Chapter 3: 第3話:アシスタントのお兄さんと小さな猫
その後数日、たぶん私を監督するためか、神谷は毎日早く帰ってきた。
彼の目の前で配信するのは最初は恥ずかしかった。
でも、彼はただ隣でゲームをしているだけだと分かり、だんだん気にならなくなった。
ゲームのクリック音と彫刻刀の削る音が、意外と相性が良かった。生活のBGMが二重奏になる。
手が離せないときは、思い切って彼に物を取ってもらうこともあった。
「ごめん、右の棚のヤスリ取って」そんな会話が、いつのまにか普通になった。
ファンがその声を聞き、コメント欄でこう書いた。
【気が利くね、アシスタントのお兄さん、水飲むか聞いてくれてる!】
【やばい、二人ともイケメン、暴走しそう!】
【……】
半分冗談、半分本音が流れてくる。画面越しに頬が熱くなる。
私はむせて咳き込んでしまった。
喉に木屑が引っかかったみたいで、水を一口飲む。音がマイクに乗らないように息を殺す。
神谷?アシスタント?
頭の中で言葉がぶつかる。どれも現実に近すぎて、笑えない。
神谷は音に気づき、スマホを置いて私の背中を軽く叩いた。「そんなに慌ててどうした?」
背中に伝わる大きな手が、思ったより優しい。
コメントがさらに盛り上がり、私は慌てて音声を切った。
「大丈夫、もう邪魔しないから」と小声で言い添える。自分なりの境界線を保とうとする。
神谷の手が私のうなじに触れた。「うるさいなんて思ってない」
その一言が、体の奥に落ちていく。安心は、甘い。
彼の手のひらには薄いタコがあり、うなじの柔らかい部分に触れると、じんわりとした快感が走った。
私は急いで首をすくめた。これ以上揉まれたら、今日の配信は無理そうだ。
理性を拾い集める。目の前の刃物に、もう一度集中し直す。
配信は音声を切っているので、コメントはますます遠慮がなくなる。
【何してるの?もう始まっちゃった?】
【私たちに見せられないものでもあるの?本当に仲間外れにするの?】
画面の向こうは自由だ。だからこそ、こちらは慎重になる。
私は慌てて配信を切った。もし神谷がこれを見たら、追い出されるかもしれない。
画面が真っ暗になっても、動悸はしばらく止まらなかった。
落ち着かず、配信後に一時間以上も木彫りの仕上げをして、小さな木彫りの猫を作り、神谷の机に置いた。謝罪の気持ちを込めて。
猫の耳を丸く整えながら、許してほしいと刃先に祈る。木は祈りを吸ってくれる。
翌日の講義中、神谷が珍しく私の隣に座った。
私たちはいくつかの公開講義を一緒に受けているが、寮を出ると挨拶もしないし、一緒に授業を受けることもなかった。
神谷は本を広げ、私を見ずに言った。「猫、受け取った。ありがとう」
ほんの一言でも、私には十分すぎる返事だ。心が跳ねた。
和真が「えっ」と顔を上げた。「何の猫?俺にはないの?」
教室のざわめきに紛れて大声。周りが振り向いて、私は慌てる。
私は彼の頭を押さえて、「気にしないで。配信で迷惑かけたから」
軽く目配せする。場の空気は自分で収める。
神谷は帽子を引き下げ、指先でペンをくるくる回し、まっすぐ私を見つめた。
「言っただろ、迷惑なんかじゃない」
真正面からそう言われるのは、怖いくらい嬉しい。
本当に、いい人だ。
言葉にすると安っぽくなるけれど、実感は重い。
私は幼い頃に母を亡くし、祖父と暮らしてきた。
子供の頃からいじめられることも多かった。
その事実は、自分の中でずっと湿った木のように重く横たわっていた。
「野良ガキ」「女々しい」と罵られ、路地裏で殴られるのは日常茶飯事だった。
冷たい地面の匂いと、拳の重さが記憶の底に沈んでいる。何度も。
神谷以外、こんなに優しくしてくれる人はいなかった。
「優しさ」は甘くない。むしろ、痛みをなだめる薬の味に近い。
目頭が熱くなり、思わず口をついて出た。「じゃあ、明日も作ってあげる」
口に出してから恥ずかしくなる。けれど、取り消す勇気はなかった。
神谷は「いい」とも「ダメ」とも言わなかった。
でもその夜には椅子を持ってきて、私の隣で一緒に作業を始めた。
まるで何も言葉を要らないように、椅子の脚が床を擦る音で合図する。
神谷は端材を選び、根気よく少しずつ削っていく。
刃の入り方は慎重で、でも恐れすぎない。素人の癖が少ない。
彼は覚えが早く、私は思わず「すごいね」と褒めてしまった。
褒めるとほんの少し笑う。そこに救われる。
コメント欄は一斉に盛り上がった。
【だ~ん~な~、すご~い~】
【何?数日来なかっただけで何があったの?】
茶化す声も、祝福の声も、全部まとめて温かい。
私は慌ててコメントを消した。神谷に見られたら困る。
指が忙しく動く。画面の管理は、心の管理に似ている。
でも神谷は私をじっと見つめ、目を瞬かせて近づいてきた。「じゃあ、相原先生、ご褒美は?」
いたずらっぽい笑み。冗談のはずなのに、真剣に聞こえるのがずるい。
冗談じゃなく、その夜また夢に見た。
夢は現実の補助線みたいなものだ。消せない線を、やわらかくなぞる。
翌日は講義にも出ず、寮で祖母の遺影に三回も手を合わせて心を落ち着かせた。
両手を合わせると、少しだけ自分が整う。木彫りの道具よりも、効く時がある。
昨日うなずいたとき、頭がぼーっとしていた。
ふわふわして、まるで綿の中に投げ込まれたみたいだった。
現実の輪郭が甘くぼける。危ない甘さだ。










