雨上がりの家を出て、私は私になる / 第2話: レンタル彼氏と最悪の家族会議
雨上がりの家を出て、私は私になる

雨上がりの家を出て、私は私になる

著者: 相川 すず


第2話: レンタル彼氏と最悪の家族会議

私は玄関にいたので、そのままドアを開けた。心臓の鼓動に合わせてドアノブが冷たく感じる。

外には見知らぬ男がいて、両手にいくつかの果物を提げていた。雨の匂いがする外気が、彼の肩から流れ込んでくる。

目が合った瞬間、私は思い出した。昨夜、健也との電話で「家に来られない」と言われた後、地元のレンタル彼氏サービスのサイトで臨時の“彼氏”をレンタルしたのだった。条件だけ入力して、当日枠に滑り込んだ。

実はここ数年、私は実家に帰省していなかった。今回帰ってきたのは、陽子から「浩一が大病を患ったので、相談のため帰ってきてほしい」と電話があったからだ。電話口の芝居がかった声に、胸のどこかが冷えた。

嘘かもしれないと思いつつも、子としての義務感が少しは残っていた。最小限の良心――それだけは、私の中でまだ生きていた。

帰宅してみれば、浩一は思いのほか元気そうだった。顔色もよく、足取りも軽い。違和感が首筋に絡みつく。

これは、まさに罠だと悟った。S市の家々でよくある、“娘を呼び戻す理由”の定番。

案の定、陽子は三言目には私の結婚話を持ち出し、嫁ぎ先を世話しようとした。まるで商品を並べるように条件を口にする。

彼女の親戚の甥、三十八歳、離婚歴あり、子持ち。「この縁談は最高よ。結婚すれば夫も子も手に入るし、出産の苦労もしなくて済むのよ。」彼女の目は“利”だけを見ていた。

浩一は相変わらず、黙って隣に座っているだけだった。椅子に沈んだ影のように、存在だけがそこにあった。

私は心の中で失笑した。この歳になっても、まだ私を従順な小娘だと思い、数言でまた奈落に突き落とせると信じているのだ。彼らの時間は、私の成長を置き去りにしたままだ。

本当なら、すぐにでも立ち去って二度と戻らないこともできた。だが、分籍届のことはまだ片付いていなかった。私にとっては、それが“絶縁”の儀式だった。書類上は一人でどうにでもなると分かっていても、自分の中でケリをつけるため、この家で最後に整理したかった。それとは別に、父が私の名前を勝手に連帯保証人にしていた借金の件も、きちんと紙の上で精算しておきたかった。

せっかく帰ってきたのだから、この機会に終わらせようと思った。ここで決着をつける。自分の足で。

私は陽子に「もう彼氏がいる」と告げた。言いながら、心のどこかで地面を確かめるように足を踏みしめる。

彼女の目が鋭く光る。「じゃあ、相手を連れてきて両親に会わせなさい。」期待と打算が混じった光だ。

ちょうどいい、彼女がどこまで強欲か、浩一が私の手続きに協力する条件を見極めてやろうと思った。彼らの本音を机の上に引きずり出すために。

健也は私の申し出を断った。電話の向こうで、曖昧な沈黙だけが続いた。

そこで私は、同じく地元のレンタル彼氏サービスで“彼氏”を頼んだ。短時間の契約で、役を演じてもらう。それで十分だと思った。

今、その男が目の前に立っている。肩幅があり、目の奥が意外に優しい。

少し頭が痛くなった。初めてレンタル彼氏を頼んだので、相手はもう少し身なりを整えて来るものだと思っていた。

だが、目の前の彼はまるで工事現場から直行してきたかのように服に埃がついている。ワークパンツの膝に白い粉塵が残っていた。

まあ、まだ若くて顔立ちも悪くない。あとは、場の空気を読めるかどうか。

目を合わせると、彼はすぐに状況を察し、元気よく挨拶した。「お父さん、お母さん、初めまして。有村美緒の彼氏、三上隼人です。」発音ははっきりしていて、声に変な媚びはない。

陽子は彼をじろじろ見て、手に持った果物にも目をやった。果物の種類と値段を脳内で計算しているのが、表情でわかる。

鼻で笑ってそっぽを向き、無視した。尺度に合わないものは、彼女の世界では“存在しない”。

浩一も顔を曇らせる。目が細くなり、眉が重く垂れた。

健也の顔色はさらに悪く、私たち二人を鋭い目で見ている。その陰気な表情は、まるで私が彼を裏切ったかのようだった。立場が入れ替わったと錯覚しているのかもしれない。

一方、莉奈は明らかに幸せそうな顔で、皮肉を隠せない。「これがお姉ちゃんの彼氏?ずいぶん隠してたけど、私たちはてっきりすごい人かと思ってたわ。お姉ちゃんは本当に選ばないのね、なんでも受け入れるんだ。」

その言葉は非常に失礼だった。私は隣の彼が傷つかないか心配した。現場で放り出されるのではと不安だった。彼の目に、わずかな影がさした。

だが、彼は眉をひそめただけで、表情は変わらなかった。そして私の耳元でそっと囁いた。「この仕事、ちょっと難しいな……」低い声は落ち着いていて、不思議と安心する。

私はドキリとした。胸の内の緊張が音を立てる。

だが、彼はすぐに茶化すように続けた。「でも大丈夫、ぶりっ子には俺、慣れてるから。ちゃんと協力してくれよ。」場を軽くする冗談に、心の重さが少しだけ浮いた。

その言葉とともに、彼は自然に私の腰に手を回し、私を連れて堂々とリビングに入った。手のひらは温かく、背中が少し楽になる。

皆の冷たい視線や嘲笑など気にする様子もなく、果物をテーブルに置き、ソファの中央に座る健也に目配せした。「ちょっと詰めてくれる?」

健也が応じる前に、彼の足を軽く蹴ってスペースを作り、腰を下ろした。動作は早いが、乱暴ではない。

健也は表面上は紳士だ。無礼な態度に唇を噛み、我慢しながらも隣にずれた。ただ、その細い目は私の腰に釘付けになり、意味深な光を帯びていた。何かを測っているような視線だった。

どう見ても悪いのはあっちなのに、被害者ヅラだけは一人前だ。健也は喉を鳴らし、ネクタイをいじりながら、ちらちらと私たちを見ている。視線が泳ぎ、落ち着かない。……滑稽な修羅場だ。こんな場面、S市の住宅街なら数日で噂になるだろう。

陽子が怒りを抑えきれず、爆発しそうになったその時――

隼人が先に口を開き、得意げな莉奈に笑いながら応じた。「お姉さんは確かに選ばないけど、俺は違う。俺は選り好みが激しいんだ。君みたいに若いのに口が悪い子は、絶対に受け入れられないな。」言葉の棘は、必要な長さだけ。

そう言って、隣の健也の肩を意味深に叩いた。「お兄さん、なかなかの食欲だな!」場の空気が一瞬止まり、それからざわついた。

莉奈は自分のテリトリーで、こんな普通の男に言い負かされるとは思っていなかったのだろう。顔を真っ赤にして立ち上がった。

「てめえこそ口が悪いんだよ!」怒りに任せて暴言を吐いたが、隣の健也の顔色がどんどん悪くなっているのに気づかなかった。勢いに酔っている時、人は目の前の現実を見ない。

莉奈の罵倒に、隼人は肩をすくめて、イタズラっぽく「反射」と返した。鏡の前に立たせるような軽い言い方だった。

私は初めて莉奈の顔にヒビが入るのを見た。完璧に整えた仮面に、焦りの線が走った。

今度は陽子が怒る前に、浩一がテーブルを叩いた。カップや皿が揺れ、茶が溢れる。音が場の空気を引き締める。

彼は怒りに満ち、莉奈をかばう構えだった。肩を広げ、威圧感だけは父親らしく見せる。

隼人は倒れそうになったカップをさっと受け止め、口元の笑みを消して浩一を冷たく睨んだ。視線が静かに刺さる。

浩一はその鋭い目に気圧され、顔を赤らめながらも怒りを呑み込んだ。喉の奥で言葉が潰れた。

彼はいつも弱い者には強く、強い者には弱い。私には怒鳴るが、外には腰が低い。

隼人のような“ならず者”には本能的に怯む。彼の中の計算が、ここで働いたのだ。

だが、人前で威張るのは私には遠慮がない。彼は私に唾を飛ばさんばかりに怒鳴った。

「美緒、こんな男を彼氏だなんて、まるでチンピラじゃないか!この結婚は絶対に認めない!もう諦めろ。外村さんの甥っ子の方が百倍いい。三十にもなって、身の程を知れ。明日会いに行って、早く決めろ。」

私は静かに彼を見つめ、次第に顔が暗くなった。心のどこかで最後の糸がきしんだ。

彼の口が開閉し、歪んだ表情がますます見知らぬ人のように思えた。あの頃私を肩車した男と、この目の前の男は同じ名前だけを共有していた。

これまで彼の冷淡さに慣れていたはずなのに、今の言葉を聞いて、心の奥がまだ痛むことに気づいた。麻痺したはずの場所が、疼く。

父に、家族に対する最後の情が、この瞬間に粉々に砕かれた。音もなく、しかし決定的に。

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