雪解けを待つふたり、帝都の灯が揺れる夜に / Chapter 5: 第5話:名門検事の冷たい拒絶
雪解けを待つふたり、帝都の灯が揺れる夜に

雪解けを待つふたり、帝都の灯が揺れる夜に

著者: 岡本 圭


Chapter 5: 第5話:名門検事の冷たい拒絶

師走二十日、法務省の前を通ると、役人たちが蟻のように荷物を運び出しているのを見かけ、尋ねてみると「庁舎の増築工事で一部を仮移転することになって、古い書庫の資料をまとめて運び出しているところだ」とのことだった。書類箱が雪の中に列を作り、埃と寒気が舞っていた。

私は閃いた。胸の奥で灯りが点いたように。

今、法務省は混乱している。もしかしたら父の事件の記録を手に入れられるかもしれない。混乱は、弱い者にも隙をくれる。

だが、私が法務省で唯一知っているのは久我樹だけ。先月、紅茶サロンで彼を罵ったばかりだった。自分の軽率さが、今さら恨めしい。

軽率だった。彼が役に立つと分かっていれば、我慢したのに。言葉は刃になりやすい。

私は困り果てた。足は止まっても、心は走り続けた。

悩んだ末、年始の挨拶の菓子折りをいくつか抱え、名刺も添えて何度も使いの者に届けさせ、ようやく面会の口実を作って、厚かましく久我樹を訪ねた。正門で名刺を差し出し、寒空の下で半刻も待たされる覚悟を決めて。

かつて久我家と壬生家は親しく、私は自由に久我家に出入りできた。だが今は家が没落し、門前で半刻も待たされてから通された。敷居の高さが、時間の長さになっていた。

出迎えたのは久我樹の母だった。

廊下で私を睨み、「あなたはもう人妻なのに、なぜうちの樹に付きまとうの?」と冷たく言った。言葉の冷気が、冬よりも鋭かった。

私は目的を明かせず、微笑んで答えた。「私は樹さんと幼なじみで、とても親しい友人です。嫁いでから久しく会っていなかったので、休みの日に旧交を温めに来ました」笑顔に、必死の色が混ざった。

「旧交?まだうちの樹に色気があるのでは?」

彼女の軽蔑の視線は針のように痛かったが、用事があるので我慢してさらに柔らかく微笑んだ。「伯母様、誤解です。私は夫と仲睦まじく、他人に思いを寄せることなどありません」言葉に少しだけ、虚勢を足した。

「仲睦まじい?あなたが嫁いで二年、柊さんとろくに話もしていないそうじゃない。これが仲睦まじいの?」

「外野が何を知っているのでしょう。夫婦のことは当人しか分かりません。例えば伯母様とご主人、床の上のことを他人に話しますか?」口に出してから、少しだけ頬が熱くなった。

「あなた!壬生小夜子、娘がそんなことを言うなんて……」

彼女が顔を真っ赤にしていると、奥の扉が開き、久我樹が淡々と私を見て言った。「母さん、彼女を中に入れて」声は静かながら、拒めない力があった。

「まあ、樹、こんな疫病神に会ってどうするの!」

久我樹は黙っていた。母親は勝てず、袖を払って怒って去った。足音が早足で遠ざかった。

久我樹は私を見て言った。「用件を言え」

私は頭をかき、「中で話そう」と言ったが、彼は通さず、「ここで言え。終わったらすぐ帰れ」と冷たかった。敷居の内側でも、距離は遠い。

仕方なく声を潜めて頼んだ。「父の事件の記録を探してほしいの……」

言い終わらないうちに、彼は冷たい手で私の口を塞いだ。

「ん?」

彼は周囲を見回し、私を部屋に引き入れて扉を閉め、厳しい口調で言った。「何に使う?」戸口の影が、話の重さを増した。

私は手を振りほどき、必死に訴えた。「久我樹、父は冤罪なんです。記録を見て、冤罪を晴らしたい!」

「馬鹿か。そんなもの、お前が見てどうする。しかも父上はすでに自白し、覆す余地はない。無駄な努力だ」言葉は冷たいが、目の奥で何かが揺れた。

「無駄かどうかはやってみないと分からない!久我樹、父はお前にとてもよくしてくれたのに、助けてくれないの?」

「この事件が何に関わるか分かっていないな。久我家は百年の名門、私一人のために潰すわけにはいかない。手助けはできない」彼の肩の上には、家の重みが乗っていた。

彼は冷たく顔を背けた。

私は心が半分冷えた。残りの半分は、まだ燃え続けていた。

かつて彼に求婚を頼んだ時も同じことを言われた。久我家は名門、長男として期待を背負い、私のために自分の将来を捨てられないと。理屈は正しいが、心は痛む。

仕方ない。

元々期待していなかった。期待は裏切られるためにある、と自分に言い聞かせた。

「分かったわ。お菓子は受け取って。お正月の贈り物だから、年越しには来ない」この家に長居すれば、心の温度がさらに下がる気がした。

私は贈り物を置いて、寂しく去った。背中に、廊下の冷気がまとわりついた。

久我樹がふいに呼び止めた。「壬生小夜子、もう調べるな。お前のためだ」言葉は短いが、重い。

「うん」

私は振り返らず、扉を開けて出て行った。外気が頬に刺さり、目が覚めた。

久我家を出て、空を見上げて、どうしようもない無力感に襲われた。雲が重く垂れ込み、雪の予感がする。

前世、父は何もするなと言った。私は従ったが、結局両親は戻らなかった。今世は何かしなければ、でも私に何ができるのだろう?問いが、息よりも白かった。

師走の風は刃のように肌を刺し、私は吐息で手を温めた。指先がじんじん痛み、気持ちも同じように痛んだ。

あなたへのおすすめ

凌雲橋のほとり、消えぬ魂と約束の夜
凌雲橋のほとり、消えぬ魂と約束の夜
4.9
霞が関地下の異能者行政「高天原」で働く神代 蓮は、三年前の祝賀会でかつての仲間四人と再会した。西域遠征を経て戻った彼らは、かつての面影を失い、それぞれが異なる痛みと秘密を抱えていた。葛城の精神の謎、猿渡の失われた感情、猪熊の静かな死、沙川の慟哭——すべては霊山会と特務機関、そして見えざる上層部の策謀に絡め取られてゆく。心の奥に残る疑念と嫉妬、別れと再会の記憶。組織と己の間で揺れる蓮は、仲間とともに運命に抗い、最後にはそれぞれの選択を静かに受け止めていく。月明かりの下、すべてが終わったはずの夜に、再び小さな灯りが揺れる——それは本当に終わりなのだろうか。
君の手が頬に触れた夜、運命に抗う僕らの距離
君の手が頬に触れた夜、運命に抗う僕らの距離
4.6
目覚めた時、隣には四年間密かに想い続けてきた天宮先輩がいた。複雑な家同士の思惑、オメガへの分化、消せないマーキングと心の傷。帝都防衛アカデミーでの絆は、静かに、そして激しく揺れる。家族や政略の重圧の中、雨の夜に交わされるひとつの傘、残された言葉、遠ざかる背中。雪原の爆発と拘置区の壁の向こうで、二人の距離は今も測れないまま。最後に彼の手が頬に触れたとき、心は何を選ぶのだろうか。
冬の港に影が落ちて、春の光が射すとき
冬の港に影が落ちて、春の光が射すとき
4.9
形だけの結婚生活に終止符を打つ日、静かな丘の街に冬の気配が忍び寄る。幼なじみとして二十年寄り添った小雪との別れは、静かで痛みを伴うものだった。湊は母の看病や離婚の現実に揺れながらも、自分を大切にしてくれるひよりの温かさに少しずつ心を解かれていく。すれ違い、諦め、そしてようやく訪れた新しい愛のかたち。遠ざかる影と、差し込む光。そのどちらも胸に残したまま、湊は静かに歩き出す。 本当に、大切なものはどこにあったのだろうか。今度こそ、自分の幸せを信じていいのだろうか。
裏切りの雪夜、ふたりの秘密
裏切りの雪夜、ふたりの秘密
4.9
理想的な夫婦を演じてきた和也は、初恋の瑞希との再会によって禁断の関係に堕ちる。優しい妻・綾香の無垢な笑顔と、満たされない心の隙間――二つの愛の狭間で揺れ動く彼に、雪の夜、決定的な瞬間が訪れる。崩れゆく日常と、誰にも言えない“秘密”が、静かに彼らの運命を変えていく。
雪解けの輪郭に、僕はもう家族を呼ばない
雪解けの輪郭に、僕はもう家族を呼ばない
4.5
雪の降る東北の町で事故に遭い、家族の冷たさに人生を奪われた晴樹は、二度目の人生を与えられる。今度こそ優しさを捨て、冷静な論理で家族の運命に立ち向かうことを決意した。配信という新たな武器で家族の本性を世にさらし、かつて自分が味わった絶望を静かに返していく。季節が巡り、因果が静かに収束していく中、晴樹は雪解けのような自由を手に入れる。家族の物語は、もう彼の人生の輪の外側で静かに終わろうとしていた。 それでも、あの雪の記憶は本当に消える日が来るのだろうか。
雪の果て、私だけの自由を求めて
雪の果て、私だけの自由を求めて
4.8
名家・東条家に嫁いだ沢良木涼は、商家の娘としての実利と知恵を持ちながらも、体面を重んじる家族に冷たく扱われ、やがて裏切りと孤独の果てに命を落とす。しかし再び生まれ変わり、今度こそ自分のために生きることを誓う。北海道への流刑の旅路で、家族の偽善や弱さ、欲望の本質を静かに見つめ、やがて自身の手で新たな人生を切り開いていく。雪に閉ざされた大地で、失ったものと得たものの重みを胸に、涼はもう誰にも頼らず歩き出す。人は本当に過去を超えられるのだろうか。彼女の選択が、静かな余韻を残す。
桜京の城壁から、何度でも君を選ぶ——転生皇女の終わらない夢
桜京の城壁から、何度でも君を選ぶ——転生皇女の終わらない夢
4.8
皇女・咲夜は、過去の痛みと後悔を抱えたまま再び人生をやり直す。側仕えの蓮との歪んだ愛、将軍家の娘・紗季との因縁、そして転生者として現れた白河湊との静かな駆け引き。運命を繰り返すなかで、愛と裏切り、選択の重さを知る。夢と現実が交錯する世界で、彼女は自分自身と向き合い、終わりと始まりの境界を歩む。最後に、現代の病院で目覚めた咲夜の心には、もう一度だけ信じてみたい誰かの温もりが残っていた。それでも、この物語は本当に終わったのだろうか。
夜の檻がほどけるとき、娘の微笑みは戻るのか
夜の檻がほどけるとき、娘の微笑みは戻るのか
4.8
夜の大宮、何気ない家族の時間が、一通のLINEで崩れ始めた。コスプレを愛する娘・美緒の無垢な日常に、ネットの悪意が静かに忍び寄る。父と母は、守るために倫理を越え、罪の闇に手を染めていく。家族の絆、すれ違う信頼、交差する他者の欲望と嫉妬。その果てに残された沈黙は、やさしさか、それとも終わりなき罰なのか。 本当に守りたかったものは、何だったのだろうか。
木彫りの祈りと蛍光灯の夜、君の手の温度
木彫りの祈りと蛍光灯の夜、君の手の温度
4.8
蛍光灯の下、木彫りの作業台に向かいながら、静かな寮の一室で配信を続けていた相原直。幼い頃から孤独と向き合い、木に祈りを刻むことで日々を乗り越えてきた。新たな同居人・神谷陸との距離は、最初は冷たく、時に痛みや誤解も重なったが、少しずつ互いの孤独に触れ、手の温度が心を溶かしていく。SNSでの騒動や、身近な偏見に晒されながらも、二人は小さな勇気を積み重ねてゆく。年越しの夜、灯りと祈りが交錯し、静かな祝福が胸に降りる。二人の時間は、これからも波のように続いていくのだろうか。
雪原に残る赤糸 ――義経、松尾山にて夢と現の狭間を駆ける
雪原に残る赤糸 ――義経、松尾山にて夢と現の狭間を駆ける
4.6
身を切る西風と降りしきる雪の中、鎌倉の獄舎で短刀を見つめる義経の心は、過去と現在を揺れ動く。戦乱の果てにすべてを失い、悔恨と静かな諦念の狭間で記憶の波に身を任せる。その意識が溶けるように薄れた時、義経は突如として松尾山の砦に立ち、時代を超えた戦乱の只中で源四郎やお文と出会う。裏切りと忠義、恐れと誇りが錯綜し、命をかけた最後の瞬間が静かに訪れる。赤糸の鎧が雪を染め、風がすべてを包み込む中、義経はひとつの問いを胸に突き進む――あの日の約束は、今もどこかで灯っているのだろうか。