第3話: 「離婚しましょう」二人の結婚が壊れた夜
「まさか、君たちで相談して私をからかってるんじゃないよな?」我に返り、わずかな希望を持って聞いた。すべてが冗談であってほしいという、子どもじみた願いだった。
だが、離婚届まで用意しているのに、そんな悪ふざけがあるはずもない。表の記入欄に、私の名前を待つ空白が鮮やかだった。
「自意識過剰よ。あなたみたいな失業者、誰がからかうっていうの?」近藤は口を歪め、軽蔑を隠さず言った。言葉の刃は、ためらいなく私の胸に刺さる。
「優花、本当に離婚したいのか?」私は離婚届を手に震わせ、優花を見つめた。目の前の妻が、まるで他人のように遠い。
「そうよ。サインして、明日港区役所で手続きしましょう」優花はまったく迷いがなかった。港区役所――冷たい現実の行き先が、あまりにも具体的だ。
「優花、私は君に不自由させた覚えはないし、裏切ったこともない。突然離婚だなんて、理由くらい聞かせてくれないか?」私は苦笑して尋ねた。この瞬間、優花はまるで見知らぬ人のように感じられ、彼女に何を話す気も失せていた。心の距離は、海より遠かった。
私と優花は知人の紹介で知り合った。美しく、性格も穏やかで、交際中は理想的な「妻になる人」に見えた。私は仕事熱心で、どんなに忙しくても、優花といると安らぎを感じた。だから半年で結婚を決めたのだ。その決断は、当時の私には正しかった。
結婚後、優花は仕事を辞めて専業主婦となり、家事もきちんとこなしていた。買い物や美容も手際よく、全てが整っていた。私は外資系大手で年収1000万円、十分な収入があった。ロマンチックなことも忘れず、ちょっとしたサプライズも用意した。夫婦仲は良好で、このまま幸せに暮らせると信じていた。グラスに毎夜移る夜景も、未来の確かさのように思えた。
だが今日の出来事は、私に強烈な現実を突きつけた。信じきっていた絆が、こんなにも脆いものだったとは。
「理由は、あなたが失業したから。収入がなければ、私を養えないでしょ?」「まさか愛情だけで食べていけると思ってるの?努力するなんて言い訳はやめて、さっさとサインしなさい。私の足を引っ張らないで」近藤は遠慮なく言い放った。まるで裁断機の刃を落とすみたいに、冷淡で速い言葉だった。
「つまり、優花が離婚したいのは、あなたの入れ知恵か?」私は怒りを覚え、近藤を睨みつけた。こめかみに血が集まり、視界が赤くなる。
「そうよ。早見さん、今のあなたはただの失業者。私は優花のために、損切りさせるの」近藤は一歩も引かず、私を睨み返した。彼女の中で、私たちの結婚は投資商品のようにしか映っていないらしい。
結婚して2年、夫婦喧嘩は3回。そのたびに近藤が絡んでいた。この女は一体何がしたいのか。嫉妬は、人をこんなにも醜くするのか。
「近藤さん、私のことも夫婦のことも、あなたが口を挟む資格はない!」私はテーブルのティッシュ箱を近藤の足元に投げつけ、怒鳴った。手が震え、声が少し掠れた。
近藤は叫び声を上げてソファに跳び退いた。大げさなリアクションが、なおさら私の苛立ちを煽る。
「早見さん、何するつもり?私の友達を傷つけないで!」優花は近藤をかばい、私を睨みつけて叫んだ。まるで今にも飛びかかってきそうな勢いだった。私の「家」は、私を包む場所ではなくなっていた。
「友達?離婚をそそのかすような人間が、友達の資格があるのか?」私は近藤を指差して、優花にその本性を気付かせようとした。指先は空を切り、言葉だけが重く落ちた。
「優花、見たでしょ?この男は暴力的なのよ。絶対離婚しないと、将来虐待されるわよ!」優花に守られて近藤はますます増長し、ソファの上で大声を張り上げた。言葉は事実をなぞらないのに、耳障りだけは鋭い。
「黙れ。今すぐ家から出て行け!」私は殴りたい衝動を必死に抑え、近藤に最後通牒を突きつけた。声は低く、しかし揺るがなかった。
「何が『あなたの家』よ?この家は優花のものでもあるの。親友の家に呼ばれて来てるのに、あなたに指図される筋合いはないわ!」近藤はますます厚かましく、私に食ってかかった。彼女の論理は、都合の良いところだけを抜き出した空論だった。
「優花、これが君が守ろうとしている友達か?恥知らずで、人としての最低限の良識もない。こんな人間のために僕と離婚するのか?」私は優花に冷静になってほしかった。問いは静かなはずなのに、心の中では嵐が吹いていた。
「もういいでしょ、早見さん。いつまで続けるつもり?」「離婚は近藤さんの提案だけど、私の意思でもあるの。今のあなた、すごく滑稽よ?」「男なら、潔く離婚してよ。いつまでもしつこくしないで」「今のあなたは何も持ってない。続けて何の意味があるの?私の青春を無駄にさせる気?」優花はまるで狂ったように、足を踏み鳴らして私に叫んだ。床が一瞬、悲鳴を上げた気がした。
私の心はすっかり冷え切った。凍てつくほどに、もう温もりは残っていなかった。
「分かった。離婚しよう」私はうなずき、もう争う気力もなかった。優花がここまで言い切ったのに、これ以上引き止める意味はない。引き止めるより、事実を受け入れる方がいっそ楽だった。










