第1話:裏切りの炎とやり直しの夜
俺は小さい頃からの幼なじみ、エレナにとことん尽くしてきた男だ。山手の洋館が並ぶ九条家の本邸で、彼女の笑顔だけを糧に生きてきた、と言っても大げさじゃない。愚直に、彼女に尽くすのが俺の当たり前だった。
彼女の誕生日に火災が起き、俺は我を忘れて彼女を助けに飛び込んだ。あの夜の焦げ臭い煙と、赤くうねる炎は今も瞼の裏に焼き付いている。
だが、俺はその火事で命を落とした。頭に直撃した鈍い痛みと、視界が真っ白になる感覚、意識が遠のく瞬間の悔しさだけが、最後まで俺を離さなかった。
それなのに、彼女は恋人と手を組み、俺の家の財産をすべて奪い去った。九条家の名と信用を盾に、彼らは躊躇なく手を伸ばしたのだ。
再び目を覚ますと、俺は17歳、エレナに尽くし始めた最初の年に戻っていた。あのときの空気の匂い、教室の蛍光灯の白さまでが同じで、心臓が跳ねるほどに現実だった。
今度こそ、彼女たちに代償を払わせてやる。俺のこの手で、過去の愚かさを上書きしてみせる。
――エレナ、25歳の誕生日。かつての俺はその日、日付が変わる前から浮き立っていた。
俺は花束とバースデーケーキ、そして彼女が好きなブランドの新しいバッグを用意して、誕生日を祝うつもりだった。山手の洋館に似合う、薄いピンクのリボンで包まれた箱を、彼女のテーブルに置くつもりでいた。
だが思いもよらず、彼女の家が火事になった。俺は必死にドアを叩き、叫んだ。「エレナ、中にいるのか?」炎の唸りに声が飲まれていくのを、歯噛みしながら見ていた。
数日前、彼女に会いに行ったとき、戸田が家事をさせていて、俺は彼に注意した。すると戸田は俺を殴った。無遠慮な拳の重さと、彼の目に宿る打算を、俺は忘れない。
その後、戸田はエレナに「血の繋がらない兄と近すぎるのは嫌だ」と言い、俺との関係を断つよう迫った。エレナは彼の言いなりになった。弱い心は甘い言葉に絡め取られてしまう。
だが俺は、彼女が俺と距離を取るのは本意ではないと信じていたし、相変わらず彼女を想っていた。あの頃の俺は、都合よく希望だけを見ていた。
今日は彼女の誕生日で、戸田が家にいないと知り、やはり俺はやってきた。愚かさと優しさの境界を、俺は見失っていたのだ。
ドアを蹴破って中に入り、エレナを抱きかかえた。「怖がるな、俺が君を助ける。絶対に危ない目には遭わせない。俺が守るから。」火の粉が弾ける音にかき消されるように、俺は何度も繰り返した。
エレナは苦しげに手を上げた。「お兄ちゃん、早く逃げて、私のことはいいから……」涙と煤で濡れた頬が震えていた。
そのとき俺は、たとえ一緒になれなくても、彼女の心の中に俺の居場所があるのだと思っていた。信じたかった。そう思うことでしか、立っていられなかった。
彼女を抱えて外へ走ろうとしたとき、リビングのシャンデリアが落ちてきて、俺の頭に直撃した。頭蓋が砕けるような乾いた音と、意識が闇に飲まれていく絶望だけが、鮮明に残っている。
重傷を負い、俺は植物状態になった。生理的なことすら自分でできず、管に繋がれて命を繋いでいた。ベッドの上で、季節の移ろいだけが唯一の時間だった。
本来なら財閥の後継者として活躍するはずが、ベッドの上で何もできない人間になってしまった。九条の名が重く、ただの飾りに思えた。
やがて俺は、エレナが戸田を連れて見舞いに来たとき、戸田が他の人がいない隙に俺の耳元で冷たい言葉を吐いたことで、そのショックで心停止し、そのまま息を引き取った。あの囁きは、命の最後の火を逆撫でした。
死後、俺の意識は闇の中で渦巻き、後悔と怒りの中で朦朧としたまま時が流れた。七日だとか霊だとか、そんな曖昧なものはなく、ただ瞬きのような後悔のループが続いていた。
両親は年老いた身で、若い息子を見送ることになった。その悲しみに暮れる隙を突いて、エレナと戸田は家の財産をすべて奪っていった。冷たい数字が、温かな記憶を食い尽くした。
結局、この火事で死んだのは俺だけだった。滑稽なほどに、俺だけが燃え尽きた。










