Chapter 3: 第3話:一年前に戻った幽霊花嫁
「お嬢様、柊様からお手紙です、早くお目覚めを!」
千代の甲高い声が耳障りで、私は頭を揉みながら苛立って目を開けた。炭火の温もりが、皮膚にやわらかくまとわりついた。
「分かったわ、千代」
そう言って、私はふと呆然とした。私は死んだはずじゃなかった?胸の鼓動が、当たり前のように手のひらを押し返してくる。
手を見ると、血色も良く、炭火の温もりまで感じられる。不思議でならない。指を握ると、関節が軽く鳴った。
「千代、私……生きてる?」
「お嬢様、寝ぼけてます?昼寝で死ぬ人なんていませんよ?」千代は丸い目を見開いて私を覗き込む。頬がふっくらしていて、どこか幼さが残っていた。
よく見ると、千代は背が少し低く、顔もふっくらして、記憶よりずっと幼い。幼い声の響きに、時間が遡った違和感が混ざった。
私は周囲を見渡した。紅茶の香り、ガラス越しの冬光、窓辺のレースカーテン。見慣れたはずの風景が、少しだけ昔の色をしている。
ここは紅茶サロンの小窓際で、外には人が行き交い、女性たちの顔には一年前に流行った派手めの紅を差す化粧が施されている。ガス灯の琥珀色が、頬の紅をやわらかく照らした。
「千代、今年は何年?」
「今は大正十年ですよ。ああ、お嬢様、柊様が北方に行ってまだ一年なのに、私が奥様を痴呆にしちゃったみたいで、彼が帰ったら私はもう……」千代は口を尖らせ、困り顔だ。言葉の上ずり方まで、昔のままだ。
私はしばらく呆然とし、自分の腕を思いきりつねる。はっきりとした痛みで、私は本当に生きていて、一年前に戻ってきたのだと理解した。皮膚の赤みが、現実の印だった。
これは、父母が病死する前年だ。まだ間に合う。胸の奥が熱くなる。
脳裏に何かが閃き、意識を消える直前に、無数の紙が漂い、「冤」という字がぎっしり書かれていたのを思い出した。白い紙の群れが、雪のように舞っていた。
何かの暗示だろうか?天が私を生き返らせたのは、父の冤罪を晴らすため?胸の内で誰かが頷いた気がした。
紅茶サロンの入口が急に賑やかになり、私はふと目を向けた。そこには琥珀色の瞳があった。背広の襟元に冬の風が入り込み、彼の目はきりりと冷えていた。
法務省の検事、久我樹だった。
彼は私を見て一瞬呆然とし、隣の同僚がからかった。「久我さん、昔の恋人に会ったのに、挨拶しないんですか?」軽口が宙に漂った。
久我樹は眉をひそめ、冷たい口調で言う。「私はこの女とは無関係だ。山田さん、夜中に舌を抜かれぬよう、軽口は控えなさい」皮肉の刃が、丁寧語の鞘に収まっていた。
私は口元を引きつらせた。笑いにも涙にもならない顔だ。
かつて私は久我樹を慕い、心血を注いだが、家が没落した後、彼は私を門前払いにし、すっかり心が冷えた。今さら私を嫌う顔をするとは。見苦しいほどに、昔を切り捨てる。
滑稽な話だ。滑稽で、少し痛い。
私は席を立ち、「千代、帰るわ。お茶を飲みに来ただけで疫病神に会うなんて、ついてない」と言った。紅茶の香りが急に冷めた。
久我樹は一瞬まぶたを震わせ、そっと視線を逸らし、細く長い手を袖の中で握りしめた。感情は見せないが、拳の白さが雄弁だった。
私は紅茶サロンを出ると、頭の中に紙が舞う情景が何度も浮かび、考え込んだが、手がかりは掴めなかった。風が頬を刺し、思考は空回りした。
千代が追いついてきて、慌てて言う。「お嬢様、柊様のお手紙まだ見てませんよ!」
柊征二……
私は足を止め、彼女の手にある封筒を見つめた。死ぬ間際、柊征二が血を吐いた姿が脳裏に浮かび、しばし茫然とした。白い紙片がやけに重く、手の中で震えた。
彼が北方に行って一年、私は一度も手紙を出さなかったのに、彼は毎月欠かさず手紙を送り続けていた。その執着は理解できなかった。理解したくないと目を背けていたのだ。
「ちょうだい、見てみるわ」
私は封を切り、便箋を取り出した。やはり「無事でいる、心配無用」と、短い定型句だけが、几帳面な字で並んでいた。短く、まっすぐ、優しい。
理由もなく胸が痛んだ。たった一言に、彼の息の詰まるような季節が詰まっている。










