第3話:離婚届と母の倒れる日
「今どこに住んでるの?明日、会いに行くわ。」
天宮が階段を上がる音が聞こえた。その一歩一歩が私の胸に重く響き、まるで私が第三者のようだった。住人であるはずの自分が、ここでは通行人だった。
「いいよ、明日は市役所で会おう。」
小雪は無造作に髪をかき上げ、目を細めて私を見た。
「そこまですることないでしょ。離婚しても友達でしょ。長い付き合いなんだから、そんなによそよそしくしなくても。」
小雪、私はあなたのちょっとした優しさが欲しかった。でも、もう二度と同じ過ちを繰り返したくない。線を引くことでしか、自分を守れない夜もある。
「やっぱりいい。」
私は階段を下り、天宮とすれ違った。お互いに何も言わなかったが、不思議とその沈黙に通じるものがあった。彼の目の中の真剣さは、敵意ではなく決意に近かった。
結局、私と小雪は市役所の前で再会した。
昨夜から一晩ぶりに会った彼女の顔は、いつも通り波風ひとつなかった。メイクも服装も完璧で、その整い方が逆に私の心をざらつかせた。
結婚のときは私だけが浮かれていた。離婚のときも、心の中で波が荒れていたのはきっと私だけだろう。
中に入る前、小雪が突然私の腕をつかんだ。「本当に決めたの?」
私は一瞬足を止め、階段の上から小雪の車に乗る天宮の姿を遠くに見つけた。
階段下にいる小雪にうなずいた。
「決めたよ、小雪。離婚しよう。」
手続きはすぐに終わり、署名と身分証の確認を済ませて、緑色の離婚届を提出した。受付の職員が受付印の押された控えを渡し、「受理証明書」は後日になるという。
「お母さんたちには……」
その言葉を携帯の着信音が遮った。
近所の人が電話で、母が家で倒れたと伝えてきた。私は気が動転し、小雪に何も言えないまま走り出した。心臓の鼓動が耳の奥で警鐘のように鳴り響いた。
小雪が後ろから私の手首をつかんだ。
「どうしたの?」
「母が倒れたんだ。」
「車に乗って。」
「いや……」
拒否しようとした言葉を遮るように、小雪は私を車に押し込んだ。彼女の力の強さに、長年の関係の現実味が一瞬戻った。
私は後部座席に座り、助手席の天宮が振り返って小雪に尋ねた。「どうしたの?」
「湊のお母さんが体調崩されたの。湊のお母さんが普段通っているのが武蔵野総合病院だから、まずそこに行くわ。紹介状もあるし、救急の受け入れが確認できたから。」
「そうか、それじゃ急いで行こう。」
「ごめんね、カニはまた今度。私が剥いてあげるから。」
「うん、いいよ。」
小雪は天宮のシートベルトを締め、出発前に軽く彼にキスをした。「ありがと、助かる。」そのささやき声は控えめで、でも愛情の密度は高かった。
私は針のむしろに座っているようだった。
二人はどうやら、これからお祝いに行く予定だったらしい。今目の前にいる小雪は、私が一度も見たことのない姿だった。
彼女は柔らかく可愛らしく、目には愛情が溢れていた。
十二年の付き合いで、彼女と二人で食事することはほとんどなかった。以前、カニを食べに行こうと誘ったとき、彼女は何て言ったっけ?










