Chapter 1: 第1話:毒を選んだ没落令嬢
家が没落した後、私は帝都の高等文官試験――帝国高等文官試験で首席合格した柊征二と、政略結婚を強いられた。ガス灯の灯る帝都の路地で、背広の男たちと、地味な小紋や銘仙をまとった女たちが行き交うなか、壬生家の娘として最後に選んだのは、愛のない婚姻だった。
結婚して三年、私は彼に冷たく接し、一度も同じ布団に入らず、指一本触れさせなかった。挨拶さえ事務的に済ませ、夜は仏間に籠もって数珠をまさぐるだけ。彼の視線から逃げるようにして、私は自分の殻に閉じこもっていた。
だが、私が自死した後、征二が私の亡骸を抱きしめて血を吐き、一晩で髪が真っ白になったのを、幽霊になった私は見てしまった。薄明かりの中、彼の肩は震え、胸のうちの叫びが伝わってくるようだった。その痛みは、私の冷たさよりもずっと鋭かった。けれど、後に千代が「あの夜以降、征二様の髪に白いものが目立つようになった」と話していた。あの時の吐血も、悲嘆に暮れ、積もり積もった心労が一気に押し寄せたせいなのだろう。
生まれ変わった私は、ふと彼に優しくしたいと思った。頑なさを手放して、もう一度、ひとりの妻として彼に向き合ってみたい――そう心がふっと動いたのだ。
私と柊征二が結婚して二年目、彼は帝都を離れ、北方の守備隊へと赴任した。汽笛が鳴り、雪の匂いを含んだ北風が駅構内を抜けていったあの日、彼は背広の上に薄いコートだけを羽織り、寡黙に手を振った。
北の地は厳しい寒さで、彼は吹雪の中、何度も凍える夜を耐え抜いた。鉛色の空、凍てつく大地、窓に薄氷が張る兵舎の灯り。彼の吐く息は白く、指先はいつもかじかんでいたという。
北の守備隊から戻った者によれば、柊さんは薄着のまま、地元の人が作った防寒着も受け取ろうとせず、両手はすっかり凍傷になっていたという。頑なに他人の好意を遠ざけ、まるで何かに耐えるように孤独を選んでいたらしい。
夫が遠方に赴任したなら、情理としても妻がウールのコートやマフラーを編んで送るのが当たり前だ。帝都では、郵便局の窓口にウールの包みが並ぶのは冬の風物詩でもある。
だが、私は部屋で数珠を弄びながら、ただ「それが私に何の関係があるの」と心の中で思っていた。仏壇の煤けた灯が揺れ、私の心も揺れないふりをしていた。
彼が私を娶ると決めたのだ。私の冷たさも、壊れた家も、すべて承知の上で。
結婚初夜、私は彼にはっきり告げた。「私はもう心が死んでいる。あなたを愛することはないし、期待しないで」と。彼の瞳が一瞬だけ揺れ、それから静かに頷いた姿を、私は忘れようとして忘れられずにいた。
彼も分かっているはずだ。彼が北の地で死んだとしても、私は遺体を引き取りに行くことすらしないだろう。そう言い切るほど、当時の私はこじらせていた。
翌日、私は昼まで寝ていた。炭のはぜる音が遠くで鳴り、寝台の温もりが心地よかった。
千代が慌てて駆け込んできて、嬉しそうに言った。「柊様からお手紙が届きました!」薄い便箋の入った封筒を、胸の前でそっと揺らしながら。
私はそれを受け取ると、目もくれずに暖炉に放り込んだ。封筒はたちまち火に舌を舐められ、中の紙の端が波打って黒くなった。
千代は驚き、「あっ、お嬢様、どうして燃やしてしまうんですか!」
「読まなくてもわかるわ。どうせまた『無事でいる、心配無用』っていうだけよ」彼の手紙はいつも簡潔で、ほとんど決まり文句しか書かれていない。どうせ今回も同じだと、決めつけていた。
柊征二が外地赴任して二年、毎月欠かさず家に手紙をよこしてくる。
内容はいつも同じ、ただ決まり文句――ご無事で、気にかけないで。私に負担をかけないよう、遠くからそっと心配を隠す言葉だった。
彼が何のために書くのか、私には分からなかった。形ばかりの夫婦に、何の意味があるのだろう、と。私は意地になっていた。
この家には、彼を案じる者などいない。仏間の匂い、冷えた廊下、閉じた障子。ここは長い間、他人を拒む家だった。
千代は封筒が灰になるのを見て残念がったが、私を咎めることもできず、しばらくして話題を変えた。
「お嬢様、聞きました?柊様は北方で民をよく治めて、評判も高く、皆さんにとても慕われているそうです。帝都に戻ればきっと昇進するかもしれませんよ」千代の頬がほころび、嬉しさがにじんでいた。
私はしばし呆然とし、微笑んだ。「昇進なんて無理よ」言葉の端に、諦めと意地が絡んだ。
彼は罪人の娘である私を娶ったことで、自ら出世の道を断った。この先、栄達などあり得ない。帝都では、噂は事実より先に広まる。
でも……全く可能性がないわけでもない。ほんのわずかな希望が、炭火のように胸の底で燻っていた。
「何とおっしゃいました?」千代は少し耳が遠い。私のため息を言葉だと思ったらしい。
私は微笑み、「もう下がって。そうだ、梨の羊羹が食べたいから、街で探してきて」季節の甘味の話に逃げ込むように言った。
久しぶりに笑顔を見せたせいか、千代は嬉しそうに頷き、すぐに出ていった。足音が弾むようで、廊下まで明るくなった。
私は庭の門を閉めた。冬の光が古い木戸に斜めに当たり、影が細く伸びる。
顔を洗い、眉を描き、一番好きな白木蓮の簪を挿し、箱の底から長く隠していたネコイラズの瓶を取り出した。薄く擦れたラベルが、やけに冷たく見えた。
新しいお茶を淹れ、ネコイラズをすべて注ぎ、よくかき混ぜて、陽当たりの良い隅の籐椅子に腰掛け、ゆっくりと一杯飲み干した。茶の香りと薬の匂いがかすかに重なり、喉の奥に苦さが残った。
手には一枚の手紙が握りつぶされていた。紙は皺だらけで、端が湿って重くなっていた。
それは、父母が北の刑務所――樺太の収容所で病死したという知らせだった。寒さと孤独に削られた文字が、無慈悲な現実を告げていた。
私は今日、彼らと再会しに行くつもりだった。自分の命を終えれば、あの世で会えると信じ込むほどに追い詰められていた。










