第2話: 豪華な寝室と裏切りの現場
その後、しおりは病室には二度と姿を見せなかった。
彼女はいつも忙しかった。役員会だ、メディア対応だ、ブランドの危機だ。彼女の生活は、俺が知らない言葉で埋め尽くされていた。
俺の頭の中の疑問も、誰にも解けなかった。聞くほどに迷い、調べるほどに空白が増え、ただ時間だけが減っていく。
ニュースでは、彼女は行方不明だった名門財界の創業家の令嬢で、九年前に実家に戻ったと報じられていた。都心の高級誌や週刊誌が「奇跡の帰還」と煽り、当時は話題になったらしい。
俺のことは、彼女が一族の反対を押し切ってまで結婚した相手だという。華やかな見出しの中に、俺の名前だけが場違いのように並んでいるのが不思議でならなかった。
ネットには五年前の世紀の結婚式の記録さえ残っていた。インスタのハッシュタグ、Xのトレンド、まとめサイトの熱狂的な記事。
写真の中の彼女は、白いウェディングドレスに身を包み、満面の笑みで俺の目を見つめている。その瞳には星が輝いていた。あの瞬間だけは、確かに光が俺たちに降っていたのだ。
退院後、運転手に連れられて、俺はしおりと俺の家に帰った。港区のラグジュアリーなエリアに立つ高層マンション、ガラス張りのエントランスに静かな水音が響く。
都心の高級マンションは、俺が今まで見たこともないほど贅沢だった。ロビーの香り、間接照明の柔らかさ、壁に飾られたひと目で高額と知れる抽象画の重み。どれも、十年前の俺の世界にはなかったものだ。
俺は落ち着かず、すべてを見回した。自分の家と言われても、家具との思い出がない。手で触れても、何一つ記憶に触れた感触が返ってこない。
俺を見ると、家政婦は慌てた様子で言った。「旦那様、奥様はお忙しくて……」言いよどみ、目線が泳ぐ。言うべきことと、言えないことが彼女の中でせめぎ合っていた。
俺は先に寝室のドアを開けていた。躊躇より先に、確かめたい思いが手を動かした。
その先には、バスローブ姿の彼女が、ハンサムで背の高い男の腕の中に抱かれていた。男の肌に照明が滑り、彼女の肩に落ちる影が甘く絡む。
乱れたシーツ、漂う艶めかしい雰囲気。化粧台に転がる口紅、床に落ちた細いピアス。……一拍、息が止まる。何があったかは、言葉にしなくても明らかだった。
しおりは鋭く叫んだ。「出ていって!」目はすでに戦闘の色を帯び、俺を見る視線は容赦がない。
俺は尋ねた。「彼は誰だ?」息の底へ沈むように、かすれた問いだけがこぼれた。
彼女は答えず、バスローブの襟を静かに整えた。まるで汚れ物でも見るような視線で俺を一瞥し、わずかに身を引いた。
「ここはあなたの入る場所じゃないわ。今すぐ出ていって。――警備員を呼ぶわよ。」氷のように冷静な声が、空気を薄く切り裂く。
部屋の空気が急に重くなった。静けさが硬質の膜になって、息をするたび胸に当たる。
俺は言葉を飲み込んだ。喉の奥で苦いものが広がり、足が床に縫い付けられたように動かない。
男は彼女のバスローブの裾をそっと直し、挑むでも怯むでもない目でこちらを見た。癖のない黒髪、整った輪郭。どこかで見た顔だ、と一瞬思ったが、すぐに怒りがそれをかき消した。
胸の中で何かが爆ぜる。理性の薄皮が、音もなく破れる。
握りしめた拳が勝手に熱を持ち、前へ一歩踏み出していた。止まれ、という声は脳の奥で掠れて消える。
触れる寸前で、彼女の視線に釘付けにされた。氷点下の瞳が、「近づけば終わりよ」と無言で告げていた。
胸の鼓動が耳の奥で暴れ、世界の輪郭がにじむ。
男はわずかに身構えたが、動かない。彼女の手が彼の腕にそっと置かれている。










