雨上がりの家を出て、私は私になる / 第6話: 分籍届と遅すぎた十万円
雨上がりの家を出て、私は私になる

雨上がりの家を出て、私は私になる

著者: 相川 すず


第6話: 分籍届と遅すぎた十万円

隼人から電話があった時、私はS市のホテルで資料を準備していた。デスクライトの白い光が、紙の上の文字をくっきりと浮かび上がらせる。

簡単な挨拶の後、彼は今後どうするのかと尋ねてきた。優しいけれど、押しつけがましくない聞き方だった。

彼が同級生だと知った今、彼の助けには本当に感謝している。だが、それだけだ。

私たちの関係は、人生を語り合うほど親しいものではない。線引きは、私のために必要だ。

だから曖昧に答えた。「まだ何も考えていない。」

電話の向こうで彼は笑った。「美緒。分籍のことは心配いらない。S市は俺の縄張りだから、お父さんと陽子がこの町で暮らし続ける限り、必ず協力させてやる。」彼の声には、頼もしさよりも“覚悟”があった。

私は一瞬、電話を握る手が止まった。唇を引き結び、すぐには返事をしなかった。

彼も急かすことなく、静かに待っていた。沈黙を受け止める人は、信用できる。

やがて私は口を開いた。「条件は?」

今度は彼が黙った。しばらくして、冷たい鼻息が聞こえた。「条件なんてないよ、美緒。ただ、助けたいだけだ。」

私は安堵しつつ、少し申し訳なく思った。これまで、私は突然近づいてくる人には警戒心を持つのが癖になっていた。

「ありがとう。でも、そんなに手間をかけなくてもいいよ。法律的に解決するつもり。」私の声は固く、しかし揺れてはいなかった。

人情の借りは返しづらい。他人に頼るより、自分で苦労した方がいい。この件はもっと早く片付けるべきだったが、大学を卒業してからは実家に戻りたくなくて、ずっと避けてきた。

そのせいで、結婚適齢期になってようやく足を引っ張られる羽目になった。自分の怠慢のツケを、今払っている。

隼人は少し黙り、やがてぼそりと言った。「じゃあ、この間だけでも彼氏をレンタルしてみない?」

私が誤解しないように、すぐに付け加えた。「無料で。」

私は思わず吹き出した。肩の力が抜ける。

だが、真面目に答えた。「隼人、これからはS市に戻ることも少ないと思う。高校時代のことなんて、もうほとんど覚えてない。大したことじゃないから気にしないで。とにかく、今回は本当にありがとう。」

よく「新しい恋で古い恋を忘れろ」と言うが、私はそうは思わない。恋は上書き保存じゃない。

長い間、誰かの恋人でいることに慣れすぎて、自分自身でいることを忘れていた。ずっと他人の承認や、子どもの頃に得られなかった愛を、他人に求めてきた。

だが、そんな歪んだ心では、うまくいくはずもない。自分を立て直すのは、恋ではなく、生活だ。

隼人に下心があったとしても、私はもう二度と自分を見失いたくなかった。境界線は、私が引く。

意外だったのは、役所での手続きを始める前に、浩一の方から連絡があったことだ。夜の着信音は、少し嫌な記憶を呼び起こした。

私は警戒しながら電話に出た。また暴言を吐かれるかと思い、ブロックする覚悟もしていた。

だが、彼はいつになくぎこちない口調で、「明日、市役所で会おう。お前の分籍のことも、借金の保証人のことも、片付けよう。」

突然の変化に、彼の意図が読めなかった。私は冷たく言った。「私に五百万円なんてないよ。百万円も八十万円もない。もしそれが目的なら諦めて。」

彼は荒い息をつき、怒りを抑えながらも、すぐに落ち着いた。「金はいらない。明日八時、市役所で。陽子には内緒だ。早めに来て、早く済ませよう。」

そう言って電話を切った。受話器の向こうの沈黙が長かった。

私は用意した書類を見つめ、考え込んだ。身分証、印鑑、必要書類――分籍届と、これまでの借金に関する控え。抜け漏れがないかを確認する。

翌朝、目の下にクマを作って市役所へ向かった。この場所なら、彼が何か企む心配もない。人の目があるところでだけ、私は彼を信じられる。

浩一はすでに市役所のロビーの外に立っていた。私を見ると、無表情で中に入っていった。

私は足早に後を追った。靴音がトーンを刻む。

まず私は一人で戸籍の窓口に向かい、用意してきた分籍届を淡々と提出した。職員の「これで手続きは完了です」という事務的な声と共に、分籍届が受理されたという控えの紙が手元に落ちた時、ようやく肩の荷が下りた。薄い紙一枚なのに、私の背中の重みは確かに軽くなった。少し離れたベンチには、所在なげに座る浩一の姿が見えた。

彼の目的はどうあれ、私の目的は果たされた。ロビーの隅に移動すると、浩一は黙って、銀行からの通知と連帯保証人解除の書類の控えを差し出した。そこには、私の名前がきちんと消されていた。絶縁の儀式は、静かに終わった。

ロビーの外で、私は反対方向へ歩き出そうとした。外の空気は冷たく、しかし自由だ。

浩一が呼び止めた。再び緊張が走る。

私は眉をひそめ、振り返った。彼の慎重な表情を見て、ため息をついた。

彼はカバンから古新聞に包まれた茶封筒を取り出し、私の胸に押し込んだ。「これしかないけど、十万は持っていけ。一人で暮らすなら、体に気をつけろ。」新聞のインクの匂いと、昭和みたいな不器用さが鼻をついた。

私は信じられず、幻聴かと思った。彼の少し申し訳なさそうな顔を見て、ようやく夢ではないと悟った。

だが、もう遅すぎた。かつて一番欲しかったものが、もう必要なくなった今、何の感動もなかった。ただ、滑稽だった。

中学受験の時、私は市内で一番の進学校を諦め、三年間学費がかからない市立第三中学を選んだ。彼は何もしてくれなかった。

大学四年間、陽子は学費も生活費も一銭もくれず、無利子ローンとアルバイトで何とか食いつないだ。彼は何もしてくれなかった。

今になって十万を押し付けられても、

それは、私が無駄に遠回りし、苦労した過去を嘲笑うようだった。遅れた優しさは、ときに残酷だ。

私はその十万を彼のカバンに戻し、目を伏せて小さく言った。「きっと、私たち父娘は縁が薄かったんだと思う。過去のことは、もう心から許すことはできないし、これからも親孝行はできない。でも、命をくれた恩はあるから、年老いたら養う義務は果たすわ。でも、もう帰らない。私のことは娘じゃないと思って。」

彼の震える唇や赤くなった目を見ないふりをして、私は迷わず背を向けた。振り返ると、足が止まりそうだったから。

今日の彼の行動の意味を深く考える気はなかった。私はもう、他人の感情に縛られる女の子ではない。自分の足で立つために、見るべき方向を選ぶ。

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