Chapter 1: 第1話:裏切りの城壁と機械音
皇帝陛下は私に側仕えを賜った――皇女に付く専属の近衛侍従であり、寵のしるしとして婚約者候補でもある。私はその存在に、壊れ物に触れるみたいに怯えていた。指先が触れれば砕けそうで、息を詰めて見守るしかない。大切にしすぎるあまり、手を伸ばすことすら怖かった。
だが、帝都・桜京の離宮での変事の折、彼は剣を手に私の首筋に突きつけた。私を城壁から飛び降りさせたのだ。寒風が白い肌を切り裂き、桜の御殿の瓦には凍てつく霜が降りていた。彼は言う。「いい子だよ、咲夜。全然痛くないから。」その言葉を聞いた瞬間、胸が詰まり、胃が縮むような感覚が走る。私は微笑み、涙を堪えた。背を向けて、一気に飛び降りた。……嘘だ、本当に痛い。骨まで割れていくような痛みが、甘い言葉を容赦なく裏切った。
目を開けると――私は十六歳に戻っていた。目に飛び込んできたのは、朝の光に霞む桜京の屋根、香炉の煙、朱塗りの柱。お父様が私に言う。「咲夜、側仕えが欲しいと聞いたが?」私はきっぱりと首を振った。「いえ、現代の受験用の本をください。問題集を擦り切れるまで解きたいの。」場違いな願いを口にしながら、内心はあの痛みから逃れる術を必死に探していた。お父様とお母様はきょとんとして「赤本って何だ?」と首を傾げる。私は心の中で「現代の勉強本だよ」とつぶやき、二人には到底理解できないだろうと苦笑した。
城壁から飛び降りる直前まで、私は分からなかった。皇女の側仕えとして、如月 蓮は栄華を極めたはずなのに、なぜ私を裏切ったのか。私は彼のために出世の道を用意し、逆賊の家系から離宮の次席にまで押し上げた。彼が権勢を望めば、私は役職を与えた。彼が身元を調べたければ、近衛府に手配した。私は彼に従順で、あと少しで神棚に祀るほどだった。自分でも可笑しいほど、全てを差し出すことでしか愛を示せなかった。
だが、今目の前にいるのは、銀の剣を手に鎧を纏った彼。お父様を斬り、兄皇子を死に追いやり、私が敵軍に辱められるのを黙認した。そして今また、私を城壁に追い詰め、国のために命を捧げさせようとしている。風の中、彼の鎧がきしむ音がやけに遠く聞こえた。
それでも彼は以前と同じく、温かくも少し気だるげな声で言う。「殿下、あなたが死ななければ、民の怒りは収まらない。」優しげな口調の中に、逃れられない命令の色が滲む。その声を聞いた瞬間、胸の奥が冷たくなり、息が浅くなる。
私は城壁の下で見物する民衆を見た。皆が憎しみの目で私を睨み、拳を握りしめている。口々に叫ぶ声は渦となって私を呑み込んだ。「殺せ、殺せ、殺せ!」耳鳴りがし、頬の皮膚がひりつく。喉が渇き、叫び声の衝撃が全身に刺さる。「殺せ」――その言葉だけが、最後に耳に残った。
この瞬間、私は悟った。恋愛脳ってやつだ。甘い期待は判断を曇らせ、愛は時に目隠しになる。
私はこの数年、蓮を溺愛しすぎて民心を失った。彼らの目には、私は淫乱で朝廷を乱す皇女でしかない。今や国は滅び、家も亡び、辱められても足りず、命まで捧げろと求められる。あの赤い絨毯は、血で染まった道だった。
私は衣を正し、寒風に乱れた髪を整えた。袖口を指で弾き、震えを押し殺す。「この日をどれほど待ち望んでいた?」自嘲めいた笑みが、唇にひび割れた。
蓮は私をじっと見つめ、絵に描いたような顔立ちで目元は赤い。「いい子だ、咲夜。全然痛くないよ。」その声は、前にも聞いた嘘の響きを帯びていた。一瞬、視界が滲み、胸の奥がきしむ。
私は微かに笑い、決然と城壁から身を投げた。足元の石が小さく跳ね、世界が上下から反転した。
次の瞬間。体が砕けるような痛みが全身を貫いた。蓮、また嘘ね――本当に痛い。痛みの矛先は、結局自分の愚かさに向かった。
だが数秒後。頭の中に冷たいシステム音が響いた。「悪役皇女、国のために自決、城壁下で死亡確認。プレイヤー“003号”攻略ミッション成功、豊富なクエスト報酬を獲得!」機械の声は人の情を知らない。冷たく事務的で、血の温度を奪っていく。耳の奥がぞくりと冷えた。何だ、この場違いな機械音――現実離れした違和感だけが残った。
あれ?どこかで聞いたことがある……。すぐに蓮の戸惑う声が耳に入る。「攻略ミッション終了、久我山咲夜はどうなる?本当に死んでしまったのか?」一瞬、時間が止まり、空気が震えたように感じた。「……」答えのない沈黙だけが残った。










