本当に終わりなのだろうか。
君の手が頬に触れた夜、運命に抗う僕らの距離
君の手が頬に触れた夜、運命に抗う僕らの距離
4.6
目覚めた時、隣には四年間密かに想い続けてきた天宮先輩がいた。複雑な家同士の思惑、オメガへの分化、消せないマーキングと心の傷。帝都防衛アカデミーでの絆は、静かに、そして激しく揺れる。家族や政略の重圧の中、雨の夜に交わされるひとつの傘、残された言葉、遠ざかる背中。雪原の爆発と拘置区の壁の向こうで、二人の距離は今も測れないまま。最後に彼の手が頬に触れたとき、心は何を選ぶのだろうか。
冬の港に影が落ちて、春の光が射すとき
冬の港に影が落ちて、春の光が射すとき
4.9
形だけの結婚生活に終止符を打つ日、静かな丘の街に冬の気配が忍び寄る。幼なじみとして二十年寄り添った小雪との別れは、静かで痛みを伴うものだった。湊は母の看病や離婚の現実に揺れながらも、自分を大切にしてくれるひよりの温かさに少しずつ心を解かれていく。すれ違い、諦め、そしてようやく訪れた新しい愛のかたち。遠ざかる影と、差し込む光。そのどちらも胸に残したまま、湊は静かに歩き出す。 本当に、大切なものはどこにあったのだろうか。今度こそ、自分の幸せを信じていいのだろうか。
裏切りの雪夜、ふたりの秘密
裏切りの雪夜、ふたりの秘密
4.9
理想的な夫婦を演じてきた和也は、初恋の瑞希との再会によって禁断の関係に堕ちる。優しい妻・綾香の無垢な笑顔と、満たされない心の隙間――二つの愛の狭間で揺れ動く彼に、雪の夜、決定的な瞬間が訪れる。崩れゆく日常と、誰にも言えない“秘密”が、静かに彼らの運命を変えていく。
雪の果て、私だけの自由を求めて
雪の果て、私だけの自由を求めて
4.8
名家・東条家に嫁いだ沢良木涼は、商家の娘としての実利と知恵を持ちながらも、体面を重んじる家族に冷たく扱われ、やがて裏切りと孤独の果てに命を落とす。しかし再び生まれ変わり、今度こそ自分のために生きることを誓う。北海道への流刑の旅路で、家族の偽善や弱さ、欲望の本質を静かに見つめ、やがて自身の手で新たな人生を切り開いていく。雪に閉ざされた大地で、失ったものと得たものの重みを胸に、涼はもう誰にも頼らず歩き出す。人は本当に過去を超えられるのだろうか。彼女の選択が、静かな余韻を残す。
桜京の城壁から、何度でも君を選ぶ——転生皇女の終わらない夢
桜京の城壁から、何度でも君を選ぶ——転生皇女の終わらない夢
4.8
皇女・咲夜は、過去の痛みと後悔を抱えたまま再び人生をやり直す。側仕えの蓮との歪んだ愛、将軍家の娘・紗季との因縁、そして転生者として現れた白河湊との静かな駆け引き。運命を繰り返すなかで、愛と裏切り、選択の重さを知る。夢と現実が交錯する世界で、彼女は自分自身と向き合い、終わりと始まりの境界を歩む。最後に、現代の病院で目覚めた咲夜の心には、もう一度だけ信じてみたい誰かの温もりが残っていた。それでも、この物語は本当に終わったのだろうか。
夜の檻がほどけるとき、娘の微笑みは戻るのか
夜の檻がほどけるとき、娘の微笑みは戻るのか
4.8
夜の大宮、何気ない家族の時間が、一通のLINEで崩れ始めた。コスプレを愛する娘・美緒の無垢な日常に、ネットの悪意が静かに忍び寄る。父と母は、守るために倫理を越え、罪の闇に手を染めていく。家族の絆、すれ違う信頼、交差する他者の欲望と嫉妬。その果てに残された沈黙は、やさしさか、それとも終わりなき罰なのか。 本当に守りたかったものは、何だったのだろうか。
木彫りの祈りと蛍光灯の夜、君の手の温度
木彫りの祈りと蛍光灯の夜、君の手の温度
4.8
蛍光灯の下、木彫りの作業台に向かいながら、静かな寮の一室で配信を続けていた相原直。幼い頃から孤独と向き合い、木に祈りを刻むことで日々を乗り越えてきた。新たな同居人・神谷陸との距離は、最初は冷たく、時に痛みや誤解も重なったが、少しずつ互いの孤独に触れ、手の温度が心を溶かしていく。SNSでの騒動や、身近な偏見に晒されながらも、二人は小さな勇気を積み重ねてゆく。年越しの夜、灯りと祈りが交錯し、静かな祝福が胸に降りる。二人の時間は、これからも波のように続いていくのだろうか。
雪原に残る赤糸 ――義経、松尾山にて夢と現の狭間を駆ける
雪原に残る赤糸 ――義経、松尾山にて夢と現の狭間を駆ける
4.6
身を切る西風と降りしきる雪の中、鎌倉の獄舎で短刀を見つめる義経の心は、過去と現在を揺れ動く。戦乱の果てにすべてを失い、悔恨と静かな諦念の狭間で記憶の波に身を任せる。その意識が溶けるように薄れた時、義経は突如として松尾山の砦に立ち、時代を超えた戦乱の只中で源四郎やお文と出会う。裏切りと忠義、恐れと誇りが錯綜し、命をかけた最後の瞬間が静かに訪れる。赤糸の鎧が雪を染め、風がすべてを包み込む中、義経はひとつの問いを胸に突き進む――あの日の約束は、今もどこかで灯っているのだろうか。
雪の村に咲いた復讐の花――母と娘、十八年の沈黙を越えて
雪の村に咲いた復讐の花――母と娘、十八年の沈黙を越えて
4.9
雪に閉ざされた久那坂村。澤渡家の娘・花は、母・陽子が村に「外」から連れて来られた女性であることを幼い頃から知っていた。母は村の因習と暴力に耐え、やがて家族も村人も巻き込む静かな復讐へと歩み始める。十八年分の傷と沈黙、母娘の間に流れる言葉にならない絆。最後に母を抱きしめ、花は自分自身の選択を下す。過去と決別したその先に、微かな春の光は差し込むのだろうか。