第9話: 離婚宣言と、録音ボタンが押される音
優花は口を開きかけたが、何も言えなかった。言葉は喉で凍った。
「他の男と一緒の時も、こんなふうに興奮させてたのか?」私はさらに優花を追及した。声が低くなる。
私は優花との関係で一線を越えたことはない。だが今は、胸の奥に燃え盛る怒りがあった。怒りは、理性を焼き尽くそうとしていた。
男が裏切られるのは怖くない。だが自分が何度も裏切られていたと知って、平気でいられるのは異常だ。自分を保つのが、やっとだった。
「私は……」私が傷をえぐると、優花の顔色が変わった。白かった顔が、さらに白む。
これ以上の屈辱はないだろう。だが、事実から目を背ける気はなかった。
「何が『私は』だ?他の男と遊んでおいて、まだ言い訳があるのか?」私はさらに責め立てた。言葉は尖った刃。
「ただ、女なら誰だって一度くらい過ちはあるでしょう。それほど責めること?」「あなたが仕事ばかりで私に構ってくれなかったから、こうなったの」「もう自分が悪いって分かってる。いつまでも責めないで」優花は反論した。だが、その理由はあまりに苦しい。責任転嫁は、見苦しい。
「早見優花、本当に価値観を覆されたよ。こんな人間がいるなんて。私が忙しかったせいで浮気したと?」「毎日定時に帰り、飲み会も極力断り、夜10時前には必ず帰宅した」「2年間、一度も家に帰らなかったことはない。私がいなかった時は、誰が君の相手をしていたんだ?」「私が働かなければ、家もなければ、食べ物もない、金もない」「君は毎月数日間遊びに出かけていたが、旅行好きだと思っていた。実際は遊び歩いていたのか」「責任を私に押し付けるな。せめて私が君を満足させられなかったと言ってくれた方が、まだ納得できる」「『女なら誰でも犯す過ち』?そんな恥知らずなことを堂々と言える女がどれだけいる?」「女王様気取りだけはしっかり持っているな。早見優花、私は本当に目が曇っていた」
私は優花に怒りをぶつけた。言葉が、刃に変わる。
もうこの段階で、彼女を甘やかすつもりはなかった。甘やかしは、罪だ。
「じゃあ、どうしたいの?」優花はしばらく黙った後、ようやく一言絞り出した。声は低い。
「離婚だ!」私はこの一言を言うために、ずっと我慢していた。喉が焼けるようだった。
「私は同意しない!」優花は立ち上がり、髪を掴んで大騒ぎした。叫びは、夜景の向こうまで届きそうだった。
当然だろう。以前は年収1000万円の私と、迷わず結婚した。今は年収2000万円になった私を、手放すはずがない。計算は、感情に勝る。
「君が同意しようがしまいが関係ない。もし協議で合意できないなら、家庭裁判所に調停を申し立てる。今ならまだ体面を保てる。これ以上騒げば、恥をかくのは君だ」私は平然と告げた。声の温度を一定に保つ。
婚姻届はただの紙だ。永遠の誓約でもない。私が離婚を望めば、誰にも止められない。今夜、優花が離婚を望んだ時、私も彼女の意思を変えられなかったのと同じだ。対等であるはずの紙だ。
「早見さん、今や出世して稼げるようになったから、妻を捨てるの?世間に知られたら、みんなに非難されるわよ!」「離婚したら、会社や街中で騒いでやる。せっかく部長になったのに、クビになるのが怖くないの?」優花は被害者を装い、あからさまに脅してきた。脅しの言葉は陳腐だが、効果だけは狙っている。
だが私は、すでに離婚を決意していた。どんな結果になろうと、受け入れる覚悟があった。覚悟は、軽くは揺れない。
「好きにしろ。今すぐ騒いでも構わない」「私は失敗から学ぶタイプだ。君に悪名を着せられようと、キャリアを潰されようと、関係ない」「部長をクビになってもいいし、最悪皿洗いでもして月20万円稼げれば十分だ。この結婚は、絶対に終わらせる」私は立ち上がり、優花を真っ直ぐ見つめて言った。視線は揺れなかった。
この選択が正しいと、ますます確信した。確信は、夜の海より深い。
部長を失っても、仕事を失っても、こんな女と一緒に暮らすよりはましだ。生きる上での優先順位は、今夜はっきりした。
「早見さん、正気なの?年収2000万円なのに、普通に暮らせばいいじゃない!」「怒っているのは分かる。どんな罰でも受けるわ」「でも、もっと大局を見て。こんなことで自分の将来を壊さないで」「今後は絶対に浮気しないし、あの男たちとも会わない。何もなかったことにして、元通りになろう?」脅しが効かないと見るや、優花は態度を変え、懇願した。声色は甘いが、言葉は空虚だった。
だが、それは一方的な願望に過ぎない。願望は現実に勝てない。
「早見優花、顔を洗って出直してこい。さっきの強気はどこへ行った?」「普通に暮らす?今、君の顔を見るだけで吐き気がする。誰とでも寝る女と何が違う?」「そんなに情があるなら、何を求めているのか自分が一番分かっているはずだ」「協議離婚が好きなんだろ?書斎で新しく作り直せ」「さっきの条件が私の最後の譲歩だ。受け入れないなら、まず調停を申し立てる。調停不成立なら訴訟に進む。君と近藤の口論は途中からスマホで録音した。不貞の証拠が見つかれば、慰謝料も財産分与も一銭も渡さない。いい加減にしろ」私は優花を皮肉り、書斎に向かった。彼女が反省しないなら、考える時間を与えるしかない。協議離婚で済むなら、それが一番だ。










