雨上がりの家を出て、私は私になる / 第5話: 雨の決別と腐った愛の終焉
雨上がりの家を出て、私は私になる

雨上がりの家を出て、私は私になる

著者: 相川 すず


第5話: 雨の決別と腐った愛の終焉

雨脚はどんどん強くなり、

それでも私の顔の屈辱と悔し涙を洗い流すには足りなかった。内側の汚れは、外側の水では落ちない。

通行人は皆、雨を避けて走っている。私だけが、広場に向かって歩いていた。濡れることを、わざと選んだ。

突然、黒い傘が私の頭上に差し出された。影が私の顔に落ち、世界が少し落ち着いた。

薄暗い雨の帳を隔て、影ができる。顔を上げると、目の前にはスーツ姿で気品漂う男。きれいに整えた襟元が、昔の馴染みの匂いを連れてくる。

思わず笑ってしまった。「健也、私を何だと思ってるの?」

「八年も一緒にいたら、犬だって懐くだろうに、どうしてこんな仕打ちを受けなきゃいけないの?」

「それに、よりによって莉奈だなんて……」最後は歯ぎしりするほどの憎しみが混じった。声が震える。

健也は罪悪感に満ちた顔で私の前に立ち、私の涙を拭おうと手を伸ばした。手つきはいつも通り優しい。

私はその手を振り払った。水滴が弧を描いて飛んだ。

彼は怒らず、ただ無念そうに私を見つめた。「美緒、今回は俺が悪かった。本当に魔が差したんだ。信じてもらえないかもしれないが、莉奈の方から近づいてきた。彼女が君の妹だと知っていたら、絶対に関わらなかった。」

私は冷笑した。よくあるドラマのような言い訳だ。誰もが同じことを言う。脚本の通りに。

彼は私の反応を見て、少し声を落とした。「君が家でこんなに苦労しているとは知らなかった。君はいつも独立していて、何もかもきちんとこなしていたから、俺がいなくても大丈夫だと思っていた。もっと君を大切にすればよかったと後悔している。君と隼人のことは気にしない。俺と莉奈のことも、ただの過ちだと思ってくれないか?今、誤解は解けた。過ちも正した。やり直そう。陽子さんが言ってた五百万円は俺が払う。」

目の前の男を見て、私は呆然とした。ついさっきまで莉奈にしがみつかれ、愛情に満ちた目で見ていたのに。

二人の親密さからして、何もなかったとは思えない。それなのに、今は情熱的に私の前に立ち、「過ちだった」と言い切る。言葉は軽く、重さは私に押しつけられる。

なんて簡単なんだろう。三言で、人の気持ちを自分の思い通りにしようとする。力で動かないものを、言葉で動かそうとする。

私は彼の傘を押し返し、微動だにしなかった。距離を作る。

二歩下がって立ち去ろうとした。足に力を入れる。

だが、彼は私の腰を引き寄せ、抱きしめた。「美緒、君には俺しかいない。君が言ったように、八年の絆は簡単には切れない。俺と別れて、どうやって五百万円を用意する?分籍できなければ、あの二人に一生支配されるぞ。」

彼は私の耳元で、優しい声で、だが支配的に囁いた。柔らかい鎖のような言葉だ。

八年の歳月で、私は一人の誠実な少年が、世渡り上手な計算高い男に変わっていくのを見てきた。優しさがいつのまにか取引に変わるのを、そばで見ていた。

もし彼が「もう愛していない」と潔く認めてくれたなら、それはそれで人生に忠実だった。痛みはあっても、尊重はできた。

だが、彼もまた陽子や浩一と同じ、どうしようもない人間だった。自分の都合だけで生きる人たちの列に、彼も並んでいた。

私は膝を曲げ、腹を蹴り上げた。これは二十二歳の時、彼が私に教えてくれた護身術だった。

まさか、それを彼自身に使うことになるとは。不意を突かれた彼は呻き声を上げ、腰を曲げて私を見た。

傘が地面に転がり、冷たい雨粒が顔に当たり、私はますます目が覚めた。冷たさが、私をはっきりさせる。

私は冷たく言い放った。「健也。見ての通り、私の生家は人を食う檻。必死にここまで這い上がってきたのよ。どうして、また新たな奈落に飛び込むと思うの?私は確かに愛に飢えているけど、腐った愛まで受け入れるほど落ちぶれていない。」

今日、彼が家のドアを叩かず、莉奈と関わらなかったとしても、

私たちの関係はもう終わっていた。終わりは、彼の行為で明確になっただけだ。

共に困難に立ち向かえない人、

八年も一緒にいて私の過去を何も知らない人、

私はそんな人と自分の人生を結びつけるほど愚かでも盲目でもない。盲目を演じるのは、もうやめる。

健也は呆然としていた。きっと、私がこんなに冷たく毅然とした態度を見せるのは久しぶりだったのだろう。彼の中の“私”は、従順な女の子で止まっていた。

彼の目は深く沈んだ。何かが終わったと、ようやく気づいたのかもしれない。

私はもう彼がどう思おうと気にしなかった。言うべきことは言った。これが私たちの最良の結末だ。

立ち去ろうとした時、

背後から甲高い叫び声が聞こえた。「何してるのよ!美緒、あなたみたいな浮気女が私の彼氏を奪うなんて!」

莉奈が怒りに任せて突進してきた。一瞬、本当に彼女が私と健也の過去を知らなかったのかと思った。

だが、それも一瞬のこと。彼女の狡猾な目は、私の十年にわたる苦しみを貫き、忘れられないトラウマとなっている。彼女はそれをよく知っている。

私は彼女を知り尽くしている。彼女が健也に飛びついた瞬間、また私のものを奪うゲームだと気づいた。

この稚拙な遊びを、彼女は決して飽きない。奪うたび、彼女は自分の“価値”を確認するのだ。

私は彼女の手首を掴み、素早く平手打ちした。乾いた音が雨の音に混じって弾けた。

彼女の顔は驚きと怒りに満ちていた。「どうしたの?悔しい?」

もう一度、強く平手打ちした。「楽しい?莉奈。十歳の時のあの一件、どうして学ばないの?」

彼女は反撃しようとしたが、私は力で押さえ込んだ。この数年鍛えた筋肉は無駄ではなかった。体が私を裏切らないのは、心強い。

「離してよ、美緒、あんたは狂ってる!健也、助けて!」

私は冷笑し、彼女の首根っこを掴んで健也の前に引きずっていった。「莉奈、よく見て。この男はもういらない。欲しいならあげるわ。存分に楽しみなさい。」

私は力を込めて彼女を健也の胸元に突き飛ばした。だが、健也は身をかわし、彼女はそのまま転んだ。

「美緒、許さない!」

健也は冷たい視線で彼女を一瞥した。「もういい、黙れ。」

だが、彼は莉奈のことを知らなかった。彼女は幼い頃からずる賢かったのだ。

案の定、莉奈は怒りに満ちて健也のスーツを掴み、大声で叫んだ。「健也、どうしてあの女の味方をするのよ。昨夜、私のベッドで何て言ったか忘れたの?私の方が君の彼女より生き生きしてて面白いって言ったじゃない。帰ったら彼女と別れるって……」

健也は顔を上げ、私を見つめた。視線が言い訳を探している。

私は口を歪めて笑い、

泥だらけの道を踏みしめてその場を立ち去った。雨が裾にまとわりつく感覚が、妙に心地よかった。

もう、あの家には戻らなかった。そこに残したものは、もう私にとって大切なものではなかった。鍵も思い出も、置いていった。

あなたへのおすすめ

雨の日に失われた約束と、記憶の彼方で
雨の日に失われた約束と、記憶の彼方で
4.8
雨音が静かに響く夜、私はかつて救ったはずの彼女と、すれ違い続けていた。結婚という約束のもとで隣り合う日々も、元主人公の帰還をきっかけに、次第に心の距離が広がっていく。信じたい気持ちと、消えない疑念。思い出も、愛も、記憶の波に飲まれていく中で、私はこの世界に残る意味を見失ってしまった。すべてを忘れてしまう前に、本当に伝えたかったことは何だったのだろう。二人の始まりと終わりは、雨の中に溶けてしまったのかもしれない。
雪解けの輪郭に、僕はもう家族を呼ばない
雪解けの輪郭に、僕はもう家族を呼ばない
4.5
雪の降る東北の町で事故に遭い、家族の冷たさに人生を奪われた晴樹は、二度目の人生を与えられる。今度こそ優しさを捨て、冷静な論理で家族の運命に立ち向かうことを決意した。配信という新たな武器で家族の本性を世にさらし、かつて自分が味わった絶望を静かに返していく。季節が巡り、因果が静かに収束していく中、晴樹は雪解けのような自由を手に入れる。家族の物語は、もう彼の人生の輪の外側で静かに終わろうとしていた。 それでも、あの雪の記憶は本当に消える日が来るのだろうか。
雪の果て、私だけの自由を求めて
雪の果て、私だけの自由を求めて
4.8
名家・東条家に嫁いだ沢良木涼は、商家の娘としての実利と知恵を持ちながらも、体面を重んじる家族に冷たく扱われ、やがて裏切りと孤独の果てに命を落とす。しかし再び生まれ変わり、今度こそ自分のために生きることを誓う。北海道への流刑の旅路で、家族の偽善や弱さ、欲望の本質を静かに見つめ、やがて自身の手で新たな人生を切り開いていく。雪に閉ざされた大地で、失ったものと得たものの重みを胸に、涼はもう誰にも頼らず歩き出す。人は本当に過去を超えられるのだろうか。彼女の選択が、静かな余韻を残す。
雨と雷の間で、魂はどこへ還るのか
雨と雷の間で、魂はどこへ還るのか
4.7
雨上がりの河川敷、私は妖怪として人間の世界を静かに見下ろしていた。弟子に宝珠を奪われ、最愛の人も失い、流れ着いた先で双葉という愚直な女と出会う。久我家の本邸に入り込む陰謀と、血筋に絡まる呪い、欲望と愛が絡み合い、誰もが自分の居場所を探し続ける。失われた魂、封じられた記憶、そして救いのない運命の中で、双葉は静かに自分の道を選んでいく。雨音と雷鳴の間に、誰の願いが叶うのだろうか。人も妖も、未練を抱えて生きていくしかないのかもしれない。
雨音と錆色の家 消えた遺体と、十四歳の誕生日に残されたもの
雨音と錆色の家 消えた遺体と、十四歳の誕生日に残されたもの
4.9
川崎臨海の雨が打ちつけるバラックで、夕子と翔は互いの傷を抱えながら生きてきた。幼い頃から家族として寄り添う二人の静かな日々は、父・剛造の突然の帰還によって崩れ去る。暴力と貧困、家族の断絶、そして立ち退き料という現実の数字が、ささやかな希望と絶望を交錯させる。翔は父を殺し、夕子と金田はその遺体の処理を試みるが、血の跡と消えた遺体、そして警察の淡々とした追及が、彼らの過去と現在を静かに揺らす。小さなケーキ、冷たい風、そして家族の名残が、心に残る影となっていく。二人の未来に、ほんのわずかな光は射すのだろうか。
冬の港に影が落ちて、春の光が射すとき
冬の港に影が落ちて、春の光が射すとき
4.9
形だけの結婚生活に終止符を打つ日、静かな丘の街に冬の気配が忍び寄る。幼なじみとして二十年寄り添った小雪との別れは、静かで痛みを伴うものだった。湊は母の看病や離婚の現実に揺れながらも、自分を大切にしてくれるひよりの温かさに少しずつ心を解かれていく。すれ違い、諦め、そしてようやく訪れた新しい愛のかたち。遠ざかる影と、差し込む光。そのどちらも胸に残したまま、湊は静かに歩き出す。 本当に、大切なものはどこにあったのだろうか。今度こそ、自分の幸せを信じていいのだろうか。
初雪の日から、白髪になるまで一緒にいよう――僕が“当て馬幼馴染”だった世界の果て
初雪の日から、白髪になるまで一緒にいよう――僕が“当て馬幼馴染”だった世界の果て
4.8
仙台の灰色の空と欅並木、凍える冬の街で、僕は幼なじみの美羽と二十年の季節を重ねてきた。物語の“当て馬幼馴染”として、彼女の心が主人公へ引き寄せられていくのを静かに見守るしかなかった。約束を破られた誕生日、冷たいケーキの甘さが胸に沈む。やがて僕はこの世界からログアウトを申請し、別れの準備を始める。思い出を辿り、出会いの場所を巡りながら、彼女との最後の初雪を迎える。消えていく記憶の中で、残されたのは静かな愛と痛みだけ。「初雪の日から、白髪になるまで一緒にいよう――」その言葉は、もう誰にも届かないのだろうか。
白いワンピースの記憶が消えるまで、雨は止まなかった
白いワンピースの記憶が消えるまで、雨は止まなかった
4.8
港区の夜景を背に、桐生司は愛する妻・理奈の心が遠ざかるのをただ静かに受け入れていた。初恋の人・仁科の目覚めによって揺らぐ夫婦の絆、家族の期待と冷たい視線、そして交差する過去と今。理奈との間に芽生えた新しい命さえも、すれ違いと誤解の中で失われていく。誰も本音を口にできず、沈黙だけが積もっていく日々。やがて司はすべてを手放し、新たな人生へと歩み出すが、失われたものの重さだけが胸に残る。もし、あの日の雨が止んでいたら、二人は違う未来を選べたのだろうか。
追い出した入り婿と、乱世を越えてもう一度手をつなぐ日
追い出した入り婿と、乱世を越えてもう一度手をつなぐ日
4.8
家を守るために入り婿の征十郎を追い出した夜、私は胸の奥に沈んだ罪悪感を抱え続けてきた。乱世の中で彼は総司令となり、再び私の前に現れる。冷たい言葉と不器用な優しさが交錯し、過去の傷と誇りが揺れる。周囲の人々や旧家のしがらみ、戦乱の波に翻弄されながらも、二人は静かに距離を測り直していく。手に残る傷跡も、互いに寄せる想いも、時を超えて形を変えていく。夕陽の宮城に影を寄せ合いながら、二人の十年が静かに始まるのかもしれない。
十年後の妻は知らない私
十年後の妻は知らない私
5.0
卒業式の夜、勇気を振り絞り片思いの晴人に告白した詩織は、気がつけば十年後の自分――晴人の妻として目覚めていた。記憶もないまま大人になり、子供までいる現実に戸惑う詩織。過去と未来が交錯する中、彼の日記が二人の運命をつなぎ直す。夢と現実の狭間で、彼女は本当の愛を見つけ出せるのか。