木彫りの祈りと蛍光灯の夜、君の手の温度 / Chapter 10: 第10話:教室の一撃と俺がいるから
木彫りの祈りと蛍光灯の夜、君の手の温度

木彫りの祈りと蛍光灯の夜、君の手の温度

著者: 稲葉 圭吾


Chapter 10: 第10話:教室の一撃と俺がいるから

翌朝、先に目が覚めたのは私だった。

私は起き上がり、神谷のリュックに卵を二つ入れてすぐに出かけた。

好きな人に、ささやかな朝の幸運を忍ばせる。幼稚でも、私なりの優しさ。

神谷から電話が二回かかってきたが、どちらも出なかった。

違う、これは違う。

和真に会いに行こうとしたとき、大野が先に教室で私を待ち伏せていた。

「どうした、今日は神谷の奴は一緒じゃないのか?」

私は手が震えながらも、しっかり顔を上げて彼を見た。「前回のこと、証拠を集めて警察に通報した。まだ問題を起こすなら、まとめて清算しよう」

言い切ると、背骨が一本増えたみたいに感じた。

教室は人の出入りが多かったが、大野は声を落とさなかった。

「ほらほら、みんな見てくれよ、これがトレンド入りした有名配信者だぜ。男とやってても恥ずかしくないのか」

期末でみんなイライラしていたが、この話題にみんな足を止めた。

大野は私の襟首を掴み、ますます興奮して叫んだ。

「こいつさ、毎日寮で配信してるけど、自分のナンバーワンとできてるんじゃねーの?」

言葉のナイフは、刃こぼれしていても痛い。

呼吸が荒くなり、過去の記憶が走馬灯のように蘇り、周囲の声が鋭くぼやけていった。

そのとき、突然誰かが大野の顔面にパンチを食らわせ、全ての幻覚が消えた。

大野は信じられないという顔で私を見た。手を出したのは、他ならぬ私だった。

私は体が弱くても、木を扱って育ったから、大野に一発で鼻血を出させた。

拳の重みは、木材を持つ時の重みと同じだった。私の腕は、十分だった。

不思議な高揚感が湧き上がった。

神谷の言う通りだ。我慢すれば、相手は自分が簡単にいじめられると思うだけだ。

もう一度手を上げようとしたとき、神谷が現れ、私の腰をしっかり抱きとめた。

「相原、俺を見て。落ち着け、大丈夫だから、俺を見て」

神谷を見た瞬間、全ての力が抜けた。

耳元の声もはっきり聞こえてきた。

「大野なんて自業自得だ。地元だからって偉そうにして、よそ者を見下して、奨学生もバカにして、俺たち何かしたか?当然だ!」

「動画見た?木彫りしてる途中で同居人にキスせがまれてたやつ!」

「数日前に学校の話題になってたけど、デマだと思ってた。八百回もレスバしたのに、最悪だ」

「……」

「大野もさ、大人なのにどうして壁にぶつかるんだ?」

私は昔、誰にも好かれていないと思い、いつも一人で隅っこに隠れて生きてきた。

でも、数回しか会ったことのない人たちが、私の側に立ってくれるとは思わなかった。

世界は、たまに優しい。それを初めて信じられた。

神谷は私を引き上げ、さらに大野の腹に一発食らわせた。

「警察でも学校でも、正面から相手になる」

大野の脅し文句と違って、神谷の言葉は現実的だ。必要なら正式な手続きを取る、という覚悟がある。

私は神谷に引っ張られ、家まで連れ帰られた。

彼はひざまずき、丁寧に腫れ止めの薬を塗ってくれた。

「何か言いたいことは?」

私は唇を噛み、顔を背けた。「暴力は良くないけど、もう一度同じことがあったら、やっぱりやり返す」

自分の線引きを、自分の言葉で刻む。

神谷は頭を撫でた。「よくやったよ、相原。本当に」

撫でる手の温度が、褒め言葉よりも伝わる。

私は彼を見つめた。

「でも次は、もっと自分を守ってほしい。二歩先にはカッターナイフがあったし、廊下の入り口にはカメラもあった。

もししつこくされたら、逃げ切れる自信はある?」

彼が言うことは、私は全く考えていなかった。

私が思いつかないことまで、全部考えてくれていた。

視界の外まで見てくれる人がいる。それだけで、呼吸が楽になる。

「君が無事なら、それでいい。俺がいるから」

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