第2話: 帰宅したら、離婚届と親友が待っていた
少し前の出来事に遡る。
「優花、ただいま!」私は玄関に入るなり、嬉しそうに声をかけた。海風みたいな涼しい匂いが、いつものように廊下に漂っている気がしたからだ。
普段なら帰宅すると、優花はすぐに私のカバンを受け取り、キスして「お疲れさま」と言ってくれる。だが今日は返事がない。靴の並びも、リビングの明かりも、どこかよそよそしい。
リビングに入ると、優花と親友の近藤恵美が無表情で座っていた。ガラスの向こうのレインボーブリッジを背にして、二人は静かに私を見ていた。
「はいどうぞ!」私は背中に隠していた花束を優花の前に差し出した。誕生日やバレンタインなど、特別な日には必ず花束を買って帰るのが恒例だった。優花は毎回、少女のように嬉しそうにしてくれたものだ。今日は部署の話が決着した日。いち早く伝えたくて、花に気持ちを託した。
だが今日は花を見ようともせず、私を睨み、顔をそむけた。花の赤が、急に色を失ったように見えた。
「ふーん、やましいことでもあるの?ご機嫌取りに花なんて買ってきて」近藤が皮肉たっぷりに言った。口の端を上げるその顔は、薄い笑みの下に軽蔑が透けていた。
「どういう意味だ?」私は不機嫌そうに近藤を睨みつけた。この女はケチで自己中心的。計算高いところも含め、私はまったく好感が持てない。以前、私と優花の結婚を邪魔しようとしたのもこの女だった。彼女の匂いは、いつも人の幸せに水を差す化粧品の甘さに似ている。
「早見さん、黙ってれば誰にもバレないとでも思ってるの?」突然、優花が口を開いた。声は震え、怒りと不安が混ざっていた。
「何の話だ?」私は訳が分からず優花を見た。彼女の瞳は固く閉ざされ、私の顔をまともに見ようとしない。
「この期に及んでまだ隠すの?私が簡単に騙されると思ってる?」優花は私の手から花を奪い、床に投げ捨てた。花びらがフローリングに散って、胸の奥がきしんだ。
「優花、一体どうしたんだ?いつ私が君を騙した?」優花の激しい態度は、以前の彼女とはまるで別人で、私は困惑した。普段の柔らかな微笑みは影も形もなく、冷ややかな憎悪だけがそこにあった。
「まだとぼけるつもり?早見さん、最近会社で人事異動があったでしょう?」優花は私の鼻先に指を突きつけて言った。指先は震え、必死に何かを確かめようとしているようだった。
確かに、半月前から会社のリストラが噂されていた。だがこれは本社の決定で、今日になってようやく結果が出たのだ。私は優花を心配させたくなくて、何も言っていなかった。知らせるなら、確かな答えと一緒に――そう思っていた。
「そうだ。でも心配させたくなくて……」私はうなずき、説明しようとしたが、優花は話を遮った。唇を噛み、私の言葉を拒絶した。
「心配?心配させたくないなんて言い訳、信じるわけないでしょ」「恵美があなたがリストラされたって教えてくれなかったら、私はまだ騙されていたはずよ」優花は息を荒くし、かなり怒っているようだった。肩が上下し、ソファの縁を強く握りしめていた。
「優花、実は……」私は近藤を無視して、昇進と昇給の話をしようとした。だが優花は聞く気がなかった。耳を塞ぐように顔をそむける。
「早見さん、言い訳なんて聞きたくない。離婚しましょう!」優花はテーブルの下から離婚届を取り出して私に差し出した。区役所で渡される緑色の紙が、妙に生々しく見えた。
私は呆然とした。言葉が出ない。自分の家なのに、床が少し揺れたように感じた。










