第1話:セーブとロードの後宮
私は丸三年間、懐妊阻止の丸薬を飲み続けてきた。あの小さな丸薬を淡々と喉へ落とし込み、波紋一つない水面のように日々をやり過ごす。たとえ産んだとしても、どうせ生まれてくるのは愚かで役立たずな子供にしかならないだろう――そう自分に言い聞かせて、心を硬く閉ざしてきた。
この世界は、京の大内裏に設けられた「後宮(こうきゅう)」を舞台にした恋愛ゲームだ。だが、その後宮の構造や用語には和と中華が混じり合い、和中折衷の架空世界だとゲーム開始時にわざわざ説明された。視界には時おり、中華由来の語を使ったステータスウィンドウがふわりと浮かぶ。そして、星名明里(ほしなあかり)こそが唯一この世界を本当に操る“プレイヤー”だった。浮遊するステータスウィンドウが時折視界の端を掠め、唐突に文言が差し替わる。その異様さが、やがて私の現実になった。
彼女はセーブとロードを自在に操り、一年もの間、帝(みかど)の寵愛を独占していた。いとも簡単に時間を巻き戻し、気ままに「やり直す」たび、宮中の空気はさざ波のように揺れる。
だが、やがて帝の愛にも飽きたのか、今度は自分の子供のステータスを上げることに夢中になった。数字が伸びるたびに彼女の瞳がきらめき、世界がひとつ先へ進むのを見せつけられるようだった。
第一皇子も第一皇女も、みな明里の子であり、他の女御や女房ですら、産めるのは皇女か、彼女の地位を脅かさない平凡な皇子ばかりだった。どの面差しも、どの数値も、彼女が選び直した「結果」にしか見えない。
明里が後宮に入った最初の夜、私は九度も夜明けを迎えた。夜の端に淡い朱が差すたび、世界が指先ひとつで巻き戻される。眠りかけては覚め、覚めては戻され、朝の色だけが空虚に積み上がっていく。
帝が明里――星名家の更衣(こうい)――を寵愛したという知らせが後宮に届いて、ようやく私は一夜を無事に過ごすことができた。清涼殿から漏れる灯りがゆらぎ、告げられた名に皆の息が詰まるのを遠くで感じた。
新人の中で最初に寵愛を受けた女御として、明里は多くの嫉妬を買った。朝夕の挨拶の席では、気の強い更衣が明里を面と向かって嘲った。明里も言い返したが、更衣は扇をぱちんと開き、その縁で明里の肩をつんと突き、あからさまな冷笑を浮かべた。その瞬間、周囲の光景が一変し、時間は一ヶ月前に戻っていた。音も匂いも角度まで同じに再現される恐怖を、私は初めて味わった。
一ヶ月前――まさに女房選抜、いわゆる選秀の当日だった。外の空気がわずかに冷え、緊張のざわめきが廊に満ちる。
私は女御(にょうご)の身分で選抜に出席できた。見知らぬ新しい女御たちが後宮に入ってくるのを眺めながら、心の中は大きく波立っていた。脚下に敷かれた石が妙に硬く、息を吸うたび衣が鳴る。
やがて、前回入宮した五位官の嫡女・星名明里が、侍従の「星名家の嫡長女・星名明里、十六歳です」という声に合わせて、しとやかに現れた。裾が光を引き、彼女の笑みは規則の外側に綻ぶように見えた。
私は袖の中で拳を固く握りしめ、宝石をちりばめた金の爪が肉に食い込んだ。痛みで自分の輪郭を確かめるしかなかった。
今回は明里が更衣に封じられ、号は嘉となった。赤い指名札が静かに掲げられ、視界の片隅にも同じ色の札のアイコンが点り、誰もが息を潜める。
新たに入宮した女御たちが一ヶ月の教育を経て、指名札が上がる夜、帝は私の宮にやってきた。二言三言交わした後――私と衣を着たまま床を共にした。織りの肌理がひやりと背に触れ、夜半、私は目を見開いたまま、またもや帝が指名札をお示しになる、その瞬間に戻っていた。視界の札アイコンもぱちりと別の名に切り替わる。
李の更衣のもとへお渡り、ロード。皇后のもとへお渡り、ロード。趙の更衣のもとへお渡り、ロード。ロード、ロード、ロード……盤面の石が何度も置かれ直されるように、夜の流れが折り返す。喉が鳴る。
いつの間にか夜が明け、昨夜、帝が嘉の更衣・明里のもとへお渡りになったという知らせが届いた。声の調子まで同じで、笑みの角度まで同じだった。指が止まる。
その時私は、彼女は妖(あやかし)か何かで、時を操る大きな力を持っているのだと思っていた。人の理から外れた指が、世界の縁をなぞっていると。
だが後になって、彼女こそがこの世界で唯一の「人間」なのだと知った。こちらの風とこちらの光の中に生きる者は、他にいない。
私たちは、ただの人形に過ぎなかった。見事な装束と磨かれた言葉を与えられ、決められた場面で笑うための。
明里は私のことが気に入っているらしく、駆け引きもなく、よく私の宮にやってきては和菓子をねだったり、時には何十種類もの贈り物をくれたりした。色とりどりの箱が積まれ、匂いだけが現実味を帯びていた。
そして不思議そうに独り言を言った。「九条さんってどんな性格や好みなんだろう、どのプレゼントも好感度が全然上がらないなんて……」浮かぶウィンドウを指先で弾き、数値の動かなさに頬を膨らませる。
さらに、試しに「愛染香」というゲーム内アイテムを私に贈ってきた。薄い香がわずかに甘く、常より濃い色をしていた。
私は禁制品を手に戸惑い、「これは宮廷の禁制品なので皇后に報告しなければ」と言うと、彼女は嬉しそうに手を叩いた。「あっ!やっぱり隠しイベントだ!」画面の片隅に新規フラグが立つ音がした気がした。
そのまま私の後についてきて、私が皇后に報告する様子を見届け、しかも自分のものだとはっきり言った。まるで台本を確かめるように、淡々と。
明里が藤壺の奥にある、誰も寄りつかない荒れ果てた離れへ遠ざけられた時、私は逆に戸惑った。こんなに簡単にこの妖を倒せるものなのか?それとも、これもまた彼女の遊びなのか?処分の内容は「謹慎」とされ、ゲームUI上ではステータス減衰と行動制限――実質的な幽閉――として表示されている。
結局私は心配で、誰にも知らせずにこっそり藤壺を訪れた。冷えた石が足裏に刺さり、砂埃が舞う。
荒れ果てた藤壺で、明里は埃舞う光の中に退屈そうに座っていたが、私を見るなり目を輝かせた。「隠しイベント!」声の色が明るく跳ねた。
私は彼女の言葉の意味がわからなかった。「隠しイベントとは何だ?」自分の声が少し硬く響いた。
明里は笑って言った。「教えてあげるけど、私がロードしたらあなたは覚えてないよ?」指先で空を払うような仕草をして、軽く肩をすくめる。
そう言って、私の頬を引っ張った。「あなたの立ち絵、本当に綺麗だよね。運営が大金をかけて作ったのかな?あれ、女御の性格は十六種類だけって聞いたのに、どうしてあなたの性格だけはいつも測れないんだろう?」ウィンドウの「???」を愉快そうに眺める。
藤壺での一件で、私は多くのことを知った。目の前の規則は表面だけで、根は別の場所に延びていること。
この世界の真実、明里の正体。彼女の背後にある「外側」。それらは冷たい水のように、少しずつ私の胸へ流れ込んだ。










