第2話: 晩餐会の盾と庭園の暗殺者
「蓮、その顔はどうした?医者に診せたほうがいいか?」
父の西園寺厳造が主賓席に座り、表向きは心配そうに尋ねる。声の抑揚だけが優しく、目は冷たい。
「蓮はただの平民、西園寺会長のご心配には及びません。」
蓮は卑屈にならず堂々としている。背筋がよく伸び、言葉は簡潔だ。
父がさらに問い詰めようとしたとき、兄の西園寺正人が先に立ち上がった。
「アゲハ!今日は父が高貴な賓客を招いているのに、前科者の家の息子を席に連れてくるなんて、非常識にもほどがある!」
賓客たちはざわめき、父は兄を叱って話題を逸らした。この父子の芝居は見飽きている。作り物の笑顔は、見ていて滑稽だ。
「ほら、この酒うまいぞ、蓮も飲んでみろ。」
私は小さなテーブルの前に座り、シャンパンを半分飲み、カナッペを口に放り込んで、兄の言葉など無視した。泡が喉を撫でる。
私は人目の少ない会場の隅に蓮を呼び寄せ、グラスを手渡した。蓮は私が口をつけた酒を一口で飲み干し、さらにさりげなく私の指先に唇を寄せて舐めた。爪の先に熱が走る。周囲の侍従や数人の賓客がその様子を見てざわつき、場の空気が一瞬凍りついた。
「ご主人様が私を宴に連れてきたのは、盾にして兄や父に恥をかかせるためですね。」
彼は小声で呟き、人前でますます親しげに振る舞う。素知らぬ顔で、火に油を注ぐタイプの笑い方だ。
彼の指がテーブルの下で私の太ももをさりげなく撫でるのを、私はついに我慢できず小声で警告した。
「いい加減にしろ!」
「ご主人様が私を利用するなら、徹底的に利用すべきです。」
蓮は耳元で囁き、私は彼の襟元に目をやった。そこにはうっすらと褐色の輪が透けて見える。
その下に私の首輪が隠れていることを思うと、血が逆流するような興奮と酒気が混ざった。指先がじんじんする。
蓮の思惑は深く重いと知りつつも……
「好感度+10!」
システムが嬉しそうに読み上げたので、私は驚いて手を震わせ、酒杯を蓮の膝に落としてしまい、彼の衣服を濡らした。シャンパンが薄金色の染みを作る。
「ご主人様、更衣してきます。」
蓮は立ち上がり、私は呆然と彼の背中を見送った。背中のラインがやけに綺麗だ。
いや、今回は殴りもせず罵りもしていないのに、なぜこのドMの好感度が上がるんだ?!システムの仕様、絶対バグってるだろ。
私は一人で邸宅の庭園の人工滝のそばに座り、冷たい風に当たって酔いを醒ました。水音が心のざわつきを少しずつ洗い流す。
「ご主人様、ここにいらしたんですか。」
蓮は濃い色のスーツに着替え、池の向こう岸に立って夜色と溶け合っている。月明かりが肩口の布地に乗って滑る。
私は黙ったまま、彼の前の池に石を投げていた。ぽちゃん、ぽちゃんと重い音が響く。円を描く波紋が重なる。
しばらくして、私は顔を上げて彼を見つめた。
「欲しいものは手に入った?」
蓮の体が一瞬止まる。肩がわずかに揺れた。
「……やはり知っていたのか。」
もちろん知っている。
「『水連』のあの狸みたいな婆さんは、君自身が手配したんだろう?実は彼女は君をよく世話していた。」
「犬になると言ったのも、私に近づき、西園寺邸に入り込むためだった。」
「なぜなら、父の書斎に君の欲しいものがあるからだ。」
夜の闇で蓮の表情は見えなかったが、彼が危険そうに手を背後に回すのが見えた。空気が一段冷える。
「知っていて宴に連れてきたのか、わざと服を濡らして席を外す機会を作ったのか。」
「ご主人様、あなたの目的は?」
彼が軽く笑うのを聞いて、私は胸がざわついた。笑いが錆びている。
システムは……蓮に先に殺されるなんてことはないよな?喉元に嫌な予感がひっかかる。
「待って!まだ話が……」
言い終わる前に、向こう岸の蓮が腕を振ると、銀色に光る小型スローイングダガーが池を越えて飛んできた。そのナイフはとても速く、私は避ける暇もなかった!空気が裂ける音だけが、耳に残る。首輪の短ピンはバランスが良く、短距離なら投擲にも使える。
この犬野郎!また殺す気か!
死ぬ間際に罵ろうとしたが、銀色の光は私の髪をかすめ、背後の黒服の構成員が倒れた。倒れる音が石畳に重く響く。
蓮は身を躍らせ、池の縁を渡って瞬く間に私の前に現れた。彼の手には刀も剣もなく、身のこなしは軽やかで、あっという間に残りの構成員たちも倒した。影が流れるように動く。
私は酔いが一気に醒めた。肺に入る空気が急に冷たい。
蓮は平然と、最初に倒れた構成員のそばに行き、さっきの短ピンを拾った。
よく見ると、あれはさっきの首輪の短ピンじゃないか!本当に無駄なく使っている!指先の使い方が器用すぎる。
蓮は短ピンの血を丁寧に拭き、何事もなかったかのように首輪に戻した。私の不可解な表情に、彼は微笑を浮かべた。
「ご主人様からの贈り物です。たとえ殺しの道具でも大切にします。これが私に、ご主人様が私の命を狙っていると警告してくれますから。」
狂ってる!私は顔を赤らめ、彼を蹴り飛ばした。つま先に当たる硬い感触が鬱憤を晴らす。
「お前だって主を殺そうとしただろ!さっきの短ピンがほんのわずかズレてたら、私はもう死んでたぞ!」
蹴ったが蓮は微動だにしなかった。
逆に私が足を滑らせて、どぼんと池に落ちてしまった。服が重く体にまとわりつく。
その夜、私は熱を出した。喉が焼けるようで、関節がきしんだ。
半分夢うつつの中、幼い頃のことを思い出した気がした。
あの頃、私はまだ西園寺邸に住んでいて、母も生きていた。母は私を連れて庭園の人工滝のそばに座るのが好きで、午後いっぱいをそこで過ごした。桂の香りが風に混ざる日々だ。
十歳の誕生日、誰かに池に突き落とされた。助けを呼んでも誰にも聞こえず、意識が薄れていった……水が肺に入る感覚だけが恐ろしく鮮明だった。
あきらめかけた時、ぼんやりと誰かが必死で泳いできた。
その人は私を岸に引き上げ、何度も呼びかけてくれたが、まぶたが重くてどうしても顔が見えなかった……呼吸のために襟元を緩める手の感触が柔らかかった。
「ご主人様、ご主人様?」
夢を邪魔され、私は眉をひそめてゆっくり目を開けた。一瞬だけ、記憶の中の人影が目の前の輪郭と重なった気がした。胸がざわめく。
「薬を飲む時間です。」
蓮は手の甲で私の額の熱を測り、私を起こしてくれた。指先がひやりとして心地よい。
「構成員たちは……」
口を開くと、蓮は薬を飲ませてきた。往診の医師が処方した解熱剤の錠剤が喉を落ちる。
「ご主人様は養生していればいい。あとは私が片付けます。」
あの構成員たち、心当たりはある。
西園寺邸で手を下せるのは、兄の正人しかいない。脳裏に、あの人の笑い方がよぎる。
私は助けてくれた人のことは覚えていないが、私を突き落とした人のことははっきり覚えている。まさか何年経っても、彼は手段を変えずに直球で来るとは。
蓮に任せよう。どうせ西園寺家の連中は誰一人逃げられない。燃えるべき家は、いずれ燃える。
「もう飲まない、苦い。」
これからの運命を思うと、私は不機嫌に顔を背け、はっきり言った。
「蓮、もう忠義者のふりはやめろ!父が桐島家を陥れた証拠は手に入れたんだろう、犬のふりを続ける必要はない。」
蓮は黙ったまま、水の入ったグラスを私の口元に差し出した。瞳の奥が読めない。
私は彼の思惑が見え見えな態度が気に入らず、癇癪を起こしてグラスを叩き割った。ガラスが床で割れる鋭い音が響く。
「お前にとって西園寺邸の者はみんな仇だ、私も同じ!どうせいずれ私を殺すんだ、なぜ助けた!」
「じゃあ、なぜ君は私を助ける?」
彼は静かに私の目を見つめ、私はしばらく言葉に詰まった。唇が乾いて、言葉がうまく出ない。
しばらくして、私は激しく咳き込んだ。
「貸しを作っただけだ。」
「ご主人様、嘘が下手ですね。」
蓮は突然私の顔を両手で包み、近づきすぎて頭が熱くなり、つい本音を漏らした。
「……桐島家は本来なら濡れ衣を着せられるべきではなかった。」
その瞬間、蓮の瞳が輝き、感情が波のように溢れた。
財閥連合が圧力をかけて以来、誰も「桐島家は無実だ」と言う者はいなかった。ましてや「桐島家ほど誠実な一族はいない」などと。
長い孤独の末、今この一言を聞いて、蓮はこの世にも正義があるのだと感じた。胸の奥の堰が、音もなく外れる。
彼はもう我慢できず、優しく私の唇を吸い、耳元から首筋、鎖骨へと舐めていった……まったく、甘え上手な犬だ。息が、熱に混ざる。
私は心の中で罪悪感を覚えた。
前世では死を恐れ、ただ生き延びることだけを考えていた。そのために蓮を攻略しながら、彼が証拠を掴まないように祈り、復讐を果たさないように逃げてばかりいた。卑怯者の自覚はある。
だが今は、どうせ死ぬ運命だと受け入れたことで、命を惜しむ以上に大事なことがあると気づいた。
例えば桐島家の冤罪を晴らすこと、あるいは……今この瞬間を楽しむこと。指先で彼の髪を解く。
ぼんやりと考えながら、熱と濡れた感触、キスの余韻が混ざり合い、体がふわふわと浮かぶようだった。
蓮が私の衣を剥がしきったとき、ようやく気がついた。
「この畜生、まだ熱があるんだぞ……」
私は罵り、力なく彼を平手打ちした。掌に伝わる熱が、余計に腹立たしい。
それに興奮した彼は、荒い息で私の腹を噛み、どこからか細い鎖を取り出して首輪の鉄輪に繋げ、私の手に渡した。金属が触れた瞬間、冷たさに背筋が震える。
「さっき往診で医者に診てもらったが、医者はご主人様の体は丈夫だと言っていた、心配しすぎるな。」
「もし本当に耐えられなくなったら、鎖を強く引いて、私を無理やり止めてくれ。」
……
だが蓮は最後まで止まらなかった。
私が鎖をきつく締めるほど、彼はますます熱狂して動き回った。皮膚が火照って、手の力が入らない。
熱で火照った体を彼に好き放題され、私は何度も彼を罵り、自分の欲望も呪った。言葉が荒くなり、声が掠れる。
長い髪が垂れ、彼はそれを無造作にかき上げ、汗に濡れた額、頬、胸には私が打った赤い痕が無数に残った。自分の爪痕が美しく見えるのが悔しい。
蓮はこの手のことになると一層狂気じみて、最後は私が耐えきれず、裸足で彼の顔を蹴り、かすれた声で罵った。
「耐えられなくなったら鎖を引けって言っただろ!」
彼は私の足首を撫でながら、恍惚と私を見つめた。
「ご主人様が鎖を引く元気があるなら、体はまだ大丈夫です。」
……
そうか、全部逆なんだな!
私はまた何度も彼を平手打ちし、夜が明ける頃にはついに力尽きて眠り込んだ。枕に顔を埋めると、全身の力が抜けていく。
目覚めると、すでに正午だった。あれだけ激しくされたのに、むしろ体がすっきりしていた。肌が生まれ変わったみたいだ。
蓮の姿はなかったが、鎖はまだ手元に残っていた。
それを見るとまた腹が立ち、思わず投げつけたら、ちょうど入ってきた人に当たった。
「起きたか?」
蓮は鎖を拾い上げ、ゆっくりとお茶を差し出した。湯気の向こうで、目が笑っている。
今日はいつもと違って見えた。
これまでは犬のふりをして、言動も本心かどうかわかりづらかったが、今日は……どこか本気が混ざっているようだった。視線の温度が違う。
「今朝、正人が川に転落して死んだ。」
私はお茶を喉に詰まらせ、目を見開いて蓮を見つめた。茶柱が倒れたみたいに、胸の中の何かが沈む。
行動が早いな?
時刻を考えると、私と事を終えた後に、外に出て人を殺してきたのか?
だが……前世では、正人はこんなに早く死ななかった。七度目は行動が前倒しになっている。こちらの介入で因果が早まったのかもしれない。時間のズレに、背筋がざわつく。
「ご主人様は彼が可哀想か?」
「まさか、当然の報いだ!」
正人は父の寵愛を受け、桐島家を陥れた件にも加担していた。
「私もそう思う。正人は昔、ご主人様を川に突き落とした。今の死に方が一番ふさわしい。」
私は何度もうなずき、ふと何かおかしいと感じた。
「どうしてそれを知ってる?」










