白いワンピースの記憶が消えるまで、雨は止まなかった / 第3話: ホテル前の糾弾とすり替えられた罪
白いワンピースの記憶が消えるまで、雨は止まなかった

白いワンピースの記憶が消えるまで、雨は止まなかった

著者: 広瀬 みく


第3話: ホテル前の糾弾とすり替えられた罪

理奈は目を見開き、声を張り上げた。

「司!あなたは私をそんなふうに思ってるの?」

「私をどういう人間だと思ってるの?」

「浮気したと思ってるの?」

彼女の詰め寄る声は鋭く、耳障りだった。責められるのは、いつも俺の方だ。

まるで俺が他の女とホテルに行ったかのような言い方だ。逆さまの話を押し付けられている気分だった。

俺は歯を食いしばり、言い返そうとしたが、その潤んだ瞳を見て言葉を飲み込んだ。無駄だと思った。

七年も愛した女だ。その七年は、俺にとって一つの人生だった。

俺は声を落とし、部屋の中で俺を挑発するように冷笑を浮かべる男を見た。「じゃあ、昨夜同じ部屋にいて、何もなかったんだな?頭痛の仁科を看病していただけだと?」

「そうよ。」

俺は、仁科のシャツのボタンが一つ掛け違っていることと、理奈の乱れた髪、その首筋にいくつも浮かんだ赤い痕、そして二人から同じ香水の匂いがすることに気づいていた。そんな証拠を前にしての理奈の断固たる答えに、滑稽さすら感じた。見えているものを否定するのは、悲しい。

桐生家を追い出され、実の兄弟に裏切られた時でさえ泣かなかったのに、今は涙が溢れそうだった。張り詰めていたものが、音もなく裂ける。

「理奈、君には本当に失望した。」

俺は背を向けて立ち去ろうとしたが、仁科が呼び止めた。低く、冷えた声だった。

「桐生、その態度はなんだ?」

男の声は冷たく怒りに満ちていた。ただ、周囲を顧みないほどの大声ではない。刃のような言葉だけが鋭かった。

俺は振り返り、仁科の詰問の視線とぶつかる。まるで俺が浮気したかのようだ。何度この構図を押し付けられるのだろう。

「俺にどんな態度が必要だ?」

「理奈は一晩中俺の世話をしてくれたんだ。体も弱っている。君は彼女を思いやるどころか、怒りをぶつける。桐生、君は思った以上に器が小さいな!」

――俺が小さい?確かに、黙って笑っているよりは、小さいのかもしれない。

彼らはどれだけ正しいと言うのか。正しさの定義は、いつも彼ら側にある。

もう口論したくなかったが、仁科は俺を行かせまいとした。視線だけで、立ち去ることを禁じるように。

「君は理奈と終わらせるつもりか?」

「俺たちのことに、君が口を出すな。」

仁科は目を見開き、顔色が一気に青ざめる。言葉の一つで、彼の自尊心が剥がれ落ちた。

理奈は慌てて声を上げた。「桐生!」

もう「司」とは呼ばない。呼び名には、心の距離がそのまま出る。

俺は振り返り、目を合わせた。ただ失望しかなかった。空を見つめるように、何も映らない。

俺の目に映る失望があまりに露骨だったのか、理奈は明らかに動揺し、仁科を一瞥し、俺を見て、何か優しい言葉で俺をなだめたそうにしたが、仁科に聞かれるのを恐れているようだった。相手の機嫌を先に気にするその癖が、すべてを物語っていた。

なんてことだ。笑うしかない滑稽さだった。

夫をなだめるのに、初恋の男の機嫌を気にするとは。俺たちは夫婦だったはずだ。

俺はじっと彼女を見つめ、背を向けた。その時、理奈が苛立ったように叫んだ。

「桐生!もう帰ってこないで!」

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