第6話: 年収ゼロのはずが二千万?暴かれる勘違い
「ダメよ!」優花が口を開く前に、近藤が叫んだ。声は鋭く、耳に刺さった。
「優花、そんなのじゃ損するだけよ」「車はせいぜい400万円、家もローン2年しか払ってないし、今の価格なら手元に残るのは2000万円がやっと」「早見さんの提案だと、君は1000万円ちょっとしかもらえない。損する話はダメよ」近藤は優花に説明した。損得勘定だけで、人の心を測る癖は相変わらずだ。
要するに、分かっていても私から多く取ろうとしているのだ。言葉にすると、単純だ。
「車が値下がりしてることも、家の価格が下がってることも、ローンが20年以上残ってることも分かってるんだろ?」「それなのに購入価格で分けろなんて、借金も半分負担するべきじゃないのか?」「夫婦には共有財産だけでなく、共有の債務もあるんだから」私は皮肉たっぷりに言った。声は静かだが、言葉は尖っていた。
この1時間余りで、私の2年間の情熱は全て消え去った。心は完全に冷え切った。手はまだ温かいのに、心だけが凍っている。
「優花は仕事してないのに、どうやって借金を負担するの?責任転嫁しないでよ!」近藤は屁理屈をこね始めた。論理の通らない言葉ほど、耳に残る。
「頭金は私が払ったし、ローンも私が払ってる。家に住んでるのは誰だ?恩恵を受けているなら責任も負うべきだろう?」「宝飾品は全部君に譲る。車と家は売って半分に分ける。解決金だの扶養的財産分与の一括請求なんて払わない」「大人なんだから自分で生活できるだろう?子供じゃないんだ。なぜ600万円も払う必要がある?」「子供だって月10万円の生活費なんてかからないだろう?少しは常識で考えろよ」私は怒りを抑えきれずに言った。語尾が鋭く割れる。
もう離婚するのだから、遠慮する必要はない。今妥協しているのは私で、損をするのも私だ。せめて線だけは引く。
「そこまで意地を張るの?」優花はまた泣き始めた。涙が床に落ちて、淡い音を立てる。
「優花、自分の良心に聞いてみろ。どっちが意地を張ってる?」「結婚2年、一銭も稼がず、食費も住居費も衣服も全て私が負担した。君を蔑んだことがあるか?」「離婚したいと言い出したのは君だ。昔の情を思って財産を半分にしようと言っているのに、それでも不満なのか?」「じゃあどうしたいんだ?私が血を売ってでも1億円を用意しろと?」私は問い詰めた。言いながら、自分の声が遠くに聞こえた。
優花も自分が分が悪いと分かっているのか、黙り込んだ。沈黙だけが、部屋を満たす。
「ダメよ、そんな計算じゃ優花が損する。私は認めない!」近藤はまた理屈にならないことを言い出した。彼女の「認めない」に、何の権利があるのか。
「認めない?お前に何の権利がある?結婚はお互いの同意だ。私が優花に無理やり結婚させたのか?」「金が少ないのが不満なら、車は私がもらう。家はいらない。1000万円でいい」私は言い返した。譲歩の終着点を、ここに置いた。
「優花が家をもらっても、毎月数十万円のローンをどうやって払うのよ?」私が家を放棄すると聞いて、近藤は慌てた。自分の計算に都合の悪い現実が、ようやく目に入ったのだ。
「ならいいじゃないか。車と家を売って、手に入った金を半分に分ける。誰も損しない」「得だけしたいくせに、負担はしたくない。そんな都合のいい話があるか?」「金はないし、ローンも払うつもりはない。最悪、銀行と相談して任意売却、それでもダメなら競売にかけて、売れた分を分ければいい」私ははっきり言い切った。現実的な解を、冷たく置いた。
近藤が何か言いかけた時、彼女のスマホが鳴った。電話を取ると、顔色が一変した。軽薄な仮面の下から、焦りが滲み出る。
「どうしたの?何があったの?」優花は近藤の様子を見て焦って尋ねた。声が高く跳ねた。
「早見さん、やるじゃない。よくも隠してたわね」近藤は冷笑し、憎しみを隠さず私を見た。憎悪の光が、小さく震えた。
「何があったの?早く教えて!」優花は近藤の腕を掴んで揺さぶった。握る手が白くなる。
「優花、早見さんは昇進して、給料も倍増したのよ!年収2000万円だって!」近藤は呆然とした様子で言った。
「早見さん、近藤さんの言うこと本当?リストラされてないし、昇進したの?」優花は驚きの表情で私を見た。目が泳ぎ、焦点を探している。
「そうだ。本社から任命が下りて、部長に昇進、年収2000万円になった」私は素直に認め、苦笑した。部長、ね……今日ほど肩書が重く感じたことはない。
「どうして言ってくれなかったの?」「君が話す機会をくれたか?」私は笑って、逆に問い返した。笑いは乾いていた。
優花はバツが悪そうにした。目が逸れる。
「今日任命を受けて、同僚の祝賀会も断って、真っ直ぐ帰ってきたんだ。一緒にお祝いしようと思って」「でも家に帰ってから、君は私に話す機会をくれたか?」「買った花を捨て、離婚届を出して、『貧乏暮らしはしたくない』と言った」「優花、私と一緒にいて、貧しい思いをしたことがあるか?」「今朝、部署が廃止されると聞いたばかりで、夜には離婚を言い出す」「私が離婚を切り出すのを待ってた?他の女を探すつもりだった?私は何をした?」私は床に散らばった花を指差し、怒りと悲しみで優花を問い詰めた。赤い花弁の上に、言葉が落ちて砕ける。
「私……私……」優花は言葉に詰まった。唇が震える。
最初から最後まで、私は何も間違っていない。全て優花が騒いでいただけだ。静かな事実ほど、残酷なものはない。










