初雪の日から、白髪になるまで一緒にいよう――僕が“当て馬幼馴染”だった世界の果て

初雪の日から、白髪になるまで一緒にいよう――僕が“当て馬幼馴染”だった世界の果て

著者: 伊藤 さくら


第1話:当て馬幼馴染、ログアウト申請

僕の幼なじみはヒロイン。だけど僕は“当て馬幼馴染”なんだ。ずっと心の奥で分かっていたその立場を、ついに自分の言葉で認めてしまう。ここは仙台。欅並木に冷たい風が吹き抜ける冬の街。広瀬川の流れも凍るように遅く、空は雪を孕んだ灰色。運命に導かれるのがヒロインなら、僕はその流れから外れる役回り。そういう場所に立っている。

どんなに頑張っても、彼女の視線はじわじわと主人公へ引き寄せられていく。目に見えないお約束の力が、彼女の心の向きを修正してしまう。抵抗して笑わせたり、喧嘩して泣かせたりもしたのに、結局は“フラグ”や“物語の力”が僕を、幼馴染の“負けヒロイン”という定めへ引き戻してしまう。

また彼女が主人公のために僕を置き去りにした夜。僕は、もうここを去るべきだと悟った。仙台の夜は乾いて冷たい。窓の外には白い息がいくつも浮かんで、やがて消えていく。ああ、もう無理だ。約束の時間を過ぎても鳴り止まない時計の針の音が、妙に大きく響いていた。

僕はナビゲーターに“この世界からのログアウト”を申請した。胸の奥で小さく鳴る電子音に、まぶたの裏が少し熱くなる。終わりの方法が用意されているという事実は、優しさにも残酷にも思えた。

「ナビゲーター、残り一ヶ月です」と、淡い合成音声が優しくカウントダウンを告げる。機械のはずなのに、人の息遣いみたいに柔らかくて、耳に残る。

僕は小さくうなずいた。頷くたび、首筋に鈍い痛みが走る。終わりが数字になってしまった瞬間、現実の重さが急に骨に染み込んだ。

食卓の料理はもう冷めていて、ケーキには僕への祝福が書かれている。クリームの白が、冬の白に重なって見えた。気付けば蝋燭の火も、冷たく短い風に負けていた。

毎年一緒に誕生日を祝うと約束した人は、その約束を守らなかった。軽い約束ではなかったはずなのに、季節のように変わっていく気持ちの前では、紙切れみたいに薄くなる。

僕と天草美羽は幼なじみで育ち、恋人になった。三歳から二十年近く、一緒に季節を重ねた。笑って、ぶつかって、泣いて、それでも手をつないで歩いてきた。

これが彼女が僕の誕生日を初めて欠席した日だった。厳しい冬の始まりに、それが起きたのだと知った時、体の芯まで冷えた気がした。

美羽は「大事な用事がある」と言って約束を破った。彼女の声はいつもみたいに明るかったけれど、言葉の奥に別の温度があるのは分かった。

僕は、彼女が工藤新のもとへ行ったことを知っていた。目で確かめたわけじゃない。けれど、メッセージの途切れ方や、ふっと上がる口角の理由を僕は知っている。

こんなことが最近何度も起きている。毎回少しずつ、雪解けみたいにありふれていくのが、恐ろしい。

僕は、自分が負け役だと理解していた。お約束はお約束であり、僕がどうこうできるものではない。物語の力が、嫉妬も焦りも、僕の内側の温度を勝手に上げ下げしてくる。

僕は黙って料理をすべてゴミ袋に詰め、ケーキだけを抱えて食べた。皿が触れ合う音を立てるたび、静けさが増していく。

クリームはやけに甘かった。けれど一口ごとに、その甘さは喉を通ると鉛みたいに胃に沈んだ。食道が熱くなり、胃がぎゅっと縮む。馬鹿だな、僕。こんな味を、今夜知るなんて。

僕は人生で初めて一人で大きなケーキを全部食べきった。無理に笑いながら、途中で何度もスプーンを止めては、また動かした。

午前三時。美羽が帰ってきた。玄関のドアが開く音が、真夜中の部屋に静かに滲む。

僕は目を閉じたまま、彼女が近づいてくるのを感じていた。香りで分かる。冬の外気をまとった髪の匂いと、ハンドクリームの柔らかい匂い。

彼女は言った。「ごめん、帰るのが遅くなった。今日は用事があったから、次は絶対に一緒に誕生日を祝うね。」約束の言葉が、淡い吐息と一緒にこぼれた。

……

次、か。重い。残念だけど、もう次の誕生日を迎える時間は僕にはない。胸の中でだけ、静かに頷く。

僕は何も言わず、ただ身を翻して彼女に背を向けた。背中で息を整える。喉が鳴り、指先が冷たくなった。

沈黙が広がる。……沈黙にも重さがあるのだと、初めて思った。

僕は胃を押さえ、痛みで体を丸めた。無理やり詰め込んだ甘さが、今さら暴れている。

美羽が焦った声で呼ぶ。「彼方、どうしたの?」声が少し上ずり、足音が近づく。

救急に連絡し、タクシーで夜間外来に向かった。白い壁の診察室で、医師は淡々と言った。「急性胃炎ですね。痛み止め出しておきますから、無茶な暴食は控えてください」カルテに視線を落とす横で、点滴を調整していた看護師が思わず小さく「何してるんですか」と呟いた。乾いた口調が、やけに胸に刺さった。

救急相談で指示された通り、救急車は呼ばずに自力で夜間外来へ向かった。

自分が悪いと分かっていたので、僕は目を伏せて素直に座っていた。「もう二度としません。」声が少し掠れる。

もう二度と誕生日ケーキを食べる機会はないのだから。口の中に甘さの記憶だけが残って、やがてそれも薄れていく。

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